スキマ

10年前の写真

年をとれば、楽になる

10年前の写真が出てきた。子供を背負い、仕事。役所とか外回りもこうした格好をしていた。まあ毎日ではなかったが、結構、このスタイルは好きで、もう子供もみんな大きくなったので、二度とない姿かもしれない。10年前と今であるが、もう少し年をとると楽になると思っていた。実際は、物質的にも精神的にも豊かになったとはいいがたい。懐かしい写真である。

親父の誕生日

72回目

生きていれば、72回目の親父の誕生日だ。よく金正日と同じ誕生日だと言っていた。この日より確定申告期間もはじまり、現職の時も所得税出身だったので、何か縁のある誕生日だろう。親父という人間に関しては、ほんと合わない人間で、どう思い返してもろくでもない父親だった。しかし、亡くなってから思うのは、親父よりもっとひどい人間が多くいるという現実を知り、少し株は上がった。しかし、相対的にはそうかもしれないが、絶対的にはひどかったと思っている。生きている間は、衝突ばかりしていたので、盲目的であった。まあそれでも血は地なのかと思う。静かに今日という日を過ごしたいと思う。誕生日おめでとう!

しょうがない

今の職業だと・・・

昔も書いたことあるが、僕の仕事で言えば、完全に逃げ遅れた。あれよあれよと逃げれなくなって、結局、立ち止まっているような感じである。会計事務所の仕事だと、確定申告時期は縛られる感じがある。期限が迫っているので、どうしても仕事をしないといけない。量も多いので、仕方ないが、それにしてもこの時期が毎年、こういう状況というのも機会損失と思えることもある。昔、さっぽろ雪まつりに行ったことあるが、たまたま連休にもなって、もう二度といけないかもしれないと思い切って行ってみた経験がある。もしもう少し有給でも取れてゆっくりできるなら、もっと違うこともできるのかなと思ったりもする。仕事があるだけありがたいのだが、人間はないものねだりである。「もし、たら、れば」ということは多い。それにしても、毎年忙しくなっているのは気のせいだろうか。

年齢を積み重ねて

おじさんたちの行動

45歳と言えば、もう立派なおじさんだろう。月日が経てば、おじさんと言われる年になるには当然であるが、なぜおじさんたちはスナックやスタンドに行くのかというのが非常にわかる年になった。そのママを口説こうとかではなく、話を聞いてもらいたい、だから一人で行く店には一人で行き、話をする。そして適当に飲んで歌って帰る。仕事や家庭で言うに言えないこと、持ち帰れない話など、気持ちのリセットにちょうどいいのかもしれない。だからよく聞いてもらえば、飲み代は当然に払うにしても、少しケーキでもというお土産も持って行こうかと思うのではないか、ふとそう思うようになった。コロナで飲食店は閉まっているが、社交場というか、そのトポスは重要な役割を担っている気もする。これは加齢でわかったことで、若いころには分からなかった心境。僕の推論があたっているかはわからないが、この前から思うことなど。

100名城をめぐる旅

名城を再び

改装中に言った覚えがあるので、たぶん7、8年ぶりに姫路城を訪れた。息子の城の趣味に付き合っているようで、久しぶりだなと思う場所へ再び行くことが多い。姫路城は久しぶりに行ったが、立派な城である。中に入ったにはたぶん15年前にはなるだろうが、あまり記憶がない。城に上がる道は覚えがあるが、記憶に何だから改めてということで良しとしよう。コロナ渦中だからお客さんも多くなく、ゆっくり見ることが出来た。姫路の街を一望でき、新幹線からも見える姫路城、こういう有名どころは行くようで実はあまり行かない。6階建てのスケールの大きい城だと思うので、一度、行ってほしい場所だ。広島⇔姫路でも十分、日帰りできる。

 

新店での挑戦

事業形態の転換

この頃はあまり呼ばれることもないが、新店のレセプションへ参加した。今、はやりの天使のわらび餅のFC事業である。女子高生がわらび餅が飲めるねというようなことを言って、それが事業化したものだとも聞いたが、スイーツははやりもあるので、これからどうなるかわからない。ショッピングモールでも出店なので、十分なイートインもある。その意味では、若い人が多く利用するだろうし、おみやげの利用も結構あるのではないかと思う。それなりにはアベレージは残すような気はする。これだけ飲食業が痛みつけられている中の挑戦を応援したい。ひとまず出店おめでとう!

動かすしかない

何だかんだ言ってられない

コロナ、コロナと家では騒ぎ立てる。この2年、事あるとこの話になるが、いい加減にしてほしいものだ。気を付けないといけないが、過度に敏感に騒ぎ立てるのはどうか。正直、うんざりしている。僕の方は気にならないと言えばうそになるが、日常を動かさないと、収入も途絶えるし、家庭も会社も養えない、だからちゃぶちゃぶ言っている場合ではない。覚悟を決めて動いていくしかないわけで、リスクとはいつも背中合わせで生きてる。だからといって、コロナになろうと向かって生きているわけではないし、まあ困ったもんだ。うちの家族とのコロナ認識は一生、交わることはない。

コロナに対する考え方

コロナにどう向き合うのか

コロナに対して、あまりにも老婆心に考える人、ただの風邪だと考える人、いろんな考えがある。僕の場合は、過剰に考えるのはよしている。過剰に考えている人が多く、生活にストップさせていることが多い。それゆえ、失った時間、失った経験、失ったもの、たくさんあるのではないかと思うものだ。うちで言えば、妻とは殊更、考えが合わず、コロナのことでは喧嘩ばかりである。一生平行線である。ただ間違ったことを子供に伝えるのはやめてほしいと願っているが、子供に間違ったことが刷り込まれているので困る。ほんと忙しいのに、大きな悩みである。

完全燃焼型

走馬灯のように

歳をとったせいか、時が過ぎるのが早い。1日が過ぎるのが早い、すぐに1週間が経つ、1年がすぐに終わるような感覚。今で言えば、1日完全燃焼型で生きている感じだが、それが実になっているのか、そうではないのか、その判断もつかないほど、手ごたえがあるような、ないような、でも時間だけが走馬灯のように過ぎてしまう。こうして老いて死んでしまうのか、年々、忙しくなってきて、歳をとれば楽になり、時間も創出できる、そんなことは空想なのか。まあそれにしても、充実感も多くないのに、時間だけが過ぎていくことがほんとどうなんだろうと思う今日この頃。

米子にて

週末の出来事

人の紹介のため、米子へ。鳥取県はマンボウ地域ではないものの、境港市、米子市は県独自の規制がかかっていた模様で、水木しげるロード、観光地の閑散としていた。こうも観光地は、外部の人が来ないことの影響があること、まざまざと見せつけられた。地域活性化というが、やはり中にいる人、外からの人の調和があってこそ、成り立つものであり、考えさせる風景であった。中国地方と言えども、鳥取県はやはり遠いなというのが率直な感想。神戸や福岡に行く方がよほど近い。そう思うと、なかなか鳥取県は行くことが少ない地域であるが、食事も多いし、温泉もある。また訪れたいとは思うものだが、機会というものに恵まれるか。そんなところであろうか。