その他

会う人・もう会わない人

時間はみんな平等だ!

過去にたくさんの人と会ってきた。とかくいろいろ。名刺交換をした人でもさっぱり記憶にない人もいるし、密に付き合いある人もいる。しかし、僕も与えられた時間は1か月30日。限られた時間である。時間・お金・労力を使うことを考えると、取捨選択して人と会うことになる。特に動けばお金もかかるし、労力もかかる。とすると、人と会うのも戦略的になるところはある。僕が殊更会ってみようと動くのは、年に1,2度あるかどうかだ。これは新しい人。異業種交流会のようなものは全否定の人間であるし、そういう場に行くのも好きではない。とすると、会う人、会ったけどもう会わないだろうなという人。喧嘩とかではなく、やはりあるのだろうと思う。人は時間が空くと会いにくい。それも自然の摂理なのか・・・。若い時のような無限の時間がもうあるわけではない現実。もう僕も40代中盤だ。

いる肩書・いらない肩書

対外的なこと

僕で言えば、肩書的なものは多いと思う。自己紹介をしてくださいと言われるのが、かなり困ってしまう。だから名刺も単純に名前だけのものを渡すように変えている。○○の岸保 宏というのはおさまりが悪いので、職業 岸保 宏という感じで位置づけられればいいなと思うところ。まあまあ悩む事案である。その中でもいる肩書といらない肩書があり、欲しい肩書があり、欲しくない肩書がある。AのことのときにはAというもの、BのことのときはBのこと、XのときはXのことといったように、投げられたボールに的確に打ち返したいところだ。全部打ち返す必要はないけど、まあいるものいらないもの、あるなと思いつつ、考えることしばしばということか。

続けること

辞めるか、続けるか

継続は力なり。これは間違いないことだと思う。続けている一つとして、「がんぼチャンネル」。木曜日の深夜0時に毎週UPしており、2020年10月より発信している。ビジネステーマと業界について、議論をしているが、撮りためたりしながらなんとかやっている。批判をして何もやらない人になるのか、やって批判されるのか、それぞれの価値観であろうが、まず続ける。大きな成果は出るかといえばわからないが、何らかの活路は見いだせるのではないか。社会やビジネスの問いに人に回答を求めがちだが、正直、僕も回答は持ち合わせていない。もちろんこうなんじゃないかなと思うことはあるが、やはり自分で思考し行動して判断。自分でしか責任はとれない。だから何かを探し、何かを求め、生きているんだろうと思う。収録を続けながら、思うこと、雑感。

10年目の記念日

結婚記念日&母親の誕生日

あえて4月4日にあわせて、入籍したのだが、10年が経過した。いろいろあった10年。感慨深いものである。3人の子宝にも恵まれ、騒がしい毎日。喧嘩もよくしたし、いろんなところにも出かけた。子育てもわけもわからずやりながら、生きてきた。多くの人に支えられ、何とか生きてこれたのも実感した。感謝したい。母親も妻もかけがえのない人だろう。まあコロナになってからは家によくいるので、喧嘩もよくするが、「私がいないと駄目な人」という大きな心で見てほしいと思う。これから新たな10年のスタート。そして、母親も新たな1年。また祝いができるように元気で過ごしていたい。

 

昨日と同じ朝が来る

大過なく過ごす

やはりコロナになるのかと思うが、僕にとっての危機感というのは相当なものだ。活路を見出すための手立て、糸口を探す毎日である。しかしながら、昨日と同じ朝が来る。つまり、大過なく毎日を過ごすのんきな人もいる。そののんきな人は、人ばかり否定や避難をして、何もできない。そういう人は身近にいないだろうか。たとえば、中小企業でみられるような同族会社。番頭格がそういう人なら、非常に難儀である。どこかで「居場所」はなくなっていくのだろうが、「今」が素晴らしいわけで、彼・彼女らからすれば、天国なわけだ。半分はいいなと思うところはあるが、そんなことを言っている場合でないので、危機感のもと、生きていくしかなのだが・・・・。邪魔さえしなければいいのだが、その人たちは邪魔をする。悪気もない。決して小物ではない、大物なのだ。なんかこういう話を最近多い気がする。

サイトのリニューアル

岸保宏 頭脳のスキマ

テコ入れをする

このブログも5年くらいは経過するだろうか。その間にこのブログから講演がきたり、ラジオ出演がきたりと新しい展開もあったし、それなりの存在意義はあったように思う。このブログでは僕のふわっとしら雰囲気ーかっちりとわかる必要はないがーが伝わり、何かがつながっていきたいと思う方に僕を覗いていただくようにと思っている。だから超長文のようなものもは書かないし、そう長くは書かないようにもしている。少しのメッセージから何かがあればと思うところである。今回、少し追加も含めて考えてみようと思っている。世の中が変わるときに化学変化がある。だからいろいろ新しい可能性があるだろう、楽しみにいただきたいと思っている。

花粉症

毎年困ったものです

毎年のことになるが、この時期、花粉症に悩まされる。ぼぉーとするし、体調も思わしくなくなる。昨年・今年では、コロナと間違えられることもあるだろうし、ますます厄介である。耳鼻科に行き、薬ももらうのだが、効いているのか効いていないのか、微妙である。何かいい手はないものだろうか。この時期が特に忙しい時期なので、いらないことはすべて排除したいときだから、なおさら悩ましい。花粉症よ、いい加減にしてくれ。それにしてもつらい・・・。

希望に満ちる

またまた写真が出てきたので

9年前。僕も若い。呉市に住んでいたころの写真である。はじめての子で、未知の世界ばかりで楽しい日々、時間だったような気がする。ちょうど学術研究も燃えていたころで、手探りながらやっていた。たまたま失意の時に農業会計の場に呼んでいただき、捲土重来を期していたころである。この時期は戻ってこないが、こういう写真を見ると、子供がいてよかったなと思う瞬間である。やはりこのころはまだ自分に余裕があったのだろうと思う。まだまだきっと頑張れたけど、頑張っていないんだろうと思う。コロナになることも予想はしていなかった。希望に満ちていたのかもしれない。若いころの「ギラギラ」したものを取り戻していきたい。けん引するほどの圧倒的なパワーがいる。さあ頑張ろう!

巣ごもり Pt3

ふるさと納税より

外に出ない→お金を使わない→家で食事するという流れ。とすると、節税しながらご馳走をという発想から普段食べない丸焼きを頼んでみた。なかなかの食べ応えであったが、京都府亀岡市のふるさと納税であるが、コロナでの飲食店支援の商品であった。養鶏農家、精肉店、仲卸、飲食店・・・、いろいろ影響あるわな。ふるさと納税もこれだけ普及してきた制度なので、出品者も購入者もまだまだ活用していくといい。税の移動もあるので、地方自治体が普段行えるサービスができなくなるところもあれば、逆もあるが、ひとまず制度としてある以上は活用してくのはベターな考えであろう。とても美味かった。また頼もうかな。

亡き父親の誕生日

税の申し子

2月16日、亡き父の71回目の誕生日である。生前、2/16 は、金正日氏の誕生日であり、確定申告のスタートの日。いろいろあるものだ。とんと性格は合わなかったが、亡くなって思うことは、親父よりもっとひどい人間がたくさんいるという事実。これは客観視できなかったところである。かといって、素晴らしい人間だったかと問われると、そうではない。しかし、これは多くを望むことが正しいということではない。僕も多くの人に会いすぎた。71歳だとまだまだバリバリの現役だぞ、普通は。忙しいから天国から手伝いに来い!所得税も結構変わったぞ。足手まといになるかもしれんが、今日という日。確認までUPしたい。