20年前の記憶
かつて東京にいたころに、日本語教師の資格を取得した。留学をしたいと思っており、お金がかかるので、留学先で何かできないかと考えたら、外国語としての「日本語」を武器にしたらどうかと考えたものだ。日本文学を専攻していたので、「日本語」と「日本文学」の接点を探るということは、意義が大いにあった。またその頃は、日本語ブームと言われていた時代で、巷に雑誌などにもよく取り上げられていたと記憶する。そんな最中、この日本語教師たるものがひょっとしたら活用できることになるかもしれない。当時のいろいろはあまり覚えていないが、この前、実家の整理をしていたら、終了証など出てきたとか、なんかつながるのか。点が線になるのか。やはり人生無駄なことはない。教科書を読みなおすと、何となく思い出したような思い出せないような。20年前の僕も悩んでいた。今と変わらない。でも20年前の僕は,20年後の僕は想像できないだろう。振り返るには早いが、その後の20年は激動である。
| スリーエーネットワーク 発売日 : 2016-10-17 |
農業をめぐる税
農業をめぐる税制や税金について、誰か詳しい人いますか?と学者にも聞くことあるが、なかなかいないようである。農業会計はいるものの、やはり農学部や農学研究科などそれに類似する学会や研究科において、農業会計のコマさえないところも多い。僕も長い間、農業会計に携わっているが、現在の理解ではこうだ。①農業会計を教える人がいない、②農業会計はそこまで必要ではない、③改めてその専門家を継承する動きはあるものの、そこまでの熱意ではない。こんなところだ。①は②に起因する、③は少人数が言っているが、科目設定もされない大学をみると、そこまでの必要性を感じていないんだろうと思う。たまたま、僕もニッチなところに足を踏み入れた感はあるが、年々、農業会計研究は脆弱になってきている気がする。世の中に必要と強く思われない以上、その傾向は続くだろう。農業会計をやっていると、農業税務にも隣接分野なので、もう少し勉強をと思うが、さらにこの分野は脆弱である。もし骨太な農業経営を目指すのであれば、この分野の啓蒙は必要と思うが、大学と実務に差があるのかもしれない。一過性のブームで、学部を再編したり、新設するのではなく、もう少し専門性を高めることも必要ではないか。僕の農業会計研究もそろそろ終焉を迎えて、次のことへと思うが、少しは農業税務も見ておきたいと思うことは多々ある。それにしても、僕の人生は王道ではない。王道からそれてしまっているから、人以上に悩みが多い。農業会計にしろ、農業税務にしろ、日の目を見ることはあるんだろうか?最近、税務から見ると会計がわかるのではないかと思うことはしばしば。これはたぶん農業だけではないが・・・・。研究をする時間と心の余裕が欲しい。
税法からのアプローチも必要かも知れぬ
平成4年まで実施されていたみなし法人課税。だいぶ昔に買っていた書籍を読んでみた。結論から言うと、立法の背景から廃止に至るまで、税制の動きがよくわかった。だいぶ昔、小規模企業税制について、まとめたことがあるが、会計においても納税の強制という観点から多大なる影響を及ぼしている。それ故に、税と会計、税務会計になるのかとも思うが、角度を変えてみるのも必要かも知れぬ。P18,19に農業法人問題が書いてある。法人化と租税回避のテーマの一部であるが、昭和32年に徳島県のミカン農家の法人化による租税回避のことが述べているが、そこには農地の問題から、課税当局が認めてなかったということもあり、訴訟事件までなっている事案のようだ。地域維持での法人化を集落営農法人でなされるが、こういう事案もあるんだなと改めてなまんだものだ。廃案を少し辿るのはいいかもしれない。それなりに立法の形成には鯨飲と結果がある。議論された内容と言葉には意味がある。ちょっと研究熱に火がつくかもしれない。
久しぶりの大学講義
ひょんなことで、大阪経済大学さんに呼んでいただき、大阪に行ってまいりました。G20の影響もあり、コインロッカーが閉鎖やアナウンス、警官の多さ、違った感じの大阪のなか、上新庄のキャンパスへ。熱心な学生に恵まれました。2コマ担当しましたが、一つは、クラウドファンディング。今回は切り口を変えて、シェアの観点からクラウドファンディングを考察しつつ、大阪にせっかく来たので、大阪の事例を題材にもしてみました。もう一つは、農産物の加工品の販売戦略をグループワークの形で進めてみました。前者は大教室で。後者は少人数でということですが、後者の方が反応がわかりやすくやりやすく、意見も活発に出ました。大学の好きなアクティブラーニングってやつです。たまに大学に行くと、僕自身も刺激になり、勉強になります。教科書をなぞる、あるいは輪読というように進めるのはいかがなものか、僕自身も中身を考えつつ、やはり学生にもいい学習になればと思う次第です。また機会があれば、大阪経済大学さんに寄せていただければと思う次第です。会計学で話が来ないのはなんでかなと思うところですが・・・、これも経験としていいでしょう。
打ち合わせも兼ねて
今年度予算もそろそろ確定され始めることもあり、稼働できそうなということで、ms22 のみんなで集まりました、たまには東広島でという話になり、仏蘭西屋へ。久しぶりに藤原シェフの料理を堪能しましたが、絶品でした。酒を飲むととん食べない僕も完食。おいしくいただきました。水面下で進んでいる計画もあり、何個か形になりそうなところであり、一つは本格的に動かしていくことになる。農業を中心に考えを構成してきたが、飲食業、「食」の観点の中に、農業を仕入れるというか、このベクトルの方が川の流れがよくなると思える。最近、農業に向き合ってきたことが違うのではないかと思い始めている。自分の思い上がりなのか、何とかしようと思って、手を差し伸べたつもりだが、実はそれは違っていたのではないか、そんな気さえ思うことが何度も遭遇した。ひとまず学術研究の農業会計も終わりが近づいてきて、いい区切りなのかもしれないと思う。今回、打ち合わせの中で、やるべきタスクの中に、違う側面での「目」を備えて向き合う。そういうことを考えるべきと思う晩餐であった。
企業は農業で障害者雇用を!
今日の日経新聞、経済教室(私見卓見)の記事で、農福連携、農業に障害者雇用を!といった内容が掲載された。自由に読者が投稿や寄稿を通じて、参考になる意見を掲載するようだが、よくいわれる農福連携。記事にもあるが、農業の雇用生み出すばかりか、障害者にとってのリハビリ効果も期待される。企業の側からすると、人手不足の解消(解消まではいかなくても緩和)も大きく、積極的に活用を通じ、双方のよりよい社会関係を生み出せるのではないか。農福連携はここ10年で言われ始め、具体的に取り組んできている企業も増えている。社会にはいろんな役割があり、貢献できる。企業がこうした取り組みを推進できる仕組み(補助はあるが)や意識改革が必要であろう。
今年の園芸祭り
平成最後の園芸祭りの露店に出ました。今年初です。今年はえらい寒くほんとアイスクリームが全く売れず仕舞いでした。この園芸祭りは、苗木の販売のほか、野菜の収穫体験や家庭菜園の相談など、いろんな年齢層に楽しめるようなイベントで、フード出店者のわれわれもこの催事は結構いいなと思い、参加しています。今年の一コマは、3人の子供たちの大根の収穫体験。立派な大根を引き抜いて帰ってきました。常々、こうした体験をすることは子供にとって、重要だと考えています。また、露店のお手伝いもしてくれていますが、とにかくいろんな場でいろんな経験。ステレオタイプにならずということ。そう思っています。閑話休題。露店でブースに立つと、消費者の動向や消費の在り方がよくわかります。年に数えてみると、8回程度、出店してますが、天候だけではなく、どうも景気の減退を感じました。ほんと消費税上げるの?って感じですが、だいぶ心配ですね。商売を何等かしている人は、露店の店頭に立つのはおすすめします。3あまりプライドを高くしない、上から見ない。それ大切です。僕も露店に立ってから角がだいぶ取れましたよ。そして人が見えてきます。
お裾分け
あるお宅にあるレモン。取りにおいでとお誘いを受けて、レモン狩りへ。いろいろ農業体験はさせるようにしているが、木になっているものを収穫するのは初めてだと思う。栗はあるけれど、落ちているものを収穫するということで実質初めてになると思う。かなり楽しかった模様。レモンはなかなか料理には添え物的なものになってしまい、どのように調理すればというところはある。飲み物でハイボールか・・、それにしてもこのレモンは無農薬で絶品。いろんなことを体験させようと思っているが、こうしてあれこれできるには幸せなこと。それにしても、自宅にレモンの木があるのも珍しい。
実務から理論へ接近?
農業の会計を実務から理論化するというか、どのように接近し、それを理論化した上で実務に立ち戻る。こうした往復的な行動ができないか考えてきたが、今頃思うことはそれをすればするほど、積分化する。つまり、実態から離れていくような気がしてならない。深く農業を見ていくと、当然に有用ではあるが、完全でもなく、完全とまではいかなくてもそれに近いところにたどり着くように思っていた。でも、僕の頭にあるものと目の前にある現実はどうも一致せず、足踏みしたような感じがある。もやっとしているのだ。自然が相手だというのは大きな要素としてあるのは間違いないが、それでももう少し精度が研ぎ澄まされないだろうかと思うことがしばしばある。真に農業法人の中に入って取り組んでみると、利益を出していこうとする企業型のスイッチを押しても、そのスイッチが空回りしているような時がある。会計は間違いなく必須。接近し、着陸する「地点」が僕とずれるのか?農業会計学は社会科学ではない、自然科学として存在しているというのが僕の持論。僕自身の総決算は近い。理論と実務の難しさはまだまだ解決はさせてくれない。
三田文学の源流、永井荷風
永井荷風を読んだ記憶はある。記憶はあるといっても、遠い記憶を引っ張り出す、そんな感じであったが、改めて三田文学、慶應義塾とのかかわりを知るいい機会になった。書の中にもあるが、慶應への現代への系譜としても、永井荷風という人を論じ、語り継いできている。この書の中で、慶應出身者が論じた共通の問題点として、このように末延が述べている。「それぞれが「性」という荷風文学を貫く根本主題をしっかりと視座に据えたうえで、荷風文学における根本主題として、それぞれの作品の最も奥深いところに秘められた「性」による国家の解体という、荷風のきわめて過激な思想と、それが日本の近現代文学と二十世紀の世界文学に対して持つ意味が、十全に読み解かれてこなかった(273-274頁)」と。なるほど、人間の「性」のドラマを、人間の根源的な主題への向き合い方は、接近していても、接近できていないのか、現代の作品はそこへたどり着いているのか、いやそうとも思えない、ギリギリのところへの描写はどうなのか、いろいろ思うところはある。荷風は物語は書いたが、小説は書かなかった、書けなかったということも過去の論者の指摘もあるようだが、それはどうなのか。荷風を少し読んでみたくなった。