その他

クラブハウス

話題のクラブハウス

すごい勢いでクラブハウスのアプリが広がってきている。これはかなり可能性があると思う。何かやろうと思い準備を始めた。やはり音声は見直されるという僕の考えは正しかったように思う。正直、音声をどう使うのかという点でアプリをはじめ、結構調べてみた。コロナというにはマイナスでとらえがちだが、コロナだからこそこういう展開ができたというシナリオも必要である。そもそも僕の動きも変わってきているし、僕だけではなく周りもそうだろう。価値観、意識もそう。クラブハウスはとかく広がる気がしてならない。新しいことができそうだ。気になる方は調べてみるといい。数か月後にはスタンダードツールになるではないかと思っている。

過去との決別

 

○○は死にました。

タレントの石橋貴明さんが、人気番組の終焉があり、「とんねるずは死にました」と言われた記事を見た。過去に広島東洋カープの前田智徳選手がアキレス腱を断裂した際に、「前田智徳は死にました」といった発言が重なるようにフィードバックしたが、そういう心境ってのはわかる。僕も自分のことを振り返っても、「岸保宏は死にました」ということも結構ある。それはどんなときか。過去の人と会わない(直接的にも間接的にも)といけない時だ。「死んだ」のだから会う必要もない。たとえば同窓会の類い(これは誘われても一生行かない)などは無駄な時間である。過去が懐かしいとも一切思わない。「死んだ」のだから、ほっておいてほしいし、蒸し返しもしてほしくない。「死んだ」のだ。新しいスタートを切っている人間を邪魔はしない。僕もされたくない。石橋さんや前田さんとは違って、僕には輝かしい過去がない、そこは彼らと違うことだが、新しく生き直している最中に、振り返る必要にない地点に戻る必要はない。僕は過去の人の成功している姿も失敗している姿もみない。遠くで僕は言う、「ほっておいてくれてどうもありがとう!」と。

1年前の記憶

 

時の流れ

早いものである。1年前、博士号の最終面接の日である。前日に大学の図書館で勉強して、望んだ。農大は論文だけを出しただけの学校といえば、そうかもしれないが、1.5か月の一度くらい通っていたので、殊更思い出がある。収穫祭(学園祭)の準備時期に紹介をしていただき、春夏秋冬。数年経過したが、ようやくこぎつけた日。父の死去から事務所の再編からとかく忙しく、てんやわんや。しかもコロナが始まった時期であったし、指導教官の退官など、もう時間がないというギリギリのタイミングであった。去年のこの時期の記憶がとんとない。学術研究もほんと出来ていないし、自分に余裕がなくなっている。時間の使い方の悪さも起因していると思うが、ちょっとずつでもやっていかなければと思うものだ。論文を書かなくなると、書けなくなる。その恐怖はあるが、学術研究でも僕にとって、「残された課題」があるので、それは少なくともクリアしたい。あと学位記を目の前で授与をされてみたい。過去、すべて授与は後日しか経験がない。歳をとって、1度くらいは経験したいイベントかもしれない。コロナも1年以上、続いているのかと改めて思うことでもある。

刺激を与えてくれる人

物足りなさの一つ

この前、ある人としゃべっていたときに、亡くなった人の話になった。その人は僕をぐいぐい引っ張り、引っ掻き回されている/回しているという関係性であったが、とにかく魅力のある人だった。故人を悪く言うとかよく言うというレベルではなく、こういう人に出会うことがないからだ。とかく面白く生きさせてくれたように思う。僕も灰汁が強いほうの人間だと思うが、僕に刺激を与えてくれる人は少ないように思う。1年に1度あるかないかで、僕自身が動いて会ってみようと思う人が出てくる。その時は積極的に動いてみるが、その積極性は誰しもなく、「刺激」というスパイスがあるかどうか。ただし、会ってみようと動いても、絶えずその人が僕に刺激を与えてくるのかというのは、また別の問題である。やんちゃさも兼ね備えたり、人たらしのようなところがあったり、完璧な人ではなく、粗削りな人間のほうが僕には刺激的なような気がする。とかく物足りない空腹感はどこにあるのか。昨日思う日々雑感。

メディアの力

昨日の放映を経て

TSSテレビ新広島で、廣島農人の取り組みを取り上げてくださった。テレビに出るのは、ほんと久々のことである。コロナ社会になってからは発信を強めているが、さすがに地上波に出るのは戸惑いもあった。周りのみんなが出ようというのに押された感じになったが、結果的には出演したのはよかったのかしれない。これからの反響である。物事には作用と反作用があるので、それによっていい方向にすべてが出るわけではない。このブログのように、地道に継続的に積み重ねることで、「じわっと」と進む、がんぼチャンネルもそうである。地上波だと劇薬的なところもあるので、荒治療になりがちになるのは危惧する点である。ただ今回の放送を通じて、違う展開も少し見えた。「じわっと」と新たな展開をやっていこうと思っている。ああでもないこうでもないと考えて、前に進んでいきたい。

FA宣言?

たまにあることだが・・・

時々、うちに来てくれないかというお誘いを受ける。転職、移籍である。話が来るのはありがたいことに、要職であり、自分には無理でしょうというオファーもいただく。やはり想像もする。もし移籍したらどういう人生に変わるだろうかとか、残りの人生はどう過ごせるだろうかとか・・・。環境を変えたいなと思うことはしばしばあるが、なかなか今やっていることを投げ出すことが出来ない。これもジレンマである。ただコロナになって激変しているだけに、すべての選択肢は排除しないという思考では捉えている。ABCと優先順位と比重を考えて、仕事も取り組んでいくことになるだろうと思う。それにしても、僕は危機感だらけだが、世の中は僕が思っているほど、そうではない。だから自分は粛々と積み上げていく、石のように「意志」を・・・。

注目のツール

映像と音声

YOUTUBEをやったり、ラジオをやったりと映像と音声を使ったものを取り入れているが、殊更映像より音声に関心が高い。オーディオブックなどの音声ツールがどんどん活用できないかと考えている。何故か、パソコン時代で映像はフルに活用し、目が疲れる。音声は動きながら移動中でも活用できるし、想像力が働く。思考力が鍛えられると考えている。これは音声に集中し、物事に向き合うと考えれば、映像よりいいのではないかと思う時がある。もちろん映像の方がわかりやすい場合も多い。しかし、音声・・・、このものをどう使うのか。またあれこれ考えているんだが、2021年、また新しい動きができないかと考えている今日この頃である。

自分の言葉で語る

 

昨日の続きになるのか

ラジオの反響も多少はある。石破さんと言えば、やはり国民の皆さんもご存じで済むような方であり、そういう方が地方のラジオに出てくださったわけだから、それなりに皆さん、おっと思うこともあったのだろう。やはり経験と実績というのもあるが、やはりすごい勉強をされている。そして反芻して、自分の言葉に昇華している。そうして自分の言葉で首長や意見が出来る。台本と言ってもこういう話をして進めていきますということくらいで、あとは風任せであったが、いわばアドリブで、アドリブと言えば失礼だが、今までの蓄積のある知識を万人にわかりやすく説明できる。あまりこういう政治家も少ないような気がする。スポットライトを浴びるというのは常に緊張感があるので、しんどいと思う。しかし、そのプレッシャーやストレスに負けず生きていける骨太さは、備えていければいいと思う。たださすがに石破さんとは器が違いすぎるが・・・。見習うところが多く、延長戦のブログになったが、何度も何度も考えることは多い出来事であった。

 

ゴールデンタイム

朝時間

朝、起きてからの時間は脳が冴えている時間であるから、効率的にこの時間を使うとよいとされている。職場に行くと、まずはメールチェックをするが、結構、時間を費やしてしまう。この時間ももったいないといえばもったいない。頭が冴える時間だから、仕事でも頭を使う作業をし、午後に機械的な軽作業をするなど、考えるといいのだが、どうしても気になってしまうのが性分。いつも時間の使い方は悩む。1日24時間、これは平等である。この平等な機会均等がありながら、どう密に時間を使うのか。40歳すぎても、うまく使っていると思わないところをみると、成長していないということか・・・。タスクが多くなるといつもぶち当たる問題である。

 

仕事にて

少し走れば 銀世界

仕事にて、安芸太田町のあたりへ。広島市内から車で1時間も走ると、こんな風景になり、雪はまだまだ残っていた。公道は除雪してあるが、かなり積雪があったのだというのは容易に予想できる。コロナでなければ、スキー場もにぎわうんだろうなと思いつつ、何かにつけては「コロナ」と向き合う羽目になる。昨日の広島市内のみの緊急事態宣言もあったので、また影響が多分にあると思い、心配事は増える感じだ。ただ隣接している自分の住まいの海田町は対象外地域になるので、こうしたところのケアをどうするのか。政治が試されることになる。雪をみて、気持ちは晴れたのは束の間の出来事である。平穏無事な日々を早く過ごしたいものだ。