スキマ

何が幸せなのか

日々の雑多に追われるばかりで

ウクライナ情勢を考えると、心が痛み、平和である幸せを感じる一方、この時期が繁忙期であり、とかく忙しいばかり。毎日、目の前のタスクをただただこなすという虚しさ。仕事がある幸せという側面、ぽっかり空いた心のスキマがある。幸せというのは何なのか。抽象的な子のワードの解題はおそらく生きているうちに解けない気がする。それにしても忙しい・・・。一日、完全燃焼で燃え尽きて生きているのは何だろう。

ひなまつり

明かりをつけましょ・・・

男兄弟で育ってきた僕としては3月3日ひなまつりは関心のない一日であったが、娘が出来てからは意識が強まった日である。お雛さんを飾るほど大きな家ではないので、小さな人形を飾っているが、それをみると女の子の祭りだなと思う。息子には端午の節句もどうのこうのと言われてしまったが、端午の節句って何かやったっけと思いながら、平凡な時間を過ごしたとさ。おしまい。

加齢を感じる

疲れているな・・・

職業柄、この時期、忙しいのだが、年々、身体の踏ん張りが効かなくなっている。冗談抜きに加齢というものを感じるし、このままずっとできるようなことでもない。これは殊更感じる。年をとるにつれて、いろいろ楽になる正比例系のシナリオで人生を歩んできたが、そうではなく、年々、忙しくなっている。ブログを書いている暇があるのなら、目の前の仕事をせぇと言われそうだ。仕事を再開しよう。

曜日を間違える

この感覚はなんだ?

最近、起きたときに曜日を間違えている。今日はああ水曜日中日だと思って、起きると火曜日であったし、先週は木曜日なのに、ああ金曜日だと思って起きたし、勘違いで済むのか、どうなのかと思う。疲れ?ストレス?なんだと思うのだが、危険な信号なのだろうか。逃避なのかわからないが、日々、仕事に追われ、神経が休まらない。そしてとくに今、気になっているのは、ウクライナ情勢。他人ごとではない気がして、今、平和に仕事をしてていいのだろうかという気にさえなる。これも頭から離れない。それにしても、ゆっくりと過ごしたいと思う今日この頃である。少し休みたい。

動いた方が休まる

久々の瓦そば

動いていないと非常に疲れるような性格。周りにいる人は振り回される。その中心人物にいるのは僕だが、温泉&グルメ。川棚へ行こうと無茶ぶりの計画を立てて、家族でするっと山口へ。2時間程度と勘違いをしており、3時間かかったわけだが、それでも日帰りの旅行気分はやはりいいもの。久しぶりに瓦そばも満喫。いい気分転換になった。どうも忙しいせいで、ストレスがたまりまくる。いろんなことをしつつ、紛らわしているが、やはりうまく転換できていないのかもしれない。そう思いつつ、家族とわいわいやって、共有した空間はいいものだ。明日からまた週明け。あと半月。エナジーチャージだ!

 

焦っているときほど冷静に

ふと我に返る

忙しい毎日で、これしないといけないというものが多い。だからとにかく仕上げて、量を減らすという意識で進めるが、ミスが増える。そうなると悪循環となる。今日、起きると、日曜日と間違っていた。ようやく休めると思ったが、金曜日であり、一息落ち着いたところで物事を見ていない。そう思うと、ちょっと立ち止まって物事をみないといけないなと思うのだ。急がば回れという言葉がある。まさしくその通り。当たり前を当たり前にできないときこそ危ない。そんな戒めを思う今日である。

1/2成人式

いい機会だと位置づけて

小学校で1/2成人式というものがあったそうで、親からお手紙のお返事を書くようになっているらしく、その返事を書きました。パソコン時代になっているので、手書きで書くというのは少なくなりました。若い頃は手紙もよく書きましたが、いつぶりだろうと思うほど前です。息子に手紙というのも照れくささはありますが、10歳という感受性が高い時期に言葉を残すのもいい機会と考えたいと思います。まあまあの枚数になったなと思いつつ、脱稿。

文学の小部屋

一人だけの空間

文学と農業会計の部屋とをわけている。場所も違うのだが、最近、この文学の部屋にいるとすごく落ち着く。追い求めたものが詰まっているし、文学は僕の生きる糧であった。だからこそ辞めてはいけなったのに辞めてしまった。非生産性のものに生産性を負うことで苦しくなったせいだ。昔、中学ないし高校の国語の先生になったらどう?と言われ、教職の免許を取るように、指導教員に言われたが、そのときは一度リセットしたいばかりだった。持っておけばよかったなと今は思うが、時は帰ってこない。そう思うと、人生の道中はいろんなことがわかっているようでわかっていない。そう思う。残りの人生をどう構成するのか、あるようでない時間、生きることにエンジョイできればと思うのだが、しんどいことだらけである。

語彙力の強化

絶対的な基礎的部分

最近、知った本だが、これはいいなと思った。高校生までに知っておきたい2000ワードのようだが、クイズのように問題があり、以下で解説している。高校国語を分析して選んだようだが、結構ハイレベルなものもカバーしているし、これは将来的に子供にもそれぞれ買い与えようと思う。おすすめ。やはり語彙が不足していると、論理といってもそのレベルの基礎的前提がないので、話が進まない。最低限、基礎的な部分は絶対的に必要と思う。子供がもう少し大きくなって、一緒に学べるときが来るといいなと思うのだが、果たしてどうなるだろうか。その時まで少しずつ学んでみたいと思う。

 

ひと花を咲かせる

過去と成功

僕が言ってみたい言葉で、「もうひと花咲かせる」。この「もう」というのが味噌で、「もう」ひと花と言えば、過去に成功していることを意味する。だから僕の場合は、「ひと花咲かせる」という言葉の使用が正しいと思われ、何とかその花を咲かせてみたいと思っている。10代のころは何とか20代で、20代のころは30代でとだんだんあとになってきており、結果的に成功はしてない。何をもって成功というのかは難しいが、満足度が低いんだろうなと思う。なかなか思うようにはならないものだ。