農業

農業の倒産

資材高止まり続く

今日の日本農業新聞の1面である。農業の倒産が最多更新だそうだ。負債が100万円から5000万円がもっとも多いようである。スタートアップに多額の資金を要する。農業は単価が低いものを売り、商売をするのだから回収という観点ではなかなか厳しい。そして気象の問題や生産物の育成と考えると、不安定な要素もあるので、計算通りにはなかなかいくまい。資材の高騰もボディブローのように効いてくる・・・。農業は人間生活の根幹を担う「食」であり、大切な産業である。これをどうとらえるか。保護が手厚いのか薄いのかなどいろいろ議論はあろう。しかし、こういう記事をみると新たな担い手が出てくるのだろうか。別の産業を職業に選んでいくのではないかなど、やはりいろいろ思うことは多々。価格転嫁・・・、これは当然ではあろうが、賃上げ?さあどうなるんでしょう?

謙虚な社会科学だそうだ

ほんと「謙虚」なのか

一応、専門はと聞かれると、「農業会計学」と答えているが、その農業会計学は、農業経済学の一端から派生しており、その一部として考えていい。僕の立場からすれは、社会科学で育ってきたと思うが、最後は自然科学の農学部出になるわけで、ほんとどっちつかずで生きているのは間違いない。そのどっちつかずの僕が先日読んだ「農業経済学の意義」で違和感を感じざるを得ない。謙虚という言葉が果たして適切なのか。中身を読むと意味はわかる。「本質的な構図をシンプルな概念で提示するのが農業経済学の役割」、「能動的に日本の農業を内外に発信することが重要である」ということは理解できる。果たしてそれが「謙虚」なのか。ぱっと言葉が浮かんではこないが、「謙虚」ではない。そんな所感を得た記事であった。

変わる入試問題

時代への対応

昨日であるが、日本農業新聞にこんな記事が出た。地域づくりや農業をテーマとした入試問題が多く採用されたとのこと。農業高校であると、農業の科目が用意されているので、知識としてあるかもしれないが、普通科の高校で学んでいると、知らない可能性も高い。しかし、農や食という部分は人間生活の根幹であるので、それを知る、学ぶという点では必須であるものの、入試問題で多用されることを考えると、普通科の高校でもこうした科目の用意は必要かもしれない。高校教師には興味があるが、なにせ教員免許がない。特別免許状というのもあるが、うまくそれが回避できるのなら、活躍の場が僕にもあるかもしれない。そう思いながら、時代に僕の領分がマッチし始めた気もする記事であった。

へっ~と思う

日本三大和牛

日本農業新聞を購読しているが、はっきり言えば読むところはほとんどない。たまに読むべき記事も出てくることから、取っている。今日の記事は教養的なものであるが、へっ~と思ったのであるが、日本の三大和牛である。松坂、神戸・・・、あと一つと言い江波、米沢か近江のようだ。いつどこで定義されたのか、またどんな理由で言われるようになったのかはわからないようだ。岩手県の奥州市に牛の博物館たるものがあるらしい。そんなことも知らずして、どうも三大和牛と言っても、数を数えれば4つ。そう考えると、米沢も近江もどちらかがもれるよりは、あいまいであるが、競い合ってよりよいものを後世に続けていく方が好ましいかもしれぬ。そんな所感。牛肉が食べたくなったな~。

野菜の指定品目

ブロッコリーの指定野菜の追加

現在の指定野菜はキャベツ、キュウリ、サトイモ、ダイコン、玉ねぎ、トマト、ナス、ニンジン、ネギ、白菜、ジャガイモ、ピーマン、ホウレンソウ、レタスの14品目があるが、じゃがいも以来、52年ぶりの指定野菜の追加になる運びだそうだ。指定野菜となれば、農林水産省が需給ガイドラインを策定し、出荷団体や生産者がそれに基づき供給計画を作成することで安定供給に努める。特定野菜に比べて、価格が下落した際に生産者に支払われる補助金も手厚くなるのだが、ブロッコリーは指定野菜ではないんだと思ったものだ。どうも県や市町村の支援野菜は見るのだが、国の指定は盲目的であった。改めてみると、サトイモ?とか思うものもあるが、52年ぶりということは極めて画期的?異例?、そんな印象である。

農村たたみ論

考えさせられる内容

僕自身が「農村たたみ論」という言葉に初めて遭遇したかもしれない。田園回帰や田舎暮らしもあるが、最終的に財政問題が大きく、結局は都心部への移住に繋がる議論になる。農村、集落ががなくなると、経済的には善という考えである。一方で、農村、中山間地域における多面的機能や公益的機能ということもあるが、バランスよくという形が極めて難しいと考え、財政負担はできない=農村たたみ論に繋がるのだろう。何か人間生活がギスギスしたものとなり、胸が引き締められる記事であった。農業の行方は一体どこに?そんな受け止めをした。

僕にとっての農業会計学

論ずる内容

農業会計学を一応、専門としているが、より深く考えてみると、僕の中での「農業会計学」というのは結論がついたのではないかと思う。改めて何を論ずることが今のところ、ないのではないか。つまり、関心や興味ということもあるが、ひとまず博士論文で仕上げたことが今なお、僕にとっての「農業会計学」ということでおさまりがつく。完成度が高いというほどではないが、確かにこうだと自分でも思えるので、それでいいのではないか。そのときに次のステージにうつることになるだろうし、劇的に状況がかわらない限り、今現在は現在完了ということになろうか。やり切ったという感じでもないが、やり切ったと言えるのかもしれないなと今更ながら思った日々雑感。

厳しい現実

繰り延べた現実

長いコロナでの自粛。アフターコロナと言われる今、いろいろしわ寄せがきているように思う。農業は保護産業であるが、それでも破綻はする。保護産業と言えども、民間事業であり、営利を求める以上、当然であるが、厳しい現実と言わざる得ない。負債総額も約35億円、売上がコロナ前で16億でも債務超過は間違いない。相当無理な経営をしてきたのだろう。やはり農業は設備投資がかかり、それに見合うリターンがあるように思えない。しかしながら、衣食住の人間の根幹を支える農業をどのようにとらまえるのか。そんなことを考えながら、農業法人の記事を読んだ。

研究らしい書籍

農地を巡る制度史

やはり歴史を知るというところからは逃げられない。それだけの地脈があるもので、こういうものを読めばわかることは多い。なぜならば。今あることが突飛に出てくる話ではなく、その延長線上にあるからである。どうもこの前から、「農業者」、「農地」という観点が気になって仕方がない。いろいろ読むが、当座、これが一番詳しそうだ。部分的に読んだものなので、流れに沿って少し読んで見ようと。ただ太い本なので、読破には時間を要するが・・・。ただ研究者が読む本と言える。

 

農家の混乱

インボイスは廃止すべきだ

どう考えてもインボイスは混乱しかない。他の徴税方法を考えるべき。今日の農業新聞であるが、施工日が近づくにつれ、現実をたたきつけられる。個人的な見解であるが、インボイスの悪評は高いのは、おそらく政府もわかっているだろう。だから支持率が下がるのを恐れ、政府CMもしない。普通だと、「インボイスの登録はまだですか?」と啓蒙のCMが嫌というほど流れるはずだ。それもない。しれっとスタートするのだろう。この記事では、直売所のインボイス対応について特集しているが、消化仕入方式であると直売所の経営は成り立たなくなるのは容易に予想できる、しかし、これをしないと直売所には農作物は集まらないだろう。今回、思うのは、インボイスの制度設計をするにあたり、幅広い検討がされたのかどうかである。あまりにも小規模事業は、社会からの追放が気がしてならない。やりすぎである。消費税の複数税率を辞めて、10パーセントに統一することの方が皆さんにも理解がしやすいと思われる。ただ再考税収は近年続く中、税徴収がどんどん厳しくなっていくのは危惧でしかない。