やはり特別な場所
庄原で過ごした時期は生まれてから2年弱しかないが、僕のプロフィールは広島県庄原市生まれであり、僕にとって特別な場所である。県北は心が落ち着く。やはり地の血があるというか、そういうものを感じることがある。今回、墓参りをし、僕が生まれて過ごした家の位置を教えてもらった。長屋はもう今はないが、線路沿いに家があったことはかすかに覚えている。もし庄原でそのまま大きくなったら、どうだったろうと思うこともあるが、庄原はやはりいいところだなと思う。行くのにびっくりするほど遠くはないが、行くまでにどうも遠いなといつも思うが、着くと心は近づく。戻る家がないのが寂しいが、なんかしらで庄原と接点が残りの人生で持てれば幸いなのだが・・・。小さな僕の希望である。
父親の美徳
3番目の卒園式。長い幼稚園生活が終わりました。僕にとっても子どもの入学式や卒業式に行くことは今後ないと思います。父親までずっとべったりではなく、父親はしっかり働き、家族を支える。お父さんは忙しくていけなくてごめんねってするのが、父親の美徳と思うんだけどな・・・。昭和のにおいのする親父でいたいと思う。ひとまず卒園、おめでとう!
お気に入りの場所
子どもたちは大久野島が大好きで、1年に1度、島へ行く。ネットで見たが、観光客が減り、ウサギの餌不足でウサギがいなくなったというが、ほんと少なかったように思う。これまではどこもかしこもウサギという感じだったが、そんな気配もなく、探す方が大変な気がした。同じウサギに人が集中して、餌を与える。過剰になっている感もあり、観光地というところはやはり外部の人が頼りなんだなと感じるシーンであった。大久野島はもっと人が来る場所になると思うが、何か独占感があるのか、努力を感じない。何かもったいないなと思いながら、いつも思うことである。また行きたいと言うのだろう。
ビジネスの創出
既成概念にとらわれ、新しい発想や思考というのものを遮ることが多い。可能性を否定せず、ゼロベースで考えていく。その中で新しい価値を創出すること、これは理想である。昔も考えたことはあるが、検定ビジネス。検定ビジネスを手伝ってほしいと言われ、少し噛んだことがある。ビジネスの新しい切り口がないだろうかと思い、読んでみようと思う。それにしても、Aのことを愚直にやっていくことで、成功するという方程式は今の時代、難しくなった。とにかく貪欲に知識経験を積んで、面白いなと思うことをやりたいと思う。
毎年、毎年進歩なく・・・
ただただ忙しい時期が今日で終わる。この仕事を続けている以上、年明けからずっと忙しいし、正直、他のことを考えている余裕さえない。毎年、自分は何をやっているんだろうといつも思うことだ。この時期でしかできないことは全て我慢しなければいけない。そして何より充実感がないのが、寂しい。自分の仕事について、悩む時期だ。幸せと思うこともそうでもないかなと思うこともいろんなことを感じ、悩む時期。季節は春、スタートという気持ちにもなる時期なのか。ひとまず3月15日、確定申告も一応、終わったとさ。
情報操作と戦い
何はともあれ、戦争が気になる。とにかく戦争はよくない。1秒でも早く終わらせないといけない。ウクライナの大統領のメディアの使い方が絶妙とも思い、昔の本を引っ張り出した。メディア論は勉強した方だと思うが、やはり昔のこと。改めて勉強してみると面白い。忙しいので、ゆっくりできないが、あれこれ関心が出てきている。あれやこれや。忙しい時には何かが動く。
晴れのち時々曇り
忙しくなりすぎると、特に人に会うことを避けたくなる。電話もそうだ。一人になりたくなり、感傷にふける時間が必要になる。何か悪いことをしているわけではないが、とかく人目を避けるようになる。交流をするのが嫌になるのだ。それは新しい出来事に伏し目がちになるのか、よくわからない。こういうとき、都会がいい。都会にいると、雑踏の中の一人。僕という存在はとてもなく小さな存在である。その小さな存在でいるときも必要なんだろう。それにしても、疲れる毎日である。
自主勉強
長男に関しては、わからないことを貪欲に調べていく姿勢があり、図書館へ自分で行き、調べるということもしているようなので、僕は役立ちそうで、息子が知らないであろうモノを渡す。そして、息子は自分で読み、いろいろ検討する。今回、この本を思い出して購入してみた。日本国勢図会のジュニア版である。作物がどうの、工業がどうのこうのといろんな統計が書いてある、大人が読んでも十分に勉強になる内容。親が子供に何かを教えるというのはなかなか難しいもので、何かを渡し、ここで話をするというスタンスである。下の子どもにも同じようにしたいが、どうもタイプが違う。しかし、それぞれに学び方はあるので、それに準じればいい。内容がちゃんと頭に入っていなければ意味もないのだから。
日々の雑多に追われるばかりで
ウクライナ情勢を考えると、心が痛み、平和である幸せを感じる一方、この時期が繁忙期であり、とかく忙しいばかり。毎日、目の前のタスクをただただこなすという虚しさ。仕事がある幸せという側面、ぽっかり空いた心のスキマがある。幸せというのは何なのか。抽象的な子のワードの解題はおそらく生きているうちに解けない気がする。それにしても忙しい・・・。一日、完全燃焼で燃え尽きて生きているのは何だろう。
明かりをつけましょ・・・
男兄弟で育ってきた僕としては3月3日ひなまつりは関心のない一日であったが、娘が出来てからは意識が強まった日である。お雛さんを飾るほど大きな家ではないので、小さな人形を飾っているが、それをみると女の子の祭りだなと思う。息子には端午の節句もどうのこうのと言われてしまったが、端午の節句って何かやったっけと思いながら、平凡な時間を過ごしたとさ。おしまい。