岸保宏

焦っているときほど冷静に

ふと我に返る

忙しい毎日で、これしないといけないというものが多い。だからとにかく仕上げて、量を減らすという意識で進めるが、ミスが増える。そうなると悪循環となる。今日、起きると、日曜日と間違っていた。ようやく休めると思ったが、金曜日であり、一息落ち着いたところで物事を見ていない。そう思うと、ちょっと立ち止まって物事をみないといけないなと思うのだ。急がば回れという言葉がある。まさしくその通り。当たり前を当たり前にできないときこそ危ない。そんな戒めを思う今日である。

1/2成人式

いい機会だと位置づけて

小学校で1/2成人式というものがあったそうで、親からお手紙のお返事を書くようになっているらしく、その返事を書きました。パソコン時代になっているので、手書きで書くというのは少なくなりました。若い頃は手紙もよく書きましたが、いつぶりだろうと思うほど前です。息子に手紙というのも照れくささはありますが、10歳という感受性が高い時期に言葉を残すのもいい機会と考えたいと思います。まあまあの枚数になったなと思いつつ、脱稿。

文学の小部屋

一人だけの空間

文学と農業会計の部屋とをわけている。場所も違うのだが、最近、この文学の部屋にいるとすごく落ち着く。追い求めたものが詰まっているし、文学は僕の生きる糧であった。だからこそ辞めてはいけなったのに辞めてしまった。非生産性のものに生産性を負うことで苦しくなったせいだ。昔、中学ないし高校の国語の先生になったらどう?と言われ、教職の免許を取るように、指導教員に言われたが、そのときは一度リセットしたいばかりだった。持っておけばよかったなと今は思うが、時は帰ってこない。そう思うと、人生の道中はいろんなことがわかっているようでわかっていない。そう思う。残りの人生をどう構成するのか、あるようでない時間、生きることにエンジョイできればと思うのだが、しんどいことだらけである。

語彙力の強化

絶対的な基礎的部分

最近、知った本だが、これはいいなと思った。高校生までに知っておきたい2000ワードのようだが、クイズのように問題があり、以下で解説している。高校国語を分析して選んだようだが、結構ハイレベルなものもカバーしているし、これは将来的に子供にもそれぞれ買い与えようと思う。おすすめ。やはり語彙が不足していると、論理といってもそのレベルの基礎的前提がないので、話が進まない。最低限、基礎的な部分は絶対的に必要と思う。子供がもう少し大きくなって、一緒に学べるときが来るといいなと思うのだが、果たしてどうなるだろうか。その時まで少しずつ学んでみたいと思う。

 

坊ちゃんを読み直す

坊ちゃんから学ぶ

漱石を少しずつ読み直している。今回は坊ちゃん。言わずと知れた作品だが、1週間から10日で書かれたと言われる小説であるが、素直に坊ちゃんの成長小説として読めばいいと思うが、それでもなお深く考えるのは、清の存在、死というものから人生を考えるというか、その人が死んでも、受け継がれるもの(人)の中で生きるんだという命題を与えられているような気がする。そして、教壇に立つようになってから、教師の正義感とか思うこともある。漱石はやはり面白い。もう一度読み直そうと思っているが、なかなかうまく時間がコントロールできない。できるなら、少しサバティカルのような休息が欲しいなと思う今日この頃。

 

ひと花を咲かせる

過去と成功

僕が言ってみたい言葉で、「もうひと花咲かせる」。この「もう」というのが味噌で、「もう」ひと花と言えば、過去に成功していることを意味する。だから僕の場合は、「ひと花咲かせる」という言葉の使用が正しいと思われ、何とかその花を咲かせてみたいと思っている。10代のころは何とか20代で、20代のころは30代でとだんだんあとになってきており、結果的に成功はしてない。何をもって成功というのかは難しいが、満足度が低いんだろうなと思う。なかなか思うようにはならないものだ。

10年前の写真

年をとれば、楽になる

10年前の写真が出てきた。子供を背負い、仕事。役所とか外回りもこうした格好をしていた。まあ毎日ではなかったが、結構、このスタイルは好きで、もう子供もみんな大きくなったので、二度とない姿かもしれない。10年前と今であるが、もう少し年をとると楽になると思っていた。実際は、物質的にも精神的にも豊かになったとはいいがたい。懐かしい写真である。

親父の誕生日

72回目

生きていれば、72回目の親父の誕生日だ。よく金正日と同じ誕生日だと言っていた。この日より確定申告期間もはじまり、現職の時も所得税出身だったので、何か縁のある誕生日だろう。親父という人間に関しては、ほんと合わない人間で、どう思い返してもろくでもない父親だった。しかし、亡くなってから思うのは、親父よりもっとひどい人間が多くいるという現実を知り、少し株は上がった。しかし、相対的にはそうかもしれないが、絶対的にはひどかったと思っている。生きている間は、衝突ばかりしていたので、盲目的であった。まあそれでも血は地なのかと思う。静かに今日という日を過ごしたいと思う。誕生日おめでとう!

しょうがない

今の職業だと・・・

昔も書いたことあるが、僕の仕事で言えば、完全に逃げ遅れた。あれよあれよと逃げれなくなって、結局、立ち止まっているような感じである。会計事務所の仕事だと、確定申告時期は縛られる感じがある。期限が迫っているので、どうしても仕事をしないといけない。量も多いので、仕方ないが、それにしてもこの時期が毎年、こういう状況というのも機会損失と思えることもある。昔、さっぽろ雪まつりに行ったことあるが、たまたま連休にもなって、もう二度といけないかもしれないと思い切って行ってみた経験がある。もしもう少し有給でも取れてゆっくりできるなら、もっと違うこともできるのかなと思ったりもする。仕事があるだけありがたいのだが、人間はないものねだりである。「もし、たら、れば」ということは多い。それにしても、毎年忙しくなっているのは気のせいだろうか。

年齢を積み重ねて

おじさんたちの行動

45歳と言えば、もう立派なおじさんだろう。月日が経てば、おじさんと言われる年になるには当然であるが、なぜおじさんたちはスナックやスタンドに行くのかというのが非常にわかる年になった。そのママを口説こうとかではなく、話を聞いてもらいたい、だから一人で行く店には一人で行き、話をする。そして適当に飲んで歌って帰る。仕事や家庭で言うに言えないこと、持ち帰れない話など、気持ちのリセットにちょうどいいのかもしれない。だからよく聞いてもらえば、飲み代は当然に払うにしても、少しケーキでもというお土産も持って行こうかと思うのではないか、ふとそう思うようになった。コロナで飲食店は閉まっているが、社交場というか、そのトポスは重要な役割を担っている気もする。これは加齢でわかったことで、若いころには分からなかった心境。僕の推論があたっているかはわからないが、この前から思うことなど。