スキマ

社会の居場所

必要でない<私>

コロナで自宅待機という自由の利かない生活がもう1週間以上となり、さすがに僕もストレスも溜まっている。外に出られない制限を余儀なくされ、身体は元気にもかかわらず、消化不良。僕がいなくても、社会は何も変わらず動き、声を出すことも無意味化している。孤立化への道、いいことは全く浮かぶことなく、毎日が過ごされ、生産性もない日々を消化する。改めて社会の居場所の重要性を感じるが、同時にほんとに自分がキーとなっていないと思うと、どこかで新天地をいうのも考えなくもない。コロナも待機というがこんなに長く待機しないといけないのであろうか。なる方が悪いという帰結。この論理は子育て支援が充実しない我が国、子供を作った方が悪いという論理と同様、結局はやられ損なのだ。

 

いわゆるコロナってやつです

時間の問題なのか

タマラナイね!、自由の利かない生活は。長女からはじまった我が家のコロナ。とうとう僕がラストにかかりましたよ。家庭内感染、これ防ぎようないです。正直、なるのを待っているだけですよ。とほほです。今日、初めて配給ってやつを受け取りました。ありがたいものです、意外にいろいろ入っています。これで1人前。つまり、うちはあと4人分、またお願いすれば届くことになります。多く見えますが、5人もいればすぐになくなりますよ。

8月6日

世界平和を願って

広島で生まれ育った僕にとって、特別な1日である。日本国民すべてだろうが、広い世界の中で広島で生まれて育つという運命を考えると奇跡なことであることは間違いない。今こそ世界平和で過ごせるように、人類は努力すべきだ。そして人類だけはない人間だけが地球の支配者ではなく、動植物、自然、みなと共生して生きること。そんな思いで77回目の原爆記念日に願いを。被爆者の皆様に心からお祈り申し上げます。

コロナに負けない!

コロナ大旋風

とうとう我が家にもコロナ感染者が出た。今のところ、僕は何ともないが、自宅待機というアリジゴク。感染を待つ身である。高熱は出たが、解熱剤を経て、数日で収まっているようだ。まあこんな身近に出てくるものだとある種の驚きである。第7波の猛威はすごい。しかし、まん延防止や緊急事態宣言といった措置はなされるような風潮にない。コロナの旋風に負けない!明るい未来を夢見て!

久々の公園

子守りの日

コロナが拡大して、少し動きにくくなった。しかし、子供は楽しい夏休み。いろんなところ行きたいよねってことで、選んだ近場。庄原の丘陵公園である。思い起こせば、3,4年は少なくとも行っていなかったので、ほんと久々。娘に関してはまったく記憶もないようだ。実質、はじめてということになろうか。夏場は遊具がめちゃくちゃ熱くなるので、遊べないが、幸い、朝が曇りだったので、遊ぶこともできた。ひまわりもきれいに咲いていたし、体験も楽しくすることができた。近くにある、1日楽しめる場所。子供らにも一つの思い出になったでしょう。

おじさんVSおばさん

考えることなど

最近、おばさんといることが機会が多い。おばさんと言っても、僕の年齢より上、同じくらいというところか。向こうはきっと僕のことをおじさんと思っているんだろう。自分のことは棚に上げて、年齢を言っているが、それはそれとして。このおばさんたちの話は非常に参考になる。どこに共通点があるのかと思いながら考えると、キーワードは「子育て」、「教育」である。ああ、こう考えているんだとか、そう思うのかとか気付きを与えてくれる。共通点もあるもんだなと思い、自分の知らない一面を見た気がした。

アイスクリーム屋の試作

専門的?習性?ビジネス?

アイスクリーム屋になって、もう12年が経過した。アイスもだいぶ研究したというか、仕事なので、まあまあ勉強したし、いろんなところのアイスもたくさん食べた。新商品を作っていこうということで、試作をたくさん味見した。ああでもない、こうでもないといういわゆる「カバチ」かもしれないが、この議論は大切である。どこの味を強調していくのか、どの素材、配合などどうすべきかと検討するにあたり、やはり尽きないところである。もう少し開発には時間がかかりそうだ。それにしても、名刺が多くなった。いろんあ経験、仕事もした。専門的なのかはよくわからないが、これもどこかで活きることもあるでしょう。

 

いつもは行かない場所で

子育てのママさん方と

思い起こしても、飲みに行くのは経営者の人が圧倒的で、おじさんばかりといる。とある関係で、学校さんの会合に御呼ばれして、学校の先生方、父兄の方々とご一緒した。PTA などはほんと大嫌いであるので、子供が所属していたら間違いなくいかない。今回は、自分の子供と関係のないところで、まあ一度はいうことで参加したが、意外に知見を得ることできた。子育てには父親と母親の役割がある中で、母親サイドの話を聞けたのは有益であった。雰囲気になじむかなというのがかなり不安はあったが、それなりには楽しむことができた。それでも何かあったときに行くかというと積極的には動くことはないだろうけど、全く違う場というのもたまには思う会合であった。

子育ての難しさ

自分のことを棚に上げて

長男との子育てに少し違和感を感じている。長男の夢にたどり着くように、その目標に対してステップを作っているのだが、本人にエンジンがかからない。長男との同意のうえでスタートしたプログラムと思うが、そこにどうもやる気が起きないようだ。そもそも僕が「これをやれ!」といった話ではなく、長男が選択した道である。だからやるべきではないかと言っているが、どうも納得がいかないようだ。小学校5年生にむきになっても仕方ないと思う反面、イライラが募るわけだ。自分もそういうところはあるのでとも思うが・・・。血というのは嫌なものだ。ほっておくこととかまうことの鬩ぎあいがまだまだ続く。今はまだ子育ての序章である。

覚悟と決断

怒り心頭

理屈ばかり垂れて結局、何もしていない、そこへ停滞するという人はよく見ないだろうか?最近、その領分の人といることがあり、ほんと怒り心頭である。結局、覚悟と決断ができないので、何かしたようなふりをする。解決の一歩を踏み出さない。善人ぶるという始末。だからどうするの?と言っても響かないから、相手にしたくない。その人との関係は悪化。振り返ってみると、仕事でも役職が上がれないサラリーマンによくみられる。プライドが高い。小さな会社の経営者も覚悟と決断を常にしている。そうしないと生きていけないから。会社が守ってくれる、そんなところにいればと思うこともある。なあなあ、有耶無耶にして終わり。人を傷つけることをいとわない。久しぶりに怒り心頭!