その他

日本語教育

20年前の記憶

かつて東京にいたころに、日本語教師の資格を取得した。留学をしたいと思っており、お金がかかるので、留学先で何かできないかと考えたら、外国語としての「日本語」を武器にしたらどうかと考えたものだ。日本文学を専攻していたので、「日本語」と「日本文学」の接点を探るということは、意義が大いにあった。またその頃は、日本語ブームと言われていた時代で、巷に雑誌などにもよく取り上げられていたと記憶する。そんな最中、この日本語教師たるものがひょっとしたら活用できることになるかもしれない。当時のいろいろはあまり覚えていないが、この前、実家の整理をしていたら、終了証など出てきたとか、なんかつながるのか。点が線になるのか。やはり人生無駄なことはない。教科書を読みなおすと、何となく思い出したような思い出せないような。20年前の僕も悩んでいた。今と変わらない。でも20年前の僕は,20年後の僕は想像できないだろう。振り返るには早いが、その後の20年は激動である。

 

 

無力なMBA

ピンチはチャンス?

コロナウィルスの影響は日に日に広がっており、負のスパイラルである。それでも日は登り、今日が来る。だからいろんな打開策を練って明日に繋げることが必要であるが、策が浮かんでこない。僕もMBAは終了させてもらった。一応は勉強したつもりである。ビジネスの種というか、こんなときに仕込んでおく、打開策となる一手を打って、状況を打破したい。そう思いつつ、何も手を打つ策が浮かんでこない。無力そのものである。そうなると、日々のことをコツコツという帰結になるが、それは当然の前提であって、それ以上もそれ以下でもない。自分の無知無学を感じるとともに、それでも進まないといけないので、知恵を総動員して考え抜き、行動したいと思う。みんな持ちこたえられるだろうか・・・。自分もそう。明るい話題の中、元気に過ごしたい。

 

身体を調べる

はじめての経験を経て

秋口からずっと突っ走ってきたせいか、身体の異変を感じ、数日にわたり、血液検査や内視鏡、CTなど診断、検査をしていただいたが、何も異常なかった。ほっとした。過労や心労かもしれない。内視鏡もCTもはじめての経験で、不安と恐怖であったが、やはりこういう検査でないとわからないらしい。40歳も過ぎれば、いろんな異変も出てくるだろうが、とかくこの数か月は体にすごく負担のあることの連続であったので、傷んでいたのだろう。コロナの件もあるから、できれば病院には行きたくなかったが、先に延ばしてもいつかくることである。やらにゃあいけんときはやらにゃあいかんのでしょう。

 

現金給付について

もう時間がない

コロナで世の中、大パニックだ。感染爆発、ロックダウン….言葉も踊る。世界中が大混乱しているが、日本もとんでもないことになっている。経済はボロボロ、ほんとどうなるんだろうか?現金給付でいくらとか、所得制限だとか、商品券、お肉券、お魚券など。いろんな案がでているが、ひとまず仮払でもいいから、一律支給すべきだ。家賃が払えない、生活費が不足しているなど、ほんと困窮している人もいるわけで、もう時間がない。一説によると、5月末にどうのこうのとか言ってる場合ではない、早く支給、手当てすべきと思う。何のためにマイナンバー制度を構築しているのか、活用すべきだし、迷っている時間がもったいない。こんなことを誰もが予想はしていなかったと思うが、あれこれ言ってる場合でもないと思う。政治家の真価も問われる。国だけではなく、地方もそうだ。先の見えない戦いに途方に暮れるが、ここはみんな力を合わせて乗り切るしかない。

人の器

人の領分

世の中にはいろんな人がいる。実力のある人、ない人。大きく見せたい人、目立たない人、欲がある人、ない人・・・。様々だ。かねがね僕が言っていることがあるが、やはり自分の器以上のことはやはり難しいということだ。自分の器以上でもちょっとあふれるくらいであれば、何とかやっていけるかもしれない。しかしそれ以上を求めると、メッキはすぐはげる。等身大でいい、無理しなくてもいい。それでも価値は十分にあるということ。その意味では僕は頑張りすぎない。僕も人にはよく見られたいと思うが、どう頑張っても勝てそうにな人によく会うので、自分の生きる領分を考えるものだ。自分にも戒めにもなるが、実はそうではないかといつも思う。40歳もすぎれば、妥当な考えか・・。もっと頑張るべきなのか。答えは自分自身にある。

体のメンテナンス

いい機会

10月から突っ走って生きたせいか、どうも体調がすぐれない。なので、明日、CTや内視鏡検査をすることにした。これまでやったことはないが、医者の先生もいい機会だと思いますよと言われ、ちょっと調べてもらうことにした。今日一日は、写真にあるような検査食。食べられるだけ幸せと思わないといけないんだろうが、白がゆとか食べた記憶がないくらい、はじめてかもしれない。それにしても、40歳過ぎてから体調が変化しているのがよくわかる。何もないことを祈るが、若いころと同じようにはならないと思いつつ、若いころと同じ感覚で動くことがある。ほどほどにしないといけないのだ。いずれにしても、体のメンテナンスは必要。健康でないと結局何もできないのだ。どんな偉い人もそうだ。定期的なセルフチェックの機会となるかもしれない。まだまだ健康に暮らし、社会に活躍していかないと思う次第。

新型ウィルス

社会が崩壊する

昨日、小中高の春休みまでの休学が発表された。新型ウィルスはどんどん感染拡大が進んでいる影響であるが、社会の手当てができていない最中で行うので、先行き不安である。歴史的に見れば、世界大恐慌、戦争というような流れになるような気がしてならない。イベントも各種中止、正直、オリンピックなんかやっている場合ではない。経済はどんどん疲弊する。銀行だってつぶれていくのではないか、とにかく悪いスパイラルが続き、どうにもこうにもならない。最初の初動が失敗しているような気がする。感染拡大を防ぐために、鎖国でもすべきであったように思う。打つ手がどうしても後手後手に。とにかく悪い予感が当たらないように。一刻も早い終息をと思うものだ。こうしたときに災害とか、別の大きな事案が出ないことも願う。なお、コロナウィルスの写真(https://www.joetsu.ne.jp/105632)はここより拝借しております。

 

 

長崎にて

長崎ランタンフェスティバル

先日、はじめて長崎に行ってきた。かねがねこの祭りのことを、絶賛する人がいたもので、一度は行きたいと思い、早くからホテルも確保した。あいにく雨の長崎になったが、きれいなランタンが街中に彩り、圧巻だった。街があまり広くないこともあり、いろいろ回ることもできた。新地中華街、めがね橋・・・、もう少し時間をかけて長崎を巡りたいものだ。長崎旅行で残念であったのは、軍艦島に行けなかったことだ。雨の影響もあり、船がすごく揺れるということであきらめた。しかし、それでもなお、稲佐山、平和記念公園など回るところも満載。何よりランタンフェスティバルは、また行きたいと思うものであった。祭りの在り方も参考になる。あまりにも祭りが増えすぎたように思うが、こうした特徴のある祭りはぜひ継承してほしいものだ。地域活性化への契機になるはずだ。また機会を作ってまいりたいと思う。

 

新事務所へ

激動の2か月を経て

父の死去から、いろんなことがあり、怒り怒り怒り・・・、ここでは書けないようなことが続いた。逃げる・ごまかす・嘘をつく、最低なクズ対応は怒り心頭であったが、それでも前へ。前へ進み、自分たちの大事なものを守る。承継する。とにかく前向きにとらえ、進んでいくことを念頭に動き、事務所は再編。再編と同時に引っ越しも行った。未だ片付いていないのもあるが、やはりまだ落ち着かない。事務所が広くなり、人員も少ないため、なんか寂しい。寂しいが、なんかせわしい、忙しいで毎日を過ごしている。あれもこれもやらないといけないというのが頭を垂れながら、新しい時代へ。とにかく頑張るだけ。一歩一歩進めていこうと思う。

新年のあいさつに代えて

岸保宏

ブログも長くお休みをさせていただきました

明けましておめでとうございます。昨年、10月に父親が急死し、翌月、母親が入退院、仕事も再編、引っ越しなどほんとすごく忙しい日々を過ごし、新年を迎えました。さらに博士論文も大詰めにきており、てんやわんやとはまさにこのことか思う次第で、待ったなし毎日でした。いろんな感情が行き来しながら、それでも前を向いて生きていかなければいけない。確かにつらい毎日でしたが、新年、心機一転。今年はめらめらと熱くなってきたし、闘っていきたいと思っています。仕事面でもプライベート面でもしっかりやっていきたいと思います。よく落ち着いた?と聞かれますが、まったく落ち着く気配もなく、何かとせわしい毎日が続いています。この春までに博士号の取得、これはマスト。読み直してみると、自分でも粗いと思うところもまだあるもので、もう少し研ぎ澄ます必要があるでしょう。仕事面では、新体制で取り組んでいくわけですが、基盤を再整備して、力を備える。顧客に向けてきちんと丁寧に向き合う。一歩一歩進めていく所存です。昨年は喪中で皆さんへのあいさつはご遠慮しました。皆さんにとっても良い年になりますように、僕も負けじと頑張っていきます。そんなこんなで忙しい日々は続きますが、少しずつ人にも会っていこうと思います。ブログなども再開を少しずつしていきます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。