
場所を変える
僕の性格だが、場所をコロコロ変えないと勉強できない。A喫茶店、B図書館、自宅など動きながら自分を据えるというか、そんなところがある。今年はよく図書館を利用させてもらう。静かであるし、書籍もあるし、勉強しやすい。若い人が頑張っているのをみると、殊更、自分も思う。自分にとってはプラスしかない。これだけ物価高など社会情勢が悪化すると、ふらっと飲みに行こうというのも思わなくなってきており、随分、足が遠のいた。しかし、自分の涵養を深めるといったところは努力をすべきと思っており、この時間を大切にしていこうと殊更思うものである。図書館に行くのもだいぶ癖がついてきたので、生涯学習ではないが、利用させてもらおうと思っている。

見えない未来
最近、よく思うことがある。何かを変えようというエネルギー。殊更、若い時はそのエネルギーは万歳であったが、今は自分がそのフィットする環境に身を置くという方がいいのではないか。年齢がそうさせたかもしれないと思う。今の政治、ほんとひどいよねといつも思う。じゃあこの国を見限るしかないのかなと思うこともしばしばである。少子化にしかり、物価高、マイナンバー・・・。きりがないだろう。よくなっていくシナリオは全く見えないのが、今の日本。夢も希望も子供たちにバトンを渡していけるのか。今の答えはNO!自分の合う海外の国で生きた方がきっと幸せだと思うのだが、皆さんはどうなんだろう。

制度が変わる
2024年に日本語教師も国家資格へと変わるらしい。今ある資格がそのまま移行というわけではなさそうだ。何等か試験が課され、新資格を取得しなければ、「登録日本語教師」といった形では活躍の場はないようだ。数年前、公認心理師という国家資格が出来、特例措置が引かれたが、やはり試験といったものは課されたようだ。その傾向を踏むと、おそらく日本語教師もそうなっていくと思われるし、今出ている情報ではそうである。これまでは遠くにしまい込んだものであったが、どうもこの武器も使うことが出てきているので、動向はかなり気になるところだ。日本語教師もどうなる?現場の混乱は予想される。

研究の成果
いくつになっても勉強を続け、努力する。そんな姿を追っている気がする。川邉先生の新刊の謹呈を頂いた。コンビニがまだ世の中にそこまで普及していない未開な時代からこの分野では研究をされ、コンビニが社会に不可欠な時代の今、コンビニ研究は重要な領域として存在しているように思う。まだ読んでいないが、DXまでカバーしており、かなり最新のところまで書かれている。たぶんこれは30年たっても見返されるような研究所になるに違いない。僕も頑張らないといけない。そう思い、分野は違うが頑張っていきたい。

学術の調査法
広島大学に在籍時に習った文献の請求法。これくらいしか習ったと記憶がない。職場と近いので、どうしても広島大学に頼ることになる。そうなると活用しない手はないので、お願いすることになるが、司書をどのように頼ればいいのか。思い切って尋ねることにした。長年、資料請求をしているから、僕のことはよくご存じであり、あれこれ支援してくださる。ありがたいものだ。司書の資格を取った方がいいですかと聞いたら、あまりその必要もなさそう。でも情報の調べ方は学びたいと切に願っているのだが・・・。まあいろんな専門家がいるもんだ。

推論の理論の世界
今、書いている論文。ほんとに先行論文的なものがない。だいぶ文献調査もしたけど、これっというものもなく、ヒアリングもしてみたけど、それもはっきりしない。う~ん、困ったもんだ。こんなことは初めてで、何か手掛かりがあるものだ。その手掛かりから大きく展開していけるのだが、展開の仕方がわからない・・・。どうしよう。研究らしい研究かもしれないねと思いながら、毎日、このことばかり考えている今日この頃。

音を静かに・・・
選挙が近いのかもしれない。普通なら10月から施行されるインボイス制度の関連をCMをバンバン流しているように思うが、インボイス、増税の流れがわかりつつ、さらにビートさせるのは政権にマイナスなのか、静けさを感じる。私論では、複数税率を辞めて、一律10%で税収UP、帳簿保存方式の継続。創業に関しては2年間の免税(創業支援)で、1000万以下でも消費税課税をしていくという流れの方が、租税の原則、公平、中立、簡素と言えないのか。複雑に何でもしたがるのはよくない。みんなにわかりやすく、これ大切だと思うのだが・・・。どうだろう?

少子化に対してやる気がないのはよく伝わる
給食費は通常通り。無料にしようかという議論はどこへやら。3人で15600円。年少扶養控除と給食費の現物支給でひとまず少子化対策したらどうだろう?所得税と住民税の軽減で可処分所得は増える。制度的にもやりやすい、現金給付のような行政コストはかからないと思うのだが・・・・。税収との兼ね合いもあるのだろうが、現金を給付するのではなく、使えるお金を増やせば、家計で考えれば一緒なのだ。物価高、光熱費高騰、使える金は減る一方。過去最高の税収の資金はどこへいった?

ペンは剣よりも強し
まだ見ぬゴールへ向かって、論文を書いている。書くことで未来を切り開くしかないと思い、信じる。そんな希望と悲壮感といろんな気持ちを交錯しながら、今回の論文を書いている、研究職につけば、学術的な時間がさらにあり、幸せかもしれないと思うが、僕の性格上、1つのところに留まるとすごいストレスになり、鬱のように気が沈む。そういうことを考えれば、今のバランスなのかと思うが、50歳になったらという一つの区切りを楽しみに今は辛抱する。

自然科学と社会科学
農業会計学と言うと、農業経済学の一端から派生した学問として位置づけられる。農学部に農業会計学は用意されるものの。社会科学だともいわれる。修士まで社会科学系で進学し、博士から自然科学、理系に行くとなると、やはりどうしても違和感がある。自然科学にいても、違和感。社会科学にいても、違和感。このせめぎあいはなかなか感じるものではないだろう。社会学は複雑に考えようとするし、自然科学はシンプルに考えようとする。いろんなことで「違い」は感じてしまうのだ。なかなか論文を起こしたときに、どうしても違うものを感じながら、書いているが、それでもどこかで「接点」はあるんだろうと思うのだが・・・・。その「接点」がわかるにはもう少し時間がいりそうだ。