その他

昨日と同じ朝が来る

大過なく過ごす

やはりコロナになるのかと思うが、僕にとっての危機感というのは相当なものだ。活路を見出すための手立て、糸口を探す毎日である。しかしながら、昨日と同じ朝が来る。つまり、大過なく毎日を過ごすのんきな人もいる。そののんきな人は、人ばかり否定や避難をして、何もできない。そういう人は身近にいないだろうか。たとえば、中小企業でみられるような同族会社。番頭格がそういう人なら、非常に難儀である。どこかで「居場所」はなくなっていくのだろうが、「今」が素晴らしいわけで、彼・彼女らからすれば、天国なわけだ。半分はいいなと思うところはあるが、そんなことを言っている場合でないので、危機感のもと、生きていくしかなのだが・・・・。邪魔さえしなければいいのだが、その人たちは邪魔をする。悪気もない。決して小物ではない、大物なのだ。なんかこういう話を最近多い気がする。

サイトのリニューアル

岸保宏 頭脳のスキマ

テコ入れをする

このブログも5年くらいは経過するだろうか。その間にこのブログから講演がきたり、ラジオ出演がきたりと新しい展開もあったし、それなりの存在意義はあったように思う。このブログでは僕のふわっとしら雰囲気ーかっちりとわかる必要はないがーが伝わり、何かがつながっていきたいと思う方に僕を覗いていただくようにと思っている。だから超長文のようなものもは書かないし、そう長くは書かないようにもしている。少しのメッセージから何かがあればと思うところである。今回、少し追加も含めて考えてみようと思っている。世の中が変わるときに化学変化がある。だからいろいろ新しい可能性があるだろう、楽しみにいただきたいと思っている。

花粉症

毎年困ったものです

毎年のことになるが、この時期、花粉症に悩まされる。ぼぉーとするし、体調も思わしくなくなる。昨年・今年では、コロナと間違えられることもあるだろうし、ますます厄介である。耳鼻科に行き、薬ももらうのだが、効いているのか効いていないのか、微妙である。何かいい手はないものだろうか。この時期が特に忙しい時期なので、いらないことはすべて排除したいときだから、なおさら悩ましい。花粉症よ、いい加減にしてくれ。それにしてもつらい・・・。

希望に満ちる

またまた写真が出てきたので

9年前。僕も若い。呉市に住んでいたころの写真である。はじめての子で、未知の世界ばかりで楽しい日々、時間だったような気がする。ちょうど学術研究も燃えていたころで、手探りながらやっていた。たまたま失意の時に農業会計の場に呼んでいただき、捲土重来を期していたころである。この時期は戻ってこないが、こういう写真を見ると、子供がいてよかったなと思う瞬間である。やはりこのころはまだ自分に余裕があったのだろうと思う。まだまだきっと頑張れたけど、頑張っていないんだろうと思う。コロナになることも予想はしていなかった。希望に満ちていたのかもしれない。若いころの「ギラギラ」したものを取り戻していきたい。けん引するほどの圧倒的なパワーがいる。さあ頑張ろう!

巣ごもり Pt3

ふるさと納税より

外に出ない→お金を使わない→家で食事するという流れ。とすると、節税しながらご馳走をという発想から普段食べない丸焼きを頼んでみた。なかなかの食べ応えであったが、京都府亀岡市のふるさと納税であるが、コロナでの飲食店支援の商品であった。養鶏農家、精肉店、仲卸、飲食店・・・、いろいろ影響あるわな。ふるさと納税もこれだけ普及してきた制度なので、出品者も購入者もまだまだ活用していくといい。税の移動もあるので、地方自治体が普段行えるサービスができなくなるところもあれば、逆もあるが、ひとまず制度としてある以上は活用してくのはベターな考えであろう。とても美味かった。また頼もうかな。

亡き父親の誕生日

税の申し子

2月16日、亡き父の71回目の誕生日である。生前、2/16 は、金正日氏の誕生日であり、確定申告のスタートの日。いろいろあるものだ。とんと性格は合わなかったが、亡くなって思うことは、親父よりもっとひどい人間がたくさんいるという事実。これは客観視できなかったところである。かといって、素晴らしい人間だったかと問われると、そうではない。しかし、これは多くを望むことが正しいということではない。僕も多くの人に会いすぎた。71歳だとまだまだバリバリの現役だぞ、普通は。忙しいから天国から手伝いに来い!所得税も結構変わったぞ。足手まといになるかもしれんが、今日という日。確認までUPしたい。

フラワーバレンタイン

花飾り

今日の日本農業新聞の記事。花き業界が10年前からフラワーバレンタインを提唱し、気軽な花飾りの文化を作っていこうとするもの。コロナ渦中で、花き業界も需要が落ち込み、こうした新たな習慣は農家の支援にもなる。それ以上に記事にも書いてあるが、花を贈る文化、花を通じたコミュニケーションは、遠くにいる人へもいいだろう。花がある生活というのは、心を穏やかにする。イベントや冠婚葬祭も縮小(派手にできない、大勢では開催できない)と考えると、消費の落ち込みは予想できる。バレンタインに限らず、花の存在を見直す機会にもなり得るのではないか。花を選ぶ楽しさも送る側としては楽しんでみたい。

謹呈本のご紹介

コマツの管理会計

また高尚な書籍をいただいた。学術書はやはり時間がないと読めない。確定申告が明けたら、読もうと思うが、丹念にコマツの経営、とりわけ管理会計に着目して、ヒアリング等をすすめて編纂された学術書。管理会計は、比較的実例や実務研究がさかんになっているが、やはり大規模(どこまでの規模を大規模というのか)なところを取り上げることが多い。小規模、中小企業は未分化の中にあり、研究としてはこちらを対象としたほうが個人的には関心がある。ただし、大規模は研究がしやすい一方、レッドオーシャンの研究領域なので、新たな知見を導出するのもまた大変なことではある。いずれにしても、まだ読んでいないので、それからにしよう。ありがたく感謝を込めて、この書籍をご紹介しておきたい。

 

外に出よう!

自粛もそろそろ考えものだ

3か月ぶりに100名城巡りを再開させた。だいぶ感染者も減ってきたのもあるが、そもそも城はあまり密にならない。たまたまかもしれないが、我々家族しかいなかった。今回は愛媛県大洲市、大洲城である。広島から3時間半。こじんまりとしていい城だった。帰りに道後温泉に立ち寄って、坊ちゃんの湯へ。漱石の話をしながら、懐かしい気分になった。だいぶお客様も戻りつつあるようだったが、厳重な感染対策、世の中変わったものだ。自粛も大切な時期はあると思うが、今この時は帰ってこない。そのバランスを考えながら、日常を過ごすこと。少し外に出よう!

大学について

お粗末な大学

こんな記事も出ている。退学者続出 というような記事。頑張ってきた受験生は4年間あるいは2年間通う学校であり、多くの時間や労力を犠牲にして頑張ってきたと思う。コロナ・・・、確かにこの問題はあるが、決めた試験の仕組みを簡単に変更していいのか?やりようはないのか?親の立場で考えると、そんな学校に4年間の学費を払いたくない。また行かせたくない。なぜ大学だけ甘えているのか。うちの子供たち、幼稚園、小学校と普通に行っている。大学は多額のお金を徴収し、オンライン。ふざけすぎだ。要は研究がしたいために、授業はなおざりにするだけだ。インテリばかり集まってるんだから、思考せよ!親たちもそろそろ大学に抗議したほうがいいと思う。大学を少しかじる人間としてはとても情けない話である。