スキマ

5年ぶりに

やはり鉄道か

息子と二人の上京で、久しぶりに埼玉の大宮にある鉄道博物館へ伺った。なんとなく記憶はあるが、すべて覚えているわけではない。ただ変わらないのは、息子が5年前と同じで館内を突っ走る、見失う。ただ当時と違って、小学校5年にもなれば僕を探してくれるので、その点は楽にしても、まあ鉄道系に行くとこうなる。よくもまあ変わらず鉄道好きで、ぶれることがない。これだ連れまわったが、関心がわかない。鉄道博物館、京都鉄道博物館、リニア鉄道館、北九州鉄道博物館、四国鉄道記念館・・・・、まあいろいろ行ったなと思う。すべて2回以上を連れて行っているので、親としては結構ではないかと自分で思うのだが・・・。

息子と東京へ

自分の人生は自分で主導権を持つ

息子が高校から早々と東京の学校に進学したいと言うので、学校訪問をしてきた。小学校5年生にもなるので、一緒に遠くに出かけても負担はそうはない。息子に関しては変わったやつだが、自分の進路ややりたいことを自分で発信してくるし、それに何とか親としても応えたいと思う。子育てで特に気を配っていることは、体験を通じて、自分の頭で考える。その点はすごく考えている。今回の上京はその意味で成長を感じるものであった。親としていい勉強にもなった。せっかくなので、ベルーナドーム(西武ドーム)も寄ってきた。カープ完勝!ナイスゲーム!、これが目的ではなかったが、所沢はそうはいかないだろうから、これもいい経験だと思ってほしいのだが・・・・。

面白おかしく

つまみ出せ!

酒どころの東広島には意外に酒のあてになるお土産がない。これは道の駅がこの7月に開店するにあたり、もう一度地域ブランドを見直してみた。そこでアイデアが浮かんだものがこの日本酒につけた珍味である。その名も「つまみ出せ!」。酒ばかり飲んでいると、家からつまみ出すぞ!、はい、つまみ出せというダジャレのような商品名であるが、これはこれでいいのではないか。そんなこんなの商品であるが、まあどう動いていくのかはこれからである。楽しみに動向を見守りたい。

お祭り再考

これからの祭り

広島ではこの時期、とうかさんというお祭りがあり、広島で大きなイベントであるが、コロナもあり、3年ぶりの開催となった。歩行者天国や露店出店の縮小など、コロナ対策を講じた上での開催となっているようだが、イベントがない分、爆発した感じ。コロナの宿敵の密を作り出し、逆効果になっているような気がする。地域活性化も理解はできるが、もうイベントはやると決めたら、コロナ前のようにやらないと逆に人流は止められないし、人が滞留する。その意味で、様々な意見はあろうが、やるならやる、やらないならやらないとしないと逆効果である。にぎやかな雰囲気は味わえたが、露店に人が並びすぎて、物も買えなかった。祭りは今度、運営を考えるべきだなと感じた。

戦略の違い

変わりゆく場所

天満屋さんには長らくお世話になり、今月で緑井店もなくなるので、一抹の寂しさもある。アルパークにもかつて天満屋があった場所である。そのあとに入った無印良品の店舗が何かと話題なので、少し覗いてみた。無印良品に目新しさはないのだが、圧倒的な商品アイテムの多さを見たときに、これは戦略の違いをまざまざと見せつけられた気がした。売り場に商品を取り扱ってくれる=売れるとは違うわけで、これは大変なことだなと思わざる得ない。ポジショニングのあり方を考えるいい契機となった。いろいろゆっくり見れたので、楽しい時間だった。

過去に生きる

昔話の甘い罠

歳をとると、昔の武勇伝を語りたくなるのか。この点は気をついていかなければいけないことだが、そんなシーンと遭遇した。過去の栄光にすがり、今の自分が形骸化している状況。本人はそれに気づかず、生きている。裸の王様である。それでも言わないと、自分のプライドが担保できない。負のスパイラルである。もし自分が充実しない日々を過ごすことになれば、老いたときにそうなるかもしれないということを真正面から受け止めながら、明日の自分かもしれないと思うと、背筋がぞっとした思いがした。

次なる一手、その先に

ネクストを構想する

まああれやこれや、仕掛もあれば、これから取り組むものもあり、脳が渋滞気味。こうした忙しいと思うひとときに、次を仕込んでおく。この作業が至極、大切な営みと思うが、あれをしないといけない、これをしないといけないといったことを思いつつも、構想をしておかないと、明日はない。そう思いながら、今を生きている。コロナになってからは極端にいえば、オールリセットで物事を見ている。沈んでいるときにしっかりトレーニングを積む。うまく進んでいければと思うが、なかなか自分の思い通りならないのが、世の常である。

事業家思考

簡単と難関

この前、酒場で知り合いにあったので、少しの時間、ご一緒に飲んだ。その人は、事業家として成功していると思うが、やはりやることもスケールが違う。故に、何か動く際にお金も全然、カケ方が違うので、一緒にといってもそうは付き合えない。そんな話の道中に、僕が「そんなにお金がないですよ」といったならば、彼は「事業を作ればええんよ」と返してきた。事業は作っていないわけではないが、まあそこまで仕組みができているかどうかは疑問。やはり絶対数の資金が少ないのだろう。人付き合いはお金もかかる。家にいつもいるという形もよくない。たまにはいいと思うが、外の空気を触れないと、新しい発想も出てこない。ただし、読書などやるべき家でのタスクも十分に確保した動きで。まあそんなことで、事業の構成も改めて考えた会話の振り返りである。

かけがえのない時間

子どもとの休日

子守りというのももうそろそろ終わりが見えてきた。同級生たちと遊んだりして、親からは離れていく。こういうかけがえのない時間はもう少しで終わるのかと思うと一抹の寂しさはある。兄弟と言えども、大人になり、各家庭を持つと会うことも少なくなる。僕のように、兄弟とも同じ職場という恵まれた人も少ないと思う。僕が考える「子供のため」と子どもが望む「自分のため」という違いはどうしてもあるように思う。なんか遠目から子供たちが遊んでいるときに殊更、思うことが多いのだ。子供がいる人はこの時間をぜひ大切にしてほしいと思うところだ。

コロナ後の観光

動いてみることでわかること

今月はとかくあちこち行ったが、ウィズコロナなのか、人の動きは間違いなく活発になっている。そんな中で観光地を巡りに巡ったが、やはり地方自治体が本腰を入れないと、観光は難しいと思える。たとえば、写真にある倉敷。倉敷と竹原を比べて、範囲とかはあるが、集まる中身が倉敷にはある。竹原(町並み保存地区)は資源があるが、もったいない感じもする。越後湯沢と西条(東広島)、もし日本酒ミュージアムのようなものがあれば、西条も集客があるかもしれないとか。越後湯沢はぽんしゅ館とか…。いろんなことを張り巡らせた。歳をとってしまったので、もうあれやこれやと出来ない。出来ないというより、絞っていく作業がいる年齢になったように思う。そう思うと、こうした地域づくりの取り組みをどうするのか、ほんと考えていく必要あるだろうなと。観光資源の創出、これからコロナ後を見据えて。