その他

日本語学校ファンド

地域とともに新時代へ

僕もひょんなことでかかわることになった三原日本語学校。廃校となった小学校を校舎に留学生に日本語を教育する学校を作る。令和4年4月に開校予定だが、今回、セキュリテを使い、投資家を募ることにした。地域、行政と連携した大掛かりの学校ともいえるが、この挑戦は様々なところでモデルとなるケースになるだろう。継続する学校経営となると厳しいこともあるだろうが、新しい挑戦に微力ながら応援したい。日本語教師としても再起動の予定である。

学食にて

記憶にないほど「昔」

仕事でお世話になっている広島国際学院中学校・高等学校の学食でランチをした。外部の人間が学食を食べるということもないので、いい機会と思い、食した。カレーライス大盛390円。味はまあ普通。元来、学食というところで食べた記憶がない。学校は多く行ったが、学校の構内にいるというのが好きではないという性分なので、食べるときまで学校にいることさえ嫌な人間だ。なので、どこかの「所属」とか「母校」というのがどうも気持ち悪い。まあそんなことを乗り越えて食べてみたわけだが、ある意味新鮮だった。こういう時間もあるもんだなと思ったものだ。あれだけ学校にいろいろ行ったのに、施設利用は少ない方だろう。僕の意識が変わらない限り、それを享受するのは少ないかもしれないが、こういう日もあるもんだということで備忘録としておきたい。

第三弾!

会計とは何か?

会計学を教えるようので、足立研究室へ。そのついでといってはいけないが、対談を収録しました。詳細はこちら。早くも第三弾までたどり着きました。芸人の山田さん、精神保健福祉士の八橋さんと続き、会計学者の足立さん。今回、会計のこと、考えるいい機会になりました。対談では、かなり圧縮、ダイエットしてますが、まあまあ話し込みました。最近思うことは、尊敬する友岡先生が書かれていたが、「管理会計が先、財務会計が後」ということ。人の動きに着目した足立先生の研究は、ここに入ってくるような気がしてならない。会計の歴史から手掛かりはあるのではないか。足立先生のこれからの会計研究にも期待しよう。広島在住同士だから、また会って議論したいもの。緊急事態宣言が終わったら、飲みにでも行くかな・・・。

 

対談

緩く始めた対談

先日、二人目の対談を撮り終えた。1回目は吉本新喜劇で活躍する山田亮さん。当面は聞くことは簡単で、①対談者になぜ今のような仕事をしているんですか?②岸保 宏ってどうですか?③これからってどんなことを考えていますか(主に仕事)?っていうライトな質問で構成している。教育とは何か?介護とは何か?といったような感じのことも今後は考えているが、今のところはあくまで「横顔を知る」というコンセプトで考えている。多面性の中に真ん中に当たる、そんな感覚で進められればと思う次第。第一回目に続き、第二回目も楽しみにしてほしい、ちなみに次回は精神保健福祉士の方です。近いうちに公開できると思います。

組み立てる

 

横顔

このホームページ(ブログ)では、僕の横顔を覗いてもらって、何らか次につながるものがあればそうあればいいし、ふ~ん、あっそうということであれば、それでいいだろうしということで、何かざらっとしたようなところがあって、もう少し知りたいという欲求を感化できると思うところ。今春よりインタビュー(対談)をこのHPでも取り入れた。先日、2回目も収録した。キャストと内容は乞うご期待してほしいが、何かの「フック」となることに期待したい。続けることは小さな決意であり、行動であり、勝利である。そう思いながら継続を通じた新しい未来を構築したいと思っている。

会う人・もう会わない人

時間はみんな平等だ!

過去にたくさんの人と会ってきた。とかくいろいろ。名刺交換をした人でもさっぱり記憶にない人もいるし、密に付き合いある人もいる。しかし、僕も与えられた時間は1か月30日。限られた時間である。時間・お金・労力を使うことを考えると、取捨選択して人と会うことになる。特に動けばお金もかかるし、労力もかかる。とすると、人と会うのも戦略的になるところはある。僕が殊更会ってみようと動くのは、年に1,2度あるかどうかだ。これは新しい人。異業種交流会のようなものは全否定の人間であるし、そういう場に行くのも好きではない。とすると、会う人、会ったけどもう会わないだろうなという人。喧嘩とかではなく、やはりあるのだろうと思う。人は時間が空くと会いにくい。それも自然の摂理なのか・・・。若い時のような無限の時間がもうあるわけではない現実。もう僕も40代中盤だ。

いる肩書・いらない肩書

対外的なこと

僕で言えば、肩書的なものは多いと思う。自己紹介をしてくださいと言われるのが、かなり困ってしまう。だから名刺も単純に名前だけのものを渡すように変えている。○○の岸保 宏というのはおさまりが悪いので、職業 岸保 宏という感じで位置づけられればいいなと思うところ。まあまあ悩む事案である。その中でもいる肩書といらない肩書があり、欲しい肩書があり、欲しくない肩書がある。AのことのときにはAというもの、BのことのときはBのこと、XのときはXのことといったように、投げられたボールに的確に打ち返したいところだ。全部打ち返す必要はないけど、まあいるものいらないもの、あるなと思いつつ、考えることしばしばということか。

続けること

辞めるか、続けるか

継続は力なり。これは間違いないことだと思う。続けている一つとして、「がんぼチャンネル」。木曜日の深夜0時に毎週UPしており、2020年10月より発信している。ビジネステーマと業界について、議論をしているが、撮りためたりしながらなんとかやっている。批判をして何もやらない人になるのか、やって批判されるのか、それぞれの価値観であろうが、まず続ける。大きな成果は出るかといえばわからないが、何らかの活路は見いだせるのではないか。社会やビジネスの問いに人に回答を求めがちだが、正直、僕も回答は持ち合わせていない。もちろんこうなんじゃないかなと思うことはあるが、やはり自分で思考し行動して判断。自分でしか責任はとれない。だから何かを探し、何かを求め、生きているんだろうと思う。収録を続けながら、思うこと、雑感。

10年目の記念日

結婚記念日&母親の誕生日

あえて4月4日にあわせて、入籍したのだが、10年が経過した。いろいろあった10年。感慨深いものである。3人の子宝にも恵まれ、騒がしい毎日。喧嘩もよくしたし、いろんなところにも出かけた。子育てもわけもわからずやりながら、生きてきた。多くの人に支えられ、何とか生きてこれたのも実感した。感謝したい。母親も妻もかけがえのない人だろう。まあコロナになってからは家によくいるので、喧嘩もよくするが、「私がいないと駄目な人」という大きな心で見てほしいと思う。これから新たな10年のスタート。そして、母親も新たな1年。また祝いができるように元気で過ごしていたい。

 

昨日と同じ朝が来る

大過なく過ごす

やはりコロナになるのかと思うが、僕にとっての危機感というのは相当なものだ。活路を見出すための手立て、糸口を探す毎日である。しかしながら、昨日と同じ朝が来る。つまり、大過なく毎日を過ごすのんきな人もいる。そののんきな人は、人ばかり否定や避難をして、何もできない。そういう人は身近にいないだろうか。たとえば、中小企業でみられるような同族会社。番頭格がそういう人なら、非常に難儀である。どこかで「居場所」はなくなっていくのだろうが、「今」が素晴らしいわけで、彼・彼女らからすれば、天国なわけだ。半分はいいなと思うところはあるが、そんなことを言っている場合でないので、危機感のもと、生きていくしかなのだが・・・・。邪魔さえしなければいいのだが、その人たちは邪魔をする。悪気もない。決して小物ではない、大物なのだ。なんかこういう話を最近多い気がする。