その他

年末の音

今年もこういう時期か

生命保険料控除のはがきが自宅に届き始めた。そう考えると、今年も終わりが近くなっているわけで、また歳も1つ重ねるわけだ。生命保険料控除も、介護と年金にもわかれ、僕が最初に年末調整をしていたころとは変わった。マイナンバーを必須としたりと、時代の変容を感じる。年末調整も本来はやめて、アメリカのように自分で申告をしたほうがいいと思う。納税意識は必ず高まるし、会社負担も減る。申告会場は殺到するかもしれないが、これからのデジタル化。少し考えてはどうだろう?税理士いらずの世の中になるかもしれないが、まあこれも時代の流れだと思うのだが・・・。気づけば、10月。今年も終わりの音が聞こえ始めた。

自治体のお仕事

多種多様

とある自治体の「関係人口」のお仕事(民間払い下げ)のものを少しやらせていただくことになった。地方の活性化と東京一極集中の是正に向け、「関係人口」の創出・拡大を推進するというもの。ちょうど日本農業新聞の今日の朝刊に掲載されていた。まだ不勉強であるが、中身をみると面白そうだ。中長期にわたるものになると思われる。地方と都市との関係は、コロナの影響もあり、加速するだろう。何が加速するかというと、テレワークや働き方改革、デジタル化、5G・・・、このような流れの中、地方で仕事をし、必要あれば都市へなど、人の動きも変わるのではないか。新しい仕事の中で、社会を見直したい。

協会ビジネス

見方を変えて

2017年に出された本であるが、最近、とある協会を立ち上げようと思い、書籍を購入。これには日本唐揚協会の事例や日本アイスマニア協会の事例など、事例を上げながら協会設立をどう構成していけばいいのかが書かれている。よくブログでも書くが、コロナ渦中での危機感は半端ない。将来の見通しが立たない以上、できることをやる。できることをやることと次の一手をどう打つのか、撤退も早くていい。とにかくやってみること。もちろん何でもかんでもやればいいわけではないが、自分のできることも限られているし、能力もある。協会はひとつ立ち上げることで展開を考えてみたいと思う。協会ビジネス系は何か役立つように思うので、読んでみることをお勧めする。

 

穏やかに歳を重ねること

 

難しい難題なのか

父親の一周忌無事、終えた。この一年は嵐のようで、走馬灯のように時間が過ぎた。マイナスのことの方が多かったようか気がする。将来のことを統計をとると、かなりの割合で不安があるという意見が多い。穏やかに歳を重ね、普通に安心感のある生活を享受することは難しいということか。コロナ時代になってから、脳が休まらない。思い切って、思考を変えなければ、幸せはないかもしれない。だいぶ変えたつもりだが、まだ足りないのかもしれない。

オンとオフ

世捨て人

この2週間くらい携帯電話自体をもうやめようかと真面目に考えている。昔、書いたことあるが、携帯電話とメールのおかげで、大変な時間を浪費する。携帯電話があると、便利なんだけど、オンとオフもはっきりしない。なければないという生活になれるのか、ほとんどの人がある中、完全な孤立になるだろうが…。たとえば、9時5時の間しか携帯電話をつけないとか、なんか考えないと…。忍ぶ生き方は憧れる。

10月1日酒の日

今年はご遠慮

毎年、10月1日は日本全国酒の日。職場の東広島は酒どころなんで、いろんなところで振る舞い酒があるのだが、今年はコロナだからどうなんだろう?さすがに僕も遠慮する。今年は、春の醸華町まつりも秋の酒まつりのコロナで中止。酒蔵にとっても、コロナで飲食・観光もダメージがあるので、売れていないだろう。今日の酒の日はどんな感じかとも思いつつ。やはりコロナもあって、飲みに行くのも億劫になってきており、そう考えると、よく外食していた人も思考が変わったのではないかと思う。

見て見ぬふり

激変する未来

AI革命とか5Gの時代、アフターコロナ、社会の様相は変わるに違いない。ただただ変化に対応できず、見て見ぬふり。今日と同じ明日を過ごす人も多いかもしれない。融資はひとまず出た。会社の資金は今は大丈夫。今は猶予があるにせよ、回収が始るころには倒産ラッシュが見える。今の状況を把握し、未来を予測する。そのために準備をし、動く。思い切ったチェンジさえ必要になる。今の現状がよければそれでいい。そういう人もいる。やはり人それぞれ温度差があるから、危機感の度合いも違う。だから周りに伝えることもやめようと思う。自分が自分の危機意識のレベルで行動する。今やらなければという意識で。明日でいいやという人は、結局後回しにして、うやむやにするだけだから、これを相手にしていては事は進まない。高い危機意識が僕にあるので、遅れるとリスクが高まるような気がする。人を変えようという力学が働いていた気がする。自分の領分と領域で動かしていく。粛々と自分を構成していきたいと思う今日この頃。

 

アイスクリーム屋のおやじ

仕事の立ち位置

僕はいろんなことをやっており、自己紹介にも困ることはしばしばである。総合商社ということもあるが、やはり「アイスクリーム屋」のおやじというのが一番いい。まず肩ひじを張らなくて済む、人の付き合いのハードルも下げて、僕の方が下に見られる。このほうが人間関係がスムーズにいく。そう考えると、それが一番だろう。エプロンをつけて、働く自分も好きである。いつも思うのは、人はレッテルを張って、物事を見る。だからこのフィルターで判断する人が多いので、僕は「アイスクリーム屋のおやじ」でいることの方が幸せな気がする。これまで虚勢を張っていたのかもしれない。ちょっとこんな感じで自分を再構成したいと思う今日のこの頃。

好きなものは好きと

割り切った思考で

僕のことを嫌いな人に好きになってもらおうという思考。僕にはそういう思考はない。好きな人は好きだろうし、嫌いな人は嫌いだろう。嫌いな人に興味をもってもらおうとかという努力もする気もない。もう40歳をすぎて、人生の午後に入り、殊更、この思考は強くなった。敢えて敵も作ることはないが、異業種交流会であるような、薄っぺらい人間関係で気を疲れるし、会う必然のある人は会うだろう。コロナ社会になってから、常に未来の不安が付きまとう。だから次の一手の準備を怠らないようにと思い、どんどん進めている案件もある。僕のことを嫌いな人は多いだろう。大過なくという生き方ではないし、生意気なほうだから。でも、僕を好きな人は好きであろうから、そこへ注力した方が人間関係もビジネスもうまくいくのではないか。僕は斜に構えている人間だから、最初はとっつきにくいだろう。しかし、どこかで接点がある人は接点ができる、新しい人間関係もできる。そう思いながら生きている。今、やっていること、取り組んでいることは未来が証明する。ベジアイスのように。

お彼岸

静かな朝に

庄原の祖父祖母の墓参りに続き、父親の墓参りも済ませた。ここは家からほど近いところに墓所を構えたので、行き来には負担がない。誰もいないだろう朝早くに出向いたが、朝に参る人もいるようだ。10月に一周忌を迎えるが、だんだんと人々の記憶から消えていく。望まない大掛かりな葬式になったので、ようやく静かにさせてもらえる気もする。望まないといえ、多くの人に参列していただいたのは感謝しかない。それにしても、69歳で亡くなるのだから、やはり少し早い。不摂生、極まりない父親だったから、仕方ないのか。自分にも問いかける気がしてならない。