岸保宏

農業の現場

中山間地域の農業から

昔、広島県の農産物のブランドの仕事をしていた時に、抜群の農産物で登場された世羅の恵様へ毎年、とうもろこしを分けて頂く。他にお裾分けしても、抜群の評判の一品。ブランドの審査の時も、審査員も評価はかなり高かった。そんなこんなで7,8年はゆうに経過しているだろうが、時期を見計らって、参るわけだが、先駆的に動いている。やはり近年は天候不順の影響が大きいようだ。これはここの農家さんだけではないが、深刻な問題である。どうも広島県は農業支援という点でかなり弱いと思うのだが、当分ご無沙汰もしているので、もろもろ聞いてみたいものだと思うところ。円安の影響もすごい。未来の農業はどこに・・・。そんな諸々を思いながら1年に一度の訪問をした記録である。

来広

在京時の友人がやってくる

今年は野球に行く機会が多い。野球は大好きだけど、どうも今頃時間をとられるのが嫌であり、そこへ行くまでは億劫な気持ちになる。行けば、純粋に楽しめるが、それまでの前段階のエンジンが入らない。野球に限ったことではない。どうも先に予定を作る。その日がやってくる、その時間が来るという「間」がどうも好きではない。さて、久しぶりに東京時代の友がやってきた。振り返ると、2018年の日本シリーズでここで会っている。東京でもたまに会うが、いろいろ話が出来たなあというのが実感。だんだん歳を取ると、人と会う時間もなくなってくる気もして。密に会っていた時のようにはいかない。当たり前だけど、それが歳を取るということなんだろうが、時より蘇る若い頃。そのこともいろいろ考える。東京には戻りたいと最近、強く思うが・・・。

査読論文

校正が終わり掲載へ

久し振りに査読論文。学会というところが好きではないというのもあるが、今回の気づきは出版社がやっている学会は校正もよく、学ぶが多いということがわかった。やりとりの中で、精度の高い校正、きちんとしたレスポンス。気持ちのいい仕事であった。査読というのもどうかという疑念はあるが、論文を起こし、世の中に出す爽快感はやはりある。僕の目標はあと少し、もう少し踏ん張って頑張っていくこととする。

久し振りに呉へ

仕事にて

呉に行くことはあまりない。僕も一時期、何かと用事もあったので、よく行っていた。身近な地域で親近感もあるのだが、ほんと滅多に行くことはなくなった。なので、久しぶりに呉に入り、懐かしい気持ちで一杯。たまには呉冷麺の珍来軒へ。運よく開店前。うまく食することができた。呉はなんか活気という点で年々、衰えている気がする。呉の人の豪快な気質も好きなのだが、触れ合うことがなくなってきているので、寂しさもある。コロナもあったし、自分の考えも変わった。一人でいたいことも多くなったのもあるが、まあ広島県に住んでいるんだからもう少しかかわりもあっていいなと思う土地である。妻の出身地でもあるし、息子も呉で生まれたわけで、そんなゆかりもある土地柄なんだから。

諦めるしかない

殊更思うこと

相手のことを「これくらい」はできるという前提で物事と向き合っていても、相手にその能力がない場合、結論的にはにっちもさっちもいかなくなる。要は「ようしない、やり切れない(やる能力がない)」という風にあきらめるしかない。失望もしかりだが、そう思うようにした。これが僕なりの結論である。この近年、こういうことでイライラすることが多く、じょちょ不安定になる。会社がどうのとか、そんなことを聞いていない。「あなた」に期待して、信頼してその物事を頼んでいるのだ。これがお金が絡むことになるからややこしい。その場しのぎがばれ、いい答えは導けないのも仕方ないのかと思いながら。改めて人付き合いは難しい。昨日と同じような話だが・・・。

雪崩のように運気が悪い

人には裏切られ、それでも生きる

ほんと小さないい話があって、ぬか喜びをすると、少しの時間で奈落に落とされる。そんなことが重なっている。人間不信にもなっているが、どうも落ち着いて検証すると、その人にその器がないにも関わらず、大きく見せた器や、あるいはその場しのぎのことが大火事になっているケースではないかと思う。たとえばと言いたいところだが、愚痴にしかならないので、辞めるが、あんまり「情」を出さない方がいいのかなと思ったり、人とのかかわりを辞めた方がいいかなとかいろいろ思うものである。先日、書いたが、「淡交」。これに尽きるような気がしている。嫌気がさすので、基本的に今は自分を塞ぐしかないように思うもの。ああ、何かいいことないだろうかと思うのだが。

旅立ちの時

新たな門出と寂しさ

人は環境を変えたいなと思うことはしばしばあるのではないか。僕も広島は大好きであるが、違う場所に移り住んで人生をやり直したいと思うことはよく思う。今は望みが叶うのなら東京に帰りたい。戦友が海外に就職すると連絡があった。出会ってからはたくさん助けてもらったし、気も合ったのでよく連絡もしていた。仕事的にはコロナも合ったりと苦しいことが多かったようだが、ほんと休みもなしでよく頑張ったと思う。一区切りついたこともあり、海外へ移住を模索していたが、彼の念願は叶った。しかし、一抹の寂しさはある。いくら多くの人と付き合っていても、そう気の合う人間は少ないものだ。そう思うと、旅立ちの応援と寂しさという心の渋滞はあるが、これも人生なんだろう。環境が変われば、また人生も変わってくるだろうと思う。

大逆転へ

猛追、あと一息だ!

一度、会ってみたいと思い、先日、選挙の激励をした。本人にも会えた。ほんと普段は年下の好青年で、政治になるとエンジンが入り、いい顔つきになる。歯切れもよく、先を見越しており、彼に都知事になってほしいと思うばかりである。自分の言葉でしゃべっているし、血が通っている。褒めちぎるばかりである。経済の手法で政治に参入しているように感じ、政治の世界でスーパースターになっている。今回、まだ現職が強いだろうが、奇跡をみたい。奇跡と言ってはいけない。現実に。今回、心を熱くさせられ、自分も頑張らないと思うばかり。さあ頑張ろう!

減少の加速化

農業問題

これは先日の記事であるが、本日の日本農業新聞でも農業経営体90万割という記事が出た。国内の農業生産をいかに維持するのかが課題となっているが、若手の農業参入には所得の低さもあるし、創業資金の確保などなかなか進まない。離農、新規就農・・・・・担い手の問題は大きいなと思うところ。集落営農を中心に研究をすすめている身としては、地域維持には必要な要素であるが、問題の繰延をしているだけで抜本的な解決はしていない。どうすればいいのか、おそらく農業の場合、事業を軌道に乗せるには7年はかかると思う。まずもって創業資金がかかりすぎる。ハウス一棟建てると、今や5000万円近い。軌道にのせるまでの支援をどうするのかをもう一度構成すべきと思う。食は人間生活の根幹を担う。食料自給率が40パーセントなら、60%は食べられないということ。輸入に頼るだけではいけないのでは?2割減と言えば、10000人から8000人ということ。100万人なら80万人である。そういう事実を受け止めるべきであろう。

君子の交りは淡きこと水の若し

2024年上半期を振り返り

昨年の今頃から一人になる時間をできるだけ作るように、人とのかかわりを弱め、40代の棚卸をきちんとして、50代へジャンプアップしようとするライフスタイルを変えるようにした。しかし、これまでよりは一人になる時間が出来たように思うが、僕が望んでいるほどではない。荘子にある「淡交」。こんなことを思い出した。君子の付き合いは水のように淡泊なので、その友情は永続きするというところから、あっさりした交際のことを指すが、これくらいがちょうどいい加減ではないかと思う年頃なのかと思う。また若いころによく口にしていたことがあり、女優の原節子さんが一線の走っている際に、鎌倉に隠居し、忍びながら生きる。鎌倉好きな自分でもあるので、殊更彼女のような生き方にも憧れた。このこともよく話するようにもなった。節目というか、最近は、頭の中に張り巡らせるようになった。
上半期で感じたことは、本質をよりよく考える人は少ない。付和雷同。この傾向を感じることが多くなった。「淡交」をしなければならないんだなと。人の裏切りも多く、神髄をつけば、衝突する。裏を返せば、これを理解して向き合わなければ、排除の論理になる。こういう人間模様も得た。
それにしても、時の経過が早いなと思う所感。改めて「淡交」、生き方として必要と感じる今日この頃。