岸保宏

もう少し動けばとも思うが・・・

力をつける

来年度あたりからは再発進で動いていこうと思うが、今年度はまだじっくり力を養成する。一度、立ち止まって物事を考えたいという時期で、できるだけ一人でいるようにしている。だからもう少し動けばいいのにと自分で思うこともある。しかし、動く=工数が増えると考えると、二の足を踏む。それだけ「いま・ここ」を大切にしているからである。しかし、もう来年度をこうしよう、ああしようと準備だけはしている。気が早いかもしれないが、時が経つのが早すぎて、怖いのだ。いつになったら、悩みもなく、晴れやかに生きられるのかとも思うが、人生はそんなものかとも思いながら、春雨の日を過ごす。

やはり理論なのである

深く考えること

会計学の講義、これに教科書を変えていこうかと思わなくもない。友岡先生の書籍を変えるだけといえばそうだが、理論的なことに傾斜したほうがいいかなと思い、つらつら再考している。簿記に会計は立脚する(だから会計嫌いを助長するのかもしれないが)というのは、たぶんわかればわかるほどそうなるのではないかと思う。とすると、その簿記を離すようにするのは好ましくないが、理論的なものをしっかり教えるというのもいいのではないかとも思うしと、改めてそんなことを思い始めた今日この頃。

 

著者 :
慶應義塾大学出版会
発売日 : 2007-10-01

もう10歳ですか

時が過ぎるのは早く

先日、長女も10歳となった。10年前の生まれたときの写真である。しわくちゃの顔で生まれてきたのが、昨日のことのようだ。3人子供がいるが、たぶんこの子は普通の幸せをつかめるのではないかと思っている。素直に物事に向き合うし、実直さが伝わる。しかし、どんくさい、とろいなどそういったところはあるので、何かやることなすことが遅いのは否めない。性格もあるが、もう少し早くとはいつも思うものだ。長女は芸術系に行くのが今のところいいのではないかと思うが、こうしなさいと決め打ちはするつもりもない。ただし、基礎的素養にかんして、長男に英語を必修化させているが、そこのものさえクリアすれば、別に何をしようがこだわりもない。そういった意味で、少しずつ自我が芽生え、自分を形成していく。その成長を楽しみにと思っている。

本日の読書

久し振りに一般書

東京15区の選挙にでている福永弁護士の著書。気になって著書があったので、読んで見た。楽しく読めた。たとえば、P126。「ゆっくり考えて1つを試すより、スピーディーに3つ試す」という件。決め打ちをしないで、動きながら検証するとか、肩書に縛られないとか(P216)、キャリアの連続性を考える必要がない(P219)など、同じようなことを考えているなと思うこともたくさんあった。なぜ選挙に出たのか、わからないが、それぞれの生き方、考え方があるけど、新しいことにチャレンジをし続けたい人なのかなと書籍からも感じることであった。一読をおすすめする。

 

著者 : 福永活也
クロスメディア・パブリッシング(インプレス)
発売日 : 2019-07-12

 

農業の倒産

資材高止まり続く

今日の日本農業新聞の1面である。農業の倒産が最多更新だそうだ。負債が100万円から5000万円がもっとも多いようである。スタートアップに多額の資金を要する。農業は単価が低いものを売り、商売をするのだから回収という観点ではなかなか厳しい。そして気象の問題や生産物の育成と考えると、不安定な要素もあるので、計算通りにはなかなかいくまい。資材の高騰もボディブローのように効いてくる・・・。農業は人間生活の根幹を担う「食」であり、大切な産業である。これをどうとらえるか。保護が手厚いのか薄いのかなどいろいろ議論はあろう。しかし、こういう記事をみると新たな担い手が出てくるのだろうか。別の産業を職業に選んでいくのではないかなど、やはりいろいろ思うことは多々。価格転嫁・・・、これは当然ではあろうが、賃上げ?さあどうなるんでしょう?

久々の蕎麦屋紀行

人の趣味で楽しむ

3,4か月に一度、一杯やる先生がいる。その先生はとかく蕎麦が好き。だから飲むときもできるだけ蕎麦の店を選ぶ。昨年は東京にいった際も、1日4食も蕎麦を一緒に食べた。いい思い出である。趣味がある人はうらやましいもので、自分には何もない。自慢にもならないが、じゃあ趣味のお裾分けというか、たまにその人の趣味に付き合うと楽しめないかと思うようになり、これはこれでと思いながらいる。十人十色。興味は違い、それはそれで面白い。今回は二八蕎麦。おいしくいただきました。

昼でもどうですか?

たまにはランチでも

昼でもどうですか?と誘いもあったので、たまにはと思い、食事をさせて頂いた。痛感するのは、ランチタイムの有効活用、コミュニケーションの必要性である。今頃は忙しいし、自分でも考えたいことが満載なので、一息つけるように一人でいるように極力している。しかし、たまにこうして出かけて、他の人としゃべるのもいいものだなと思ったものだ。夜と違い、昼タイムは時間も区切りが見えやすい。これ、大切な時間の使い方であるよねと改めて思うランチタイムでした。

謙虚な社会科学だそうだ

ほんと「謙虚」なのか

一応、専門はと聞かれると、「農業会計学」と答えているが、その農業会計学は、農業経済学の一端から派生しており、その一部として考えていい。僕の立場からすれは、社会科学で育ってきたと思うが、最後は自然科学の農学部出になるわけで、ほんとどっちつかずで生きているのは間違いない。そのどっちつかずの僕が先日読んだ「農業経済学の意義」で違和感を感じざるを得ない。謙虚という言葉が果たして適切なのか。中身を読むと意味はわかる。「本質的な構図をシンプルな概念で提示するのが農業経済学の役割」、「能動的に日本の農業を内外に発信することが重要である」ということは理解できる。果たしてそれが「謙虚」なのか。ぱっと言葉が浮かんではこないが、「謙虚」ではない。そんな所感を得た記事であった。

新たな門出

子どもから大人へのステップ

長男が今日から中学生である。3人の子どもにも伝えているが、幼稚園をもって、父親が入学式や卒業式に行くことは辞めている。①みんな行けるかどうかわからないので、不平等になりうる、②父親は外に出て、仕事をして、家族を養うのが本分、といったことを念頭にそうしている。だから子供のことも心配ではあるが、ここは母親に任せている。中学生になると、今まで小学校では最高学年であったが、また新入りの新人である。環境も多く変わるので、人格形成にも大きく左右する。公立には行かせたくなかったが、自発的ではないといくら進学校にいったからとて、成功するはずもない。結局は自分なのである。これからは「大人」として成長を期待する。あまり大カバチを垂れると、父親の雷が落ちるのもわかっているとは思うが・・・・。わんぱくもでいい、たくましく育ってほしい(何かのCM)。

再会の場

若いころの話

若い頃、わいわいやっていた人が再独立をして飲食店を開業したので、お祝いがてら一杯飲みに行った。空白の時間。やはりコロナもあったり、別の仕事にもついたりといろいろ苦労はされていたようだ。空白の時間、僕ももちろんいろんなことがあって、悶々としていたし、ああでもない、こうでもないと思いながら生きていた。だからそれぞれに思うところはあるだろうが、こうして何とかこうにか再スタートを切れたことに素直にお祝いしたい。歳をとると、残念ながらこれもできる、あれもできるという風にはならないだろう。どこかの政治家ではないが、「自分の立ち位置」を考える。50歳のカウントダウンは少しずつ進んでいる。僕は僕なりに頑張っていくし、また再起を目指して頑張る姿に刺激と再会の喜びといろいろかみしめたいい夜であった。