人とは会って話すものだ
いろいろ話があって、三原へ。安定、おいしい蔵さんで。今回、広島のじゃ割を使ったので、宿泊、夕食ついて、しかも2000円のクーポンまでついてきた。12月末までの広島県民の特典だが、今回はお安く活用できた。最近、懐かしめの人によく会うのだが、話し込むことが多い。それはそうだ、用事があって話すのだからと思うが、やはり人とは会わないといけないなと思う。オンラインも一つのツールだが、基本は対面ということか。お互いいい方向に向かうことを考えていかないといけない。
いろいろ話があって、三原へ。安定、おいしい蔵さんで。今回、広島のじゃ割を使ったので、宿泊、夕食ついて、しかも2000円のクーポンまでついてきた。12月末までの広島県民の特典だが、今回はお安く活用できた。最近、懐かしめの人によく会うのだが、話し込むことが多い。それはそうだ、用事があって話すのだからと思うが、やはり人とは会わないといけないなと思う。オンラインも一つのツールだが、基本は対面ということか。お互いいい方向に向かうことを考えていかないといけない。
東京の街をぶらつくというには、コロナ渦中ではなかなかできないことであったが、やはり都会を歩くと、刺激もあるし、意外と新鮮である。もっとも今回は、慶応に行くことでセルフチェックもしたいと思ったわけだし、指導を仰ぎたかった。僕自身、人前で教えるようになって、どうしても僕が思うことのズレを確かめたかったし、この人ならどう伝えているんだろうと思いつつ、学ばせてもらった。幸い、学園祭、三田祭をやっていて、今回はチケット制など本来であれば、入れない中、訪問者ということで入ることができた。少しの時間であったが、三田祭ものぞくことができた。それにしても、慶応も今頃は好きになってきた。気高いプライド人が多いので、あまり好きではなかったが、独立自尊というか、何か慶応に流れる「血」というものは何か感じるものがある。また訪れたいと思う次第。
子供用のイコカICcardを作ったので、電車に乗りたいと子供らが言う。当初は宮島に紅葉でも見ようかという話もしていたが、近ごろあまりにも忙しくて、家で休養した。ふっと思い出した三滝寺が思い浮かび、ここなら駅から近く、紅葉も楽しめると思い、ここへ行った。息子は目ざといから、三滝寺のことは知っていると思ったが、知らなかったようで、広島にはこんなところもあるんだよというのは教えることが出来た。また車で行くと、駐車場が混雑していたのもあり、電車で移動はいい選択肢であったように思う。写真でもわかるが、葉も色づき、いい紅葉が見られた。こうしたふっと息の抜ける時間は必要。子供との時間が少なくなっているので、ちょっとした旅気分にはなっただろう。
ラジオで出演いただいた石破茂代議士にお会いすることができた。コロナが落ち着いたら、上京して会いたいと思っており、この度、その機会に恵まれた。少ない時間であったが、いろんな話ができた。今回、石破代議士にラジオ出演していただいたときに、農業に詳しい政治家は誰だと思ったときに、イの一番で浮かんだ人である。はじめて会ったが、気さくで話しやすい先生であった。これを機にまた会いにいこうと思う。上京の楽しみが新たにできた出来事である。
まずは教育ありき。教育にかかわるというのは、人を育てることであり、人を育てることは自分の成長とも相通じる。教育で金儲けという運びにはならず、続けるための報酬はもちろんいるが、教育を通じて、利益を追求するという姿勢ではうまくいかないように思う。学生がどのように将来を描けるのか、その手助けが本当にできること、学校は手段ではなく、目的である。私財をなげうって、教育に注力した過去の偉人たちは、今の教育はどう思うだろうか。最近は教育関係のことばかりが頭を垂れる。
健康診断たるものというか、病院自体が好きではない。注射も怖い、何をされるかわからない、悪いものがあったとしても、知りたくないなど、とかく逃げ腰である。注射に関しては、幼少期に通った皮膚科の看護婦の影響が強い。「ガンボくん、お注射しましょう!」と呼ばれ、この言い方が嫌で嫌で、そして注射は痛い。大人になってからもトラウマがある。いずれにしても、嫌な時間を過ごさせていただいた。またバリウム、最悪である。明らかに体に良くない。とかくいいことがない、健康診断、ほんとに毎年、せにゃあいかんのかと思うんだが…と思いつつ。
いつも僕が人生で重要な時には、この先生に相談したり会うのだが、かなり久しぶりに会った。Aさんと僕、その先生とひょんな深いつながりもあって、これも人の縁。びっくりした出来事であったが、喫茶したり、歩いたりというの中で、人生の示唆を与えてくれた仲である。僕が苦しい人生を歩んできたこともよく知っているし、過去・現在・未来の中で、これほどまでに僕という個人に、根差している人も少ないかもしれない。自分の親でさえも、なぜその先生は僕にここまでしてくれるのかというくらいである。僕もほんと感謝しかない。何故か僕は指導教官たる人とは縁が薄い。ほかの先生ばかりがいつも周りにいる。声がかかるのは必ず他の先生である。そうした意味で、昔から僕はそういう星回りなのか。18歳の僕と45歳の僕、どう変化したように映っているのか、これからの僕の頑張りである。
最近、大学院時代の先生と連絡を取ることが多い。こちらからもあるが、先生の方からということもあり、昨日は驚きで10年ぶりに広島に行くから会おうと連絡があった。もう大学院を離れて、15年以上も経過するので、現在は浦島太郎。それぞれに頑張っているに違いない。当時のことしか大学院もわからないが、まだ最初だったし、学生も少なく、活気があったころだ。今はたぶん優秀な学生が多く、今、僕が入ると修了できないのではないかと思ったりする。それにしても、大学院時代の先生に大学講師の道をいただいたりするとか、こうして連絡あるとか嬉しいよねと純粋に思う。再会の日を楽しみにしたいと思う。
この前から、Aの人からの共通のBの人が知己であるという話が多く、非常に驚きが続いている。出会う方もちょっと違い、ほんとに繋がりが一見あると思わない人とであるから、世の中、面白いものだ。最近は特に忙しいので、脳が活性化しているのかわからないが、論理的にも感覚的にも、閃くことが多い。何か「変わって」きつつあるのは感じるものだ。昨日と違う自分に会える予感がする。こういう時期も人生あるのかもしれないと思い、不思議な日々を過ごしているところだ。
僕にとっては、大きな人生の岐路に立っているのかと思うようなことがあり、そのことで頭がいっぱいというのが正直なところ。自分の努力で解決するのであれば、それだけで済むが、やはり相手のあること。なかなか進まないが、少しは進んでいる、一進一退というのか、こんなやりとりは続く。今回、かかわっていることが誰しもにない話で、もう二度とこんな仕事もないだろうと思い、心血を注いでいる。ようやくこれまでの努力が形になるかもしれないと思いながら生きているが、さてどうなるだろう。梯子は丈夫だといいが・・・。あまり気の休まらない日々だ。
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