その他

薬局での出来事

丁寧と迷惑の間

うるさい日本の私。病院でさんざん待たされ、診察。輪をかけて調剤薬局でさんざん待たされるという経験はないだろうか。今日は調剤薬局で出来事。近年、ジェネリック薬品が普及され、それを積極的に活用していこうという動きがある。それは知っているが、それを必要以上に勧めるのはどうだろうか。調剤薬局は国策により、ジェネリックを一定程度、仕入普及させることが必須となっているが、それは要は僕から言わせれば、在庫処分である。その在庫処分によって、加算がつき、薬局は儲かると仕組みにもなっている。よく考えてみてほしい。もし本格的にジェネリック薬品が必要であるなら、処方を出す前に医者がその処方をするわけで、だいたい診察の際に、薬の説明は受ける。どういう効果で強い弱いといった効能まで。自分が聞きたいことはそこで聞く。だから調剤薬局ではほぼ聞くことはない。必要であれば聞く。にもかかわらず、時間をかけ、顧客を待たせる。調合が必要な薬なら手間がかかるのはわかるが、錠剤などは処方に従って、その個数を数えて、袋に入れ計算する。これだけだ。手が遅いのも非常に困る。それもそうだが、ジェネリック薬品は僕は断っている。効用も落ちるよ。当たり前だ。必要であれば、先ほど言ったように処方の段階で、そうしているからだ。利益を追求したいのもわかるが、ジェネリックを勧めることで、時間の浪費は避けてほしい。顧客になるとわかるよ、さんざん医療で時間を費やし、家に帰って体を休めたい。何かしら体が悪いわけだから。今一度、考えてほしいものだ。

終戦(秋の気配)

4連覇は遠く

わずかながら期待していたカープの4連覇は、夢とかした。 現実には0%ではないが、ほぼ厳しいだろう。今年は、基本的、初歩的なミスが多い。先頭バッターを簡単に四球を出すとか、エラーの多発、采配ミス(好き嫌い采配もある)も多く、目に余ることしばしばであった。毎年、勝てるとは思わないが、今年も各球団決定打のないまま、進んだペナントレースなだけに忸怩たる思いはある。何とか制することはできたと考えている。3連覇の疲労というのは、今年はかなり出たのも間違いないが、それを見越した補強もすべきであった。2つのトレードはうまくいっていると思うが、こうした効果的な補強をもっとやるべきで、それを怠ったのも間違いないだろう。ひと昔ならCS進出で盛り上がるであろうが、目が肥えてしまっている。冷静な視線をファンも持ち合わせた。やはりペナントを制すること、144試合の総集が物語る。今年はチケット確保もままならず、異様であっただけに、失望感もひとしお。残りの消化ゲーム。あまり僕にとっては見所がない。それでも日本シリーズ進出となれば、浮かれているんだろうが・・・・。

コンサルタントの選択

迷える子羊

人を多く知っている経営者にありがちな点。多くの情報を得てしまうが故に、前に進めない、判断できないということないでしょうか?経営相談やアドバイスを受けるにしても、一つの事象であっても、百人いれば百通りあるのアドバイスがあるとすれば、やはり迷うもの。経営者は孤独、聞いてもらいたい、それはそうかもしれないが、コンサルタント(外部専門家)を絞り、その人のことを聞くことだ。聞くと言っても、最後は経営者が判断すればいいのだが、あれもこれもというのがよくない。いい匂いがすればいい匂いの方へ。殊更、蟻地獄に入ってしまう。僕は、その会社にそういう役割の人がいれば、ほぼ何も言わないことにしている。迷うから。経営課題で分野が異なる場合は、その領域を超えないように考えるが、まあやはり多様な情報は時に害になる。コンサルタントも仕事にしようとするから、あの手この手、プレゼンをするだろうが、経営者の見極めも大切。選択は難しいものだ。問題の解決はなかなか至難の業だが、そこを乗り越えていくのも経営者の試練だ。経営とは何か、こういった根本の問いにはしばし考えることは多々あるのではないだろうか。

夏の長期休みー最終日の巻ー

松江に

今年の夏休みはいろんなことがあって、ゆっくりしたとは言い難い。最終日なんで、ちょっと遠出をしようということで、松江に訪れた。3,4年前を最後にご無沙汰している土地であった。たまには城に登るかと、これも松江城、久しぶりに登ってみた。松江城は確かに行ったことがあるが、記憶にあまりない。歩いていると、何となく思い出してくるかと思ったが、これもなかった。しかし、松江城は現存の天守であり、なかなかのものである。広島を起点にすると、日帰りでも結構なところに行けるものだ。まあどこを起点にしてもそうだが、こうやって違う土地に来ると、気分も変わる。そして観光客として、違う目で街を見れる。十分に楽しめた。子供と一緒に行けたことも、非常に良かった。この日は鉄砲隊の実演という、1か月に一度の機会にも恵まれた。お堀の周りの船も乗ってみた。街並みをもう少し味わいたかったが、時間切れ。温泉に入って帰路に着いた。また数年後に訪れたい。

 

過去の写真より

フェイスブックをやるたった一つの事由

前回、書いたように何かせわしい。せわしい中、懐かしい写真が出てきた。フェイスブックの過去の思い出というやつだ。長男である。もう今年で8歳になる。第一子であり、子育ても素人。手探りの真っ最中、たぶん1歳にまだなっていなんじゃないか。長男だけであったが、よくこの策をかじっていた。他の子はかじらなかったが、何を主張しているのか、当分前の話なので覚えていないが、とても懐かしい写真で、息子らしい顔だ。息子にも見せてみたが、笑っていた。写真は一枚で物語れる素晴らしさがある。ところで、この写真はFBであるが、僕のFBの継続事由はこの過去の思い出の機能がとても好きで、これだけが動機となっている。だれそれが何をしたとか、うまいもの食っているとか、全く関心がない。その時を振り返り、思うことがあるもので、それがあるといい時もある。同窓会とか、ああいった類は以前も書いたが、興味がないが、こうしたものはほっこりする。僕にとって宝物である。そんなに遠くないと思う時間だが、もうだいぶ経過した。あっという間に時が過ぎる。そう思うと、今の時間を大切にしなければといつも思うのだが・・・・。

忙しいというよりせわしい

暑いだけでいらいら

雑多、いろんなことがあって、落ち着かない、いらいらした毎日である。最近、忙しい?と聞かれたら、タイトルの通り、忙しいというよりせわしいと答えている。まず自分のことも抱えているものが多いのに、他のことで動かなければいけないことが山積で、それに追われていることもある。だから充実もしていない。解放されたいという気持ちもありながら、これ以上、やることは増やしたくない。まあ弱ったものだ。一応、お盆休みを迎える。ちょっとクールダウンしたい。ブログも休憩していたので、少しずつ空間を埋めていきたいと思う。暑いので、まあぼちぼちとやります。

一つの物事の見方

テクストは死んだ

参議院選挙も終わり、少し静かになった。この場面から思ったことから。自民党とれいわ新選組が述べる今の日本が全く違う。同じ日本に住んでいて、別のところにいるような感覚になるほど、違うなと感じた。事実は一つであるが、解釈はさまざま多様であると言いたいのだが、選挙を通じて、今回、そのことを強く思った。どっちが正しい間違いの議論ではなく、こうも違ってくると、何が真実で、何が事実なのかさえ疑ってしまう。しかし、たまたま選挙を例にしたが、世の中、こうしたことはたくさんある。日常の生活の中でも多くないだろうか。本質的なところは冷静に物事を見て判断することに帰結する。そして語り手によって、主語によって、その対象となるモノ・コトは、それによって解釈という色を付けて、発信される。今回、僕自身もいろいろ考えさせられた。客観的な視点で判断をしていくこと。改めて感じる。今回の選挙の例からも、自民党とれいわ新選組の内容を比較すると面白い。

 

 

ファミリービジネスのゆくえ

親子で仕事を共にすること

どこの家も同じだ。親子でともに仕事をしている2世の友人と一緒した。彼がここまで思っているとは思わなかったが、自分自身とたいして変わりない。目立ちたい親、あるいは変えられない思想、変えたい子供。時代とともに。自己顕示欲が強く、自分が会社を大きくし、維持してきた自負の部分はわかるが、時代も変わり、「継承」していかないといけない現実。いつまで親の政権を維持し、継続するのか、時は刻々と過ぎ、子供もいい年齢になる。親子のせめぎあいを感じた。うちでも、同じような感じで彼のところよりまだひどかったし、やはりいろんな人に会ったりということの経験が薄いんだろうな、そして理念なく、成り行き任せのところが多分にあったので、ついてくる人もそうはいなかった。いろいろ考えると、親子でともに仕事をするのは避けたほうがいい。僕の経験則からもそう。同じ境遇の人の話を聞いてもそう。間違いないと思う。企業は1代限りがいい。僕は親の交通事故というところから、入って逃げるに逃げれなくなってしまっている。たくさんのチャンスも失った。いい部分もあったが、通算するとやはり悪い部分の方が多いのではなかろうか。自分の子供とは、仕事は共にしない。その方がお互い幸せ。僕が社会の居場所を求めて、しがみついているかもしれない。そんな無様な姿で、子供はついてくるのか。夢おやじで最後まで生きる。でも巻き込まない、取り込まない。親子の確執は深い。大塚家具のように親子の確執をみると、大なり小なりの現実をいつも目の当たりにしてしまう。仲のいい親子はいるんだろうか?成功例も見てみたい。

 

体調を崩す

子供のもらい物

油断したというか、仕方ないというか、子供から風邪をもらった。日ごろ、あまり冷房を十分につけさせてもらえないだけでも体調がおかしいのに、輪をかけた状況になってしまった。喉は乾くし、頭も重い。たぶん軽く熱もある。月曜日からこれだけ気が重い。思うように睡眠もままならずで、どうにもこうにもならない。最悪である(現在のカープほど重症ではないが・・)。加齢からくるのか、毎年、病気の回数が多くなった気がする。なんだかんだといって、疲れているんだと思う。ついつい若いころと同じようにやってしまうところもあるんだろうと思う。さすがに今日は病院行くかな。夜は宴席だが・・・・。

紛れもなく難しい年齢だ

40代前半-思うこと-

最近、自分の周辺の年齢での転機に遭遇する機会が多い。それぞれいろんな環境下にあり、それがいいとか悪いとかではなく、人生の分岐点に差し掛かったというケースが多い。たとえば、離婚、たとえば、転職。前者で言えば、子供がいるケースも多く、はい、別れますとはなかなか言い難いところもある。後者は、まだしやすいかもしれないが、今の日本の社会からみると、厳しい条件であると思える。会社に使われない人生を選ぶ-独立を考えてみる。創業といえば、聞こえはいいが、やはり収入を得るというのはなかなか難しいことだ。思い切らなければ何も始まらないが、思い切るだけの環境下にあるのかどうか、いろんなことを考える。他人事のように聞くのではなく、自分に照らし合わせても、40代前半の年齢は難しい年頃だなと思う。家庭もそうだが、社会でも一人前として自立して一方、煙たい年齢でもある。あれこれ考えると頭がおかしくなるが、話を聞いていると、どうしても他人事で片付かない。離婚や転職という点では考えてはないが、プラスアルファ何かをというのは常に考えている。時代の変化もめまぐるしく早いが、なるほどと思うこともある。何が起こるかわからない今、世の中への動体視力を鍛えながら、自分を戒めたい。