時の流れ
早いものである。1年前、博士号の最終面接の日である。前日に大学の図書館で勉強して、望んだ。農大は論文だけを出しただけの学校といえば、そうかもしれないが、1.5か月の一度くらい通っていたので、殊更思い出がある。収穫祭(学園祭)の準備時期に紹介をしていただき、春夏秋冬。数年経過したが、ようやくこぎつけた日。父の死去から事務所の再編からとかく忙しく、てんやわんや。しかもコロナが始まった時期であったし、指導教官の退官など、もう時間がないというギリギリのタイミングであった。去年のこの時期の記憶がとんとない。学術研究もほんと出来ていないし、自分に余裕がなくなっている。時間の使い方の悪さも起因していると思うが、ちょっとずつでもやっていかなければと思うものだ。論文を書かなくなると、書けなくなる。その恐怖はあるが、学術研究でも僕にとって、「残された課題」があるので、それは少なくともクリアしたい。あと学位記を目の前で授与をされてみたい。過去、すべて授与は後日しか経験がない。歳をとって、1度くらいは経験したいイベントかもしれない。コロナも1年以上、続いているのかと改めて思うことでもある。
管理会計とは?
県立広島大学の足立洋先生より謹呈本を頂いた。共同研究もやったこともある。なかなか忙しくなって、ジョイントできないが、足立先生には研究の方法という観点で僕には影響は大きかった。最初が論文ではぐらついてしまうようで、その点、手続き面は参考になるものばかりだった。博士論文でも迷惑をかけた一人である。そういう思いでもあって、目次をみてぱらっと見たときに、4章に目が行ってしまった。過去に紀要等で取り上げられた論文もあったので、改めて読むこととしたい。それにしても、一つの書籍を書き上げるのは大変な作業である。書いたからと言って読んでいただける方はどれだけいるのか、埋没する書籍もたくさんある。しかし、学術書は古くなってもどこかで役立つ気がする。学者の世界では。管理会計の方に寄り気味の自分であるが、足立先生にご指導をいただきながら、研鑽したい。年下であるが、能力的には雲泥の差がある。僕のこれまでの努力不足と言えよう。閑話休題。管理会計を学ぶ方には目を通して欲しい一冊である。
慶應義塾大学へ
ずっと行けなかった東京。やはりいろいろ会いたいものだ。是非、お会いしたかった友岡先生にお会いすることができた。僕の博士論文には、マストの存在であった。正直、この先生の論文に出会わなければ、論文は完成しなかっただろう。なので、ほんと論文に出会えたことは幸福である。思い切って、塾員ということもあり、論文を送ってみた。そして、一度お会いしたい旨、お伝えしたところ、快諾してくださり、時間を割いて下さった。あれこれ誰かを介すと、あとでのトラブルもなる可能性もあるので、まあこれでいいのだろう。2時間くらい、いろんな話がdえきた。会計学の世界でも頑張らないといけない。そう思いながら三田をあとにした。いい機会であったのは間違いない。
年々遅くなっている気がするが…
毎年、農業白書を購入する。さすがに全てを読むことはないが、辞書として活用する。早速、廣島農人のラジオで資料がわりで使わさせていただいた。白書と放送大学の教科書はかなり役に立つ。学術研究にもかなり役立つから、是非、自分の関心がある分野は目にするといい。買うのが抵抗ある人は図書館の利用である。まあ一度、手にとって欲しい代物である。
学会私論
今年は軒並み、コロナの影響で学会は中止であったり、延期、あるいはオンライン開催などあり方にも変化をしている。できるだけ僕も年に一度は報告をするようにしているが、さすがに去年は博士論文の件もあったし、難しかった。学会もなかなかいけないので絞って、2学会入会しているが、税法もちょっと勉強する必要を感じているので、この度税務の学会にも入会申請をした。そもそも学会は僕は好きではない。茶番をやっているような気がするからだ。何とか大学の○○教授の報告だと、どんなひどい報告でも素晴らしい報告でと胡麻をする。一方、かけだしの分けて研究者や学生には、とことん追いつける人もいる。自分のことは棚に上げて。僕は学閥とか先輩後輩という関係が嫌いなので、そういう場になりそうなら、逃げるようにしている。その中にいると学会の空間も優しいし、心地いいんだろう。しかし、それでもすべてをそう判断するだけの見方でもなく、的確にいいコメントをする人がいる。それはおおよそ学閥や先輩後輩という関係の人ではない。こうしたものは貴重なお話である。そういう謙虚さはあるが、それを加味しても、学会は好きではないのは事実だ。群れるのがいいとは思わない、一兵卒の研究者(もどき)でいたいと思っている。私論につき。
実務家がダメにしている
実務者として、博士号を取得したが、やはりプロの研究者とは違う。それはまずもって、①研究者で生計を成り立たせていない。②キャンパスで育った学者はやはり理論研究など文献学の領域ではかなわない、といった点で違う。①の点がやはり大きいと思っていて、やはり研究者というように自分で言えるというのは全く違う。僕は博士号を持っていても、自分を研究者とは言わない。もどき程度である。大学というところはやはり論文を書きに行くところだと思うので、その訓練をたゆまず続けてきた人。社会人から教育業界に参入する人もいるが、やはりプロではないのだ。そういう点で実務者がどんどん大学にというのは歓迎されているとは僕は思わない。歓迎されていない中、少し大学に係る程度がいいのかもしれない。やはり研究者というように胸を張れるにはまだ僕にも時間がかかる。
大学もリモート
毎年、何度か大学で講義させていただいている。今年も依頼をいただいたが、経営学の中で自由に話してほしいと。農業関係にしようと思っているが、株式会社とか普通の話の方が学生には食いつきやすいかもしれないが、どんな話をしようか、悩みどころ。今回は、リモートでの依頼でなかなか難度が高い。知った教員に聞くと、なかなか大変らしい。その準備もさることながら、どうしよう?去年はクラウドファンディングの話をしたが、違う話がいいなと思っている。もう少しなめなめ考えてみよう。まあちょこちょこ話がき始めたな・・・。
やはり気になるもので・・・
久しぶりに農業簿記関連の書籍を手に入れた。なかなかレアな書籍と思う。この書籍は、全国の農家の記録や帳表をまとめており、貴重な資料と言える。時々、日本の古本屋 で見るようにしており、やはり農業会計はこれからも何等かでかかわっていく分野であろう。それにしても、農業会計は独立した分野としては弱い。大学の公募をみても、それは感じる。衰退の一途である。博士号で一区切りした分野でもあるが、いったん少し離れることで違う目も出てくるかもしれない。ぼちぼち再稼働も必要であろうと思う今日この頃。
| 著者 : 中央経済社 発売日 : 2014-01-29 |
遺作
修士のときに、指導教官だった星野一郎先生。昨年、急死した。僕自身、4つの大学で学位を得たが、僕には合わなかった大学であり、早く脱出したい一心であった。そのころ、精神的にもしんどい時期でもあったが、今頃になって、その時の指導が役立っているように思う。修士学生時代はよく衝突もしたが、学生の自由なテーマの選択、学習とやりやすかったが、やたら形式は厳しかった。さすがに細かすぎることを僕も当時言ったが、その点は「細部は神に宿る」ということをよく言われ、譲らなかった。また僕には補助金など会計について、薦められたことがあったが、今思うと、国立大学の不正会計問題や粉飾会計の研究もその後していることから、自分にも関心があったテーマだったのかもしれない。農業はとくに補助金は切っても切り離せない問題である。故に、十分に合致するところであったかもしれない。変わった先生であったが、今なら受け入れられたかもしれない。僕も若気の至りとして許していただきたい。今更ながらご冥福をお祈りしたい。他大学ではあるが、会計分野では研究を続け、博士の学位は一応得た。この場ではあるが、報告したい。遺作となったテキストのようだが、購入して読んでみたいと思う。腰巻の仕訳なしで学べるというのは、もともと簿記嫌いと公言した師の思考であろうが、会計はやはり簿記が重要なのではないか(師の書き方でするならば、ー簿記は重要ではないとまでは言わないがー、というような但しを入れるのか)と思う次第。議論すれば衝突するだろうが、それは学問上の事であり、様々な考えかたがあるのはいいことである。
ダブルドクターの時代
先日、博士号は取得したが、これで終わりではなく、改めてスタートである。2つ目の博士号を取るために動いているが、博士号を取るには自分の能力もさることながら、指導教官との相性もある。少なくとも2つ目ともなると、指導教官がシングルドクター同士であるならば、その方が僕以上の学力・人望などを備えていないと、僕が学ぶに値しない。社会人にもなって、もう一つと思うには理由がある。学術界もシングルドクターの時代ではなくなる。査読云々とかいうが、そんなのあまり関係ない。僕は学位と思っている。ダブルドクターになってから、ようやく自分は研究者であるは言うこととしたい。それだけ自分に課題を課すから、研究者という価値があるのであって、サラリーマンで楽するのならば、僕も格好だけそうする。今回、自分が動いたが、大失敗した。かなりひどかったので、新天地を模索することとした。もう僕も40歳を越えている。歩み寄ってどうのこのうという年齢でもない。ダメなものはダメ。時間の無駄である。また苦しいイバラの道になるが、イバラの道だから研究なのだ。それをガタガタいうのなら、研究者失格。僕は2つ、博士号をとってから言う権利が発生する。アクセサリーでもないが、もう一つは自分に課したい。その後、自分の趣味的な動きに移行したい。それまでは僕も修行僧である。