文学

漱石再読、文鳥

楽読、楽して読むのではなく、楽しく読む。

漱石再読。文鳥編。それにしてもなかなか進まないが、期限あるものではないので、ゆっくりと。文鳥。早稲田に引っ越してきた漱石が鈴木三重吉にすすめられて、文鳥を買い、2日ほどかまわなくて死んだという話で、昔知っていた女の回想を織り交ぜて、美しいものの死を描いている作品。あまり読むことのない小説ではないかと思う。分量もそうはない。小品。女が漱石に潜む夢としてあり、ここに収集されている夢十夜にある意識ともつながってくる。夢十夜はまた綴るとして、ようやく前期三部作へ読み進めようと思う次第。

 

文学論再読

文学とは何か。

ほんと進まない漱石再読、文学論。凡そ文学的内容の形式は(F+f)なることを要すと始まる一文が有名である(ちなみにFとは認識すること、fとは認識に伴って生じる情緒であるという)が、文学の内容について、深く考察された論。下巻に「間隔論」と「意識の推移」にかなり興味を持って読んでいた記憶が蘇る。文学論をもし学べるなら、是非、教授いただきたいなと思う。難しいし、深いねと思う。理解にはまだ遠いような気もするが、学びもあったのでひとまずよしとする。少しずつ、読み進める。

文学館巡り

東京にて

新潟行きの前泊で東京に1日滞在したわけだが、雨が降りしきる中、散歩した。4年ぶりに漱石記念館を訪ねた。文学館や美術館など好きなのだが、なかなか回ることができない。余裕がないのもある。心を豊かにする営みを継続していくべきだなと思うところだ。漱石再読も牛歩で進めている。漱石の軌跡をたどるのは楽しいことだ。なんとか今年、来年で樋口一葉記念館に再度行ってみたい。

虞美人草を読み直す

漱石と改めて向き合う

漱石再読、虞美人草を読み直す。新聞小説作家になってからの処女作。失敗作ともいわれる。漱石が気合が入りすぎとも言われるが、僕は味わいの深い作品と思う。人間の生の追求、女性への漱石思想、植物の記述など、いろいろ思うことがある。新聞小説に形式を変えたことで、字数という統御から章の書き出しに非常にこだわりも感じる。改めて漱石に通底する表現として、9章「自分の世界が二つに割れて、割れた世界が各自に動き出すと苦しい矛盾が生じる」という表現があるが、ベイトソンがいうダブルバインドの概念やオクシモロン(撞着語法)を漱石は他の作品でも多用していることを思いだした。新聞小説の読み手(知識人)への投げかけでもあり、導線を感じる作品だなと改めて思った。また合間合間で読むことにしましょう(マストをしないといけないのだが、入るとぐわっといってしまう)。次は坑夫を読む予定。

 

文学の小部屋

一人だけの空間

文学と農業会計の部屋とをわけている。場所も違うのだが、最近、この文学の部屋にいるとすごく落ち着く。追い求めたものが詰まっているし、文学は僕の生きる糧であった。だからこそ辞めてはいけなったのに辞めてしまった。非生産性のものに生産性を負うことで苦しくなったせいだ。昔、中学ないし高校の国語の先生になったらどう?と言われ、教職の免許を取るように、指導教員に言われたが、そのときは一度リセットしたいばかりだった。持っておけばよかったなと今は思うが、時は帰ってこない。そう思うと、人生の道中はいろんなことがわかっているようでわかっていない。そう思う。残りの人生をどう構成するのか、あるようでない時間、生きることにエンジョイできればと思うのだが、しんどいことだらけである。

坊ちゃんを読み直す

坊ちゃんから学ぶ

漱石を少しずつ読み直している。今回は坊ちゃん。言わずと知れた作品だが、1週間から10日で書かれたと言われる小説であるが、素直に坊ちゃんの成長小説として読めばいいと思うが、それでもなお深く考えるのは、清の存在、死というものから人生を考えるというか、その人が死んでも、受け継がれるもの(人)の中で生きるんだという命題を与えられているような気がする。そして、教壇に立つようになってから、教師の正義感とか思うこともある。漱石はやはり面白い。もう一度読み直そうと思っているが、なかなかうまく時間がコントロールできない。できるなら、少しサバティカルのような休息が欲しいなと思う今日この頃。

 

野分を読み直す

白井道也は文学者である。

白井道也は文学者であるという有名な書き出しで始まる「野分」。漱石が新聞小説家としてデビューする前の最後の作品。漱石から何か生きるヒントというか、この混沌とした今を打破する糸口を探せないかと思っている。野分を読み直して、教壇に立つようになった今、感じるものが多い。教師はお金儲けでやる職業でないし、お金儲けをするには商人であるということも書かれているが、当時、学者というものが崇高な存在であることも見て取れ、今のサラリーマン化した学者像とは全く違う。言葉に魂があるというか、勉強になることが多い。野分は漱石の中でもマイナー小説だと思うが、一読してほしいなと思う小説の一つ。

 

二百十日を読み直す

剛直な言葉

とかく漱石が気になる。何かハッとする。二百十日は会話で成り立っている短編であるが、言葉が強めのものが目立つ。漱石は世紀末という100年を単位とした思想の中で、小説を読み解くことは重要な要素と思うが、一番、最後の文章、「二人の~百年の不平~を吐き出している」という一説があるが、ああここにも百年というワードが使われていることに改めて気づいたことである。こんなに二百十日の小説の言葉があらあらしく表現されているというのも、草枕からつながるじ「情」の世界と思える。もう少し文学に浸る時間が欲しい、心に余裕がないのかもしれない。

 

お金と文学

経済学者VS文学者

かつて漱石を勉強していた時に、お金と文学という形でまとめたいなと思うことがあった。研究書として、ああ、さすがと思ったものはこの本。冒頭にちらっと書いてあるが、たまたま見つけて写真の本を読んでみた。僕の関心をひいたのは、信用創造という経済学のワードから見る、文学の読みというのは面白いなと思う。お金によって人の心が動く、そして生活がかわる、社会が変わる。漱石で言えば、なんといっても、道草を読むとお金の問題と向き合うことになるが、この書籍でも多く取り上げられている。非常に読みやすく面白いと思うので、是非読んでみてほしいなと思う。

 

宮澤賢治と農業

農業と文学-耳で読むー

年末に農業と文学をテーマにしたら、面白いんじゃないかと思い、ラジオでも取り上げることにした。絵本作家の澤口たまみさんとセッションしたわけだが、ほんと楽しい時間だった。耳で読む、すごい名言だった。宮沢賢治は、人の幸せを誰よりも望み、農業、自然にも目を向けていた。一方で人間で必要な自然も知っていたと思われる。農業の件で、ぱっと浮かんできたのは、宮澤賢治でそう語れる人にもなかなか出会えないが、ほんといい機会に恵まれた。澤口たまみさんは宮沢賢治の作品の朗読CDも手掛けている。耳で読んでみよう!