日常

過去は美しい

過去を振り返っても

若い頃は甘い思い出なのか。あまり振り返ることもないし、僕は「甘い」記憶がない。なので、同窓会の類なんかはまっぴらごめん。昔も書いたことがある。昔はよかったなどというのは、今はやっぱりいい人生を過ごせていないということであり、これも寂しいと思うのだが、そういう人が多いのかもしれない。はっきり昔からの人でも繋がる人は繋がるし、繋がらない人はそのまま。だからそこに何も見出す光はなのではないか。また妬みや嫉妬があるのならば、なおさらその火中の栗を拾い、その中にいるってのはやはり違うよねと思うわけである。どうも50歳からは友達や知人を整理する時期らしい。この理論が正しいかわからないが、確かに会うことも少なくなる気もする、SNSでつながっている気にもなるが、実は何も繋がっていない事実を鑑みると、なんと寂しい時間と空間かと思うもの。まあ美しい過去は僕にはない(子供と過ごした時間は甘くていい時間とは思うけど)。未来へ一歩ずつ突き進む!

昔の写真

露天商時代

昔の写真が出てきた。暑い時期に夏祭りがあって、アイスクリームの露店を出していた。子供が出来てからは子供も店員として活躍した。まあ子供にとってはいい経験をしたのではないか。普露店を出して、現場で実際に販売し、お客さんと対面するなどって話は普通ではできないので、よかったように思う。子供も大きくなったので、こういう機会がなくなったし、それより僕自身がアイスクリームの業務をしなくなった。寂しさも多いが、物価高、厳しい社会なったので、飲食系はしんどいなと思うな・・・。今日の雑感。

熱く!前へ!

暑い夏と一緒に

久し振りに福岡へ。朝にみっちりとご指導をいただき、昼からは柳川へ。柳川ははじめての場所で西鉄に揺られて、50分。ウナギをいただき、川下りを楽しんだ。川下くだりに関しては、夏に行くものではなかった。さすがに暑すぎる。1時間の川下りの風情もいいものだが、やはり歳をとってから行くのがいい場所な気がする。歳に応じて、楽しみ方があっていいと感じる街並みである。少し残念なのは立派な神社があったのだが、行くことができなかった。これは心残りではあるが・・・・。いずれにしても一度、行ってみたかったので、その機会に恵まれたのはよかったように思う。

イライラする

溜め込むのか、すぐやるか

とかく相手先に不備のものや質問等で投げかけて、その返事、返答がないので、仕掛が増える。だから僕の周りは完了しない仕事で山積み。ほんといらいらである。その場しのぎで「はいはい」と聞いたふりをして、またあとでと思うんだろうが、その時に解決しないから、繰り延べてうやむや。またこちらからアクションをおこすということになるんだろうが、ほんと疲れるし、いい加減にしてほしいと思うところ。僕が見てきた人間から言うと、溜めるのではなくその時に解決していく人の方が仕事はできる。また信頼度は高い。嫌なことこそ「いま・ここ」で処理する。その姿勢が大切である。しかし、世の中はそれが出来ない人の方が多い。この人はよくできないと媒介するまでに、僕に「心の筋肉」をつける鍛錬が必要になる。後回ししてもよくないよ、解決できるところは処理する、時間を要したり、判断がその場でつかないなど、出来ない部分だけ後にしないと、結局、溜まるだけ。日常に流され、知らんぷりに。会社員なら出世しないよね。でもその人は仕事できると勘違いしている人が多い傾向と思うが・・・。

久し振りに呉へ

仕事にて

呉に行くことはあまりない。僕も一時期、何かと用事もあったので、よく行っていた。身近な地域で親近感もあるのだが、ほんと滅多に行くことはなくなった。なので、久しぶりに呉に入り、懐かしい気持ちで一杯。たまには呉冷麺の珍来軒へ。運よく開店前。うまく食することができた。呉はなんか活気という点で年々、衰えている気がする。呉の人の豪快な気質も好きなのだが、触れ合うことがなくなってきているので、寂しさもある。コロナもあったし、自分の考えも変わった。一人でいたいことも多くなったのもあるが、まあ広島県に住んでいるんだからもう少しかかわりもあっていいなと思う土地である。妻の出身地でもあるし、息子も呉で生まれたわけで、そんなゆかりもある土地柄なんだから。

諦めるしかない

殊更思うこと

相手のことを「これくらい」はできるという前提で物事と向き合っていても、相手にその能力がない場合、結論的にはにっちもさっちもいかなくなる。要は「ようしない、やり切れない(やる能力がない)」という風にあきらめるしかない。失望もしかりだが、そう思うようにした。これが僕なりの結論である。この近年、こういうことでイライラすることが多く、じょちょ不安定になる。会社がどうのとか、そんなことを聞いていない。「あなた」に期待して、信頼してその物事を頼んでいるのだ。これがお金が絡むことになるからややこしい。その場しのぎがばれ、いい答えは導けないのも仕方ないのかと思いながら。改めて人付き合いは難しい。昨日と同じような話だが・・・。

雪崩のように運気が悪い

人には裏切られ、それでも生きる

ほんと小さないい話があって、ぬか喜びをすると、少しの時間で奈落に落とされる。そんなことが重なっている。人間不信にもなっているが、どうも落ち着いて検証すると、その人にその器がないにも関わらず、大きく見せた器や、あるいはその場しのぎのことが大火事になっているケースではないかと思う。たとえばと言いたいところだが、愚痴にしかならないので、辞めるが、あんまり「情」を出さない方がいいのかなと思ったり、人とのかかわりを辞めた方がいいかなとかいろいろ思うものである。先日、書いたが、「淡交」。これに尽きるような気がしている。嫌気がさすので、基本的に今は自分を塞ぐしかないように思うもの。ああ、何かいいことないだろうかと思うのだが。

旅立ちの時

新たな門出と寂しさ

人は環境を変えたいなと思うことはしばしばあるのではないか。僕も広島は大好きであるが、違う場所に移り住んで人生をやり直したいと思うことはよく思う。今は望みが叶うのなら東京に帰りたい。戦友が海外に就職すると連絡があった。出会ってからはたくさん助けてもらったし、気も合ったのでよく連絡もしていた。仕事的にはコロナも合ったりと苦しいことが多かったようだが、ほんと休みもなしでよく頑張ったと思う。一区切りついたこともあり、海外へ移住を模索していたが、彼の念願は叶った。しかし、一抹の寂しさはある。いくら多くの人と付き合っていても、そう気の合う人間は少ないものだ。そう思うと、旅立ちの応援と寂しさという心の渋滞はあるが、これも人生なんだろう。環境が変われば、また人生も変わってくるだろうと思う。

君子の交りは淡きこと水の若し

2024年上半期を振り返り

昨年の今頃から一人になる時間をできるだけ作るように、人とのかかわりを弱め、40代の棚卸をきちんとして、50代へジャンプアップしようとするライフスタイルを変えるようにした。しかし、これまでよりは一人になる時間が出来たように思うが、僕が望んでいるほどではない。荘子にある「淡交」。こんなことを思い出した。君子の付き合いは水のように淡泊なので、その友情は永続きするというところから、あっさりした交際のことを指すが、これくらいがちょうどいい加減ではないかと思う年頃なのかと思う。また若いころによく口にしていたことがあり、女優の原節子さんが一線の走っている際に、鎌倉に隠居し、忍びながら生きる。鎌倉好きな自分でもあるので、殊更彼女のような生き方にも憧れた。このこともよく話するようにもなった。節目というか、最近は、頭の中に張り巡らせるようになった。
上半期で感じたことは、本質をよりよく考える人は少ない。付和雷同。この傾向を感じることが多くなった。「淡交」をしなければならないんだなと。人の裏切りも多く、神髄をつけば、衝突する。裏を返せば、これを理解して向き合わなければ、排除の論理になる。こういう人間模様も得た。
それにしても、時の経過が早いなと思う所感。改めて「淡交」、生き方として必要と感じる今日この頃。

漸く行けた

立命館時代の思い出

なかなか上京がままならず、谷口正和先生へのお礼が出来なかった。ようやく事務所へ参上することができた。コロナもあって、ご無沙汰していたが、生きたうちにもう一度お会いしたかったものだ。生前、あれだけお世話になりながら、恩返しもできず、これからこうご期待と言おう。まあそこまでにはなれないかもしれないが、もう少しもがいてみることにする。上京すると、あれやこれやあって時間が足りない。ほんと東京は過ごしやすい。ほんと引っ越して新たなスタートを切ろうかどうか考えるときもあるが、そういう風にはならないよね・・・。