ステイホーム
コロナで軒並み、営業自粛が広がっている。飲食店も静かに足並みをそろえているが、やはりにぎわいがなくなり、寂しいものだ。コロナとは言え、みんなのイライラも、自分もイライラ。かり蔓延しているように思う。飲食店は閉塞打開の一手として、テイクアウトに力を入れている。力を入れるのはいいが、テイクアウトをするにも許可がいる。3類の仕出しの許可を保健所にとらないといけないわけだが、これをとらずに、コロナ危機だからとすすめているところが多い。コロナで危機なのは承知しているが、保健所の取り扱う食中毒の類は別物であり、やはりここは規制がかかるのではないか。この前も寿司やが食中毒が発生したとも報道があったが、是非ともこの点は、きちんとした体制をと思うものだ。テイクアウトは家で過ごしながら、外出した気持ちにも少しはなれる。たまには家庭でもいいのではないかと思う今日この頃だ。写真は炭火焼肉黒焼 のオードブルである。
時間がない?時間ある?
日々、時間がないないと生きてきたように。いや言い訳をしていたのかもしれないが、やりようがないことが多く、その分の時間があるのかもしれない。だから仕方もないし、勉強でもしようかなと。勉強を日ごろしていないとも思わないが、がばっとやろうかなと思いはじめている。ピンチはチャンスか。オンライン飲み会とかはやっているみたいだが、どうも家でお酒を飲むというのが気が進まない。盆正月程度しか家でお酒と思わないもので、どうしても飲みたければ外へ出る。毎日、お酒が欲しいほうではないし、まあ今回を機に生活を変えていくことも考えなければいけないかもしれない。
危機対応
僕は大学というところには何か所も通わせていただいたし、学術研究などから大学とのかかわりはある方だと思う。今回、いろんな大学を見て、お粗末な学校、素晴らしい対応、学校の差がはっきり出ている。事務局の対応なんかははっきりわかるものだ。ダメな学校はほんとひどい。今回、素晴らしいと思ったのは、慶應義塾大学SFC(https://www.sfc.keio.ac.jp/news/014513.html?fbclid=IwAR27DRlDmbH8m7uqn7I4llLrKihAx2pymVs7RevyNapjJWs-lUMfAp2mb3c)良ければ、サイトを覗いてほしい。
新入生・在学生のみなさんへのメッセージ
環境情報学部長 脇田 玲
家にいろ。
自分と大切な人の命を守れ。
SFCの教員はオンラインで最高の授業をする。
以上。
という短いメッセージだが、十分に伝わる。親になって特にわかるが、こういう学校なら、一生懸命働いて学費出したいと思う。生活が苦しくても。一方で、こんな学校なら行かせたくないという学校も明確に分かった。これは大学にある風土や文化が露出したと思える。大学もいち早くオンラインを導入し、なんとか暗中模索の中、頑張る学校。ただ延期ということで指をくわえている学校・・・。役務の提供をしないのなら、学費は返すべきと思う。皆さんはどういう学校にいたいのか。これからは変化に対応ができる学校が生き残る。大学が過剰な中、どうするのか。僕はこういう危機的な状況化、対応をどうするのかを冷ややかな目で見ていたい。
それでも前に進まないといけない
僕は人間ができていないので、なかなかその境地までたどり着けない。その境地とは何か。今の状況化、これからのアフターコロナに備えて、今、十分に力を蓄え、よくなったときに飛躍できる体制を作る。努力を今こそすべきだということ。漱石にしろ、ロンドン留学で。鷗外も小倉左遷で。苦境の時に踏ん張ったし、自分自身と格闘したわけだ。今、そんなときなのかなと思う。前向きにならないといつも思うが、毎日毎日、コロナのことで世の中暗い話ばかりである。だからこそと思うが、そうならないのも人間の姿なのか。いずれにしても長期戦が予想される。つまり、やるしかない。思いを新たに思う次第。文学はやはりいろんな示唆を与えてくれる。
負け犬の遠吠えか
生きていると勝ち組と負け組と人生を識別する人がいる。もしその区分に当てはめると、僕は人生、負けっぱなしのまま、人生の半分を生きた。ユングは40歳を人生の正午といったが、43歳の僕は今、人生の午後を過ごしていることになる。その午後になって、やはり殊更、思うことは人生で勝ってきた人は、人を見下したり、区別したり、説法したりと人の気持ちが分からない人が多いような気がする。だからあまり僕もインテリが集まるところにはいかない。好きではないからだ。人生はいい方がいいが、それぞれ価値観も違う。負け組にも負け組の意地がある。かつてお付き合いのあった先生も明らかに人生の勝ち組で、俺のようにやれば成功するいった方程式を解く人だった。その周りの人は幸せになったのか。僕はその人といて不幸せになったので、合わないことにしたし、没交渉にした。社会情勢が不安定の中、僕自身も生き方を問われているような気がする。もう40歳を過ぎて、考えるわけだ。残された午後に生かされた社会にどう貢献できるのかと真剣に問う毎日である。
20年前の記憶
かつて東京にいたころに、日本語教師の資格を取得した。留学をしたいと思っており、お金がかかるので、留学先で何かできないかと考えたら、外国語としての「日本語」を武器にしたらどうかと考えたものだ。日本文学を専攻していたので、「日本語」と「日本文学」の接点を探るということは、意義が大いにあった。またその頃は、日本語ブームと言われていた時代で、巷に雑誌などにもよく取り上げられていたと記憶する。そんな最中、この日本語教師たるものがひょっとしたら活用できることになるかもしれない。当時のいろいろはあまり覚えていないが、この前、実家の整理をしていたら、終了証など出てきたとか、なんかつながるのか。点が線になるのか。やはり人生無駄なことはない。教科書を読みなおすと、何となく思い出したような思い出せないような。20年前の僕も悩んでいた。今と変わらない。でも20年前の僕は,20年後の僕は想像できないだろう。振り返るには早いが、その後の20年は激動である。
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ピンチはチャンス?
コロナウィルスの影響は日に日に広がっており、負のスパイラルである。それでも日は登り、今日が来る。だからいろんな打開策を練って明日に繋げることが必要であるが、策が浮かんでこない。僕もMBAは終了させてもらった。一応は勉強したつもりである。ビジネスの種というか、こんなときに仕込んでおく、打開策となる一手を打って、状況を打破したい。そう思いつつ、何も手を打つ策が浮かんでこない。無力そのものである。そうなると、日々のことをコツコツという帰結になるが、それは当然の前提であって、それ以上もそれ以下でもない。自分の無知無学を感じるとともに、それでも進まないといけないので、知恵を総動員して考え抜き、行動したいと思う。みんな持ちこたえられるだろうか・・・。自分もそう。明るい話題の中、元気に過ごしたい。
はじめての経験を経て
秋口からずっと突っ走ってきたせいか、身体の異変を感じ、数日にわたり、血液検査や内視鏡、CTなど診断、検査をしていただいたが、何も異常なかった。ほっとした。過労や心労かもしれない。内視鏡もCTもはじめての経験で、不安と恐怖であったが、やはりこういう検査でないとわからないらしい。40歳も過ぎれば、いろんな異変も出てくるだろうが、とかくこの数か月は体にすごく負担のあることの連続であったので、傷んでいたのだろう。コロナの件もあるから、できれば病院には行きたくなかったが、先に延ばしてもいつかくることである。やらにゃあいけんときはやらにゃあいかんのでしょう。
もう時間がない
コロナで世の中、大パニックだ。感染爆発、ロックダウン….言葉も踊る。世界中が大混乱しているが、日本もとんでもないことになっている。経済はボロボロ、ほんとどうなるんだろうか?現金給付でいくらとか、所得制限だとか、商品券、お肉券、お魚券など。いろんな案がでているが、ひとまず仮払でもいいから、一律支給すべきだ。家賃が払えない、生活費が不足しているなど、ほんと困窮している人もいるわけで、もう時間がない。一説によると、5月末にどうのこうのとか言ってる場合ではない、早く支給、手当てすべきと思う。何のためにマイナンバー制度を構築しているのか、活用すべきだし、迷っている時間がもったいない。こんなことを誰もが予想はしていなかったと思うが、あれこれ言ってる場合でもないと思う。政治家の真価も問われる。国だけではなく、地方もそうだ。先の見えない戦いに途方に暮れるが、ここはみんな力を合わせて乗り切るしかない。
人の領分
世の中にはいろんな人がいる。実力のある人、ない人。大きく見せたい人、目立たない人、欲がある人、ない人・・・。様々だ。かねがね僕が言っていることがあるが、やはり自分の器以上のことはやはり難しいということだ。自分の器以上でもちょっとあふれるくらいであれば、何とかやっていけるかもしれない。しかしそれ以上を求めると、メッキはすぐはげる。等身大でいい、無理しなくてもいい。それでも価値は十分にあるということ。その意味では僕は頑張りすぎない。僕も人にはよく見られたいと思うが、どう頑張っても勝てそうにな人によく会うので、自分の生きる領分を考えるものだ。自分にも戒めにもなるが、実はそうではないかといつも思う。40歳もすぎれば、妥当な考えか・・。もっと頑張るべきなのか。答えは自分自身にある。