学生と先生との間
会計学というものを教えるようになって、改めて一から学んでいるのだが、奥が深いなと毎日のように感じる。利休道歌のあるように、稽古とは一より習い十を知り 十よりかえるもとのその一という言葉は、かみしめるように感じる。学生に教えていて、難しいという。はじめてのことにチャレンジするのはしんどい。しかし、大学で学ぶということは大人へのステップ。もう子供ではない。這いつくばって理解できるように努力することも必要ではないか。今回、選んだテキストも復習もしやすいと思っているが、学生にはそうでもないのかしれない。僕とのギャップは、大きいような気がする。何とか理解してほしいし、世界を広げたい。わかれば楽しくなる。そう思いながら、結構悩んでいる今日この頃。
芸術文化学習プログラム
子どもたちが陶芸を学びだして、1年半が経過する。当初は息子が習いたいと言い始めてスタートしたのだが、いつの間にか娘も通いだした。なかなか陶芸を学びたいという子供は少ないかもしれない。手を動かし、創作する。この営みは非常に大切な経験となると思う。まず何を作るかは誰も言わない。自分で作りたいものを決め、それを作る。そして先生がサポートする。自発的に先生に指導をお願いし、それを学ぶ。親としては続けていることがうれしいし、積極的な姿勢が何よりも励みになる。それぞれに作品も上手になっているのも感じる。とにかく継続は力なり。この学びを将来につなげてほしいと思う。
落花生を掘る
お誘いを受けて、落花生の収穫体験へ。落花生をそもそも広島地方では栽培している農家も少なく、レアな体験と思う。今回は東広島市のイベントも協賛されたもので寄らせていただきましたが、農業体験の中では非常に面白いなと思うものであった。土の中にこんなに落花生が育っているのかという発見もあるし、どうも落花生栽培は手があまりかからない(→他と比べて)ようだし、新たなる地検も得た気がする。産地化を目指して営農されているようだが、これは可能性のある農作物のような気がする。子供らにとってもいい経験になっただろうと思う。
たまに食べたくなる「むさし」
ふっと息が抜けるときの一つのシーンとして、食事の時間はそうだろうと思う。コロナになってからは店内飲食ではなく、コンビニやお店でのテイクアウトは多くなった気がするが、昔から広島の弁当と言えば、むさしのむすびであろうか。新幹線なんかで移動で食事時間が重なると、必ずと言っていいほど買う弁当であろうか。カープの時もよく買っている。今年は岡山への授業の帰りは岡山の駅弁を買って、新幹線で食べようと思うが、それぞれの地域でこれっというものがあるだろう。広島はむさしになろうか。最近はいろんなことがありすぎで、脳がつかれることが多い。故に、ふっと息の抜ける時間は至福の時である。オーバーワークのような今日この頃。
なんか良さそうだ
単純な思考なのか、めざましテレビで家庭用のポップコーンの機械が出ていて、2,000円程度ということもあり、即購入してみた。息子とちょっとやってみようと機械を動かしてみると、出るわ出るわ、ポップコーンができるではないか。酒のつまみにもいい、子供のおやつにもいい、なかなかと思ったものだ。こういうメカを買うと、機嫌が悪くなるのがうちの妻である。必要がないと喝破される。別にいいんじゃないかなと思うが、これは思考の違いである。それにしても、いろんなものが世の中にあるものだと思う今日この頃。
少しずつ出るときは出る
緊急事態が明けたらということで、久しぶりにある方とご一緒した。店も制限があって、ほんと出不精にはなった。昼間に決めるべき話と夜の情報交換と人付き合い、やはり大切だな、この両輪。コロナもあって、飲まなくていい酒は増えたのもプラスだが、飲んだ方がいいという酒もあるので、この点出来なかったのはマイナス。有効な時間の使い方は考えるものだ。ただメリットデメリットという二分した考えで、人生をまとめると無味乾燥になるので、そればかりではいけない。無駄なことだらけが人間らしいと言えまいか。まあいろんな話ができて楽しい時間であった。少し僕からもアクションをかける人にはそうしようと思う。
今回から新幹線
毎週、月曜日に岡山へ非常勤。だいぶ身体も慣れてきた。今回から新幹線通勤になり、身体が楽かなと思ったが、新幹線のこだま移動だと駅の停車時間が長く、イライラ。本を読む時間が創出できたのは何よりありがたいが、なかなか慣れるには時間かかるかもしれない。のぞみはありがたい存在である。今回、新幹線の事故により急遽降りたのが新倉敷。どうも庭瀬に行くのはこっちの方が楽かもしれない。新倉敷に初めて降りたが、人の少なさにびっくり。ほんとに大丈夫なのかと不安いっぱいにもなった。それにしても、岡山にピストンで行って帰る、それだけのことだと寂しいので、少し岡山も楽しんでみようかなと思うところだ。早いもので4回目の講義も終わった。人に教えるというのも悩みがあるなと思う今日のこの頃。
日本に夢を持って
三原市に新しい日本語学校の設立を目指している。旧北方小学校の廃校での新たなる挑戦であるが、留学生が本当に日本に来れるのかというコロナ渦の大きな悩みである。日本に来たいという留学生は多いようだ。日本にはそれだけ魅力があるということの裏返しになるんだろうが、こうしたニーズの受け皿もやはり作っていくのは必要と思う。日本語学校はどのように展開できるのだろうか?正直、学力がどのくらいある人で、この学校を卒業して、どういうキャリアを描いているのか、さっぱりわからない。少しずつコロナ後のWITHの社会に希望を見出す、新しい動き。僕もどうかかわっていくのかは未定であるが、少し動向は楽しみにしている。
体制を作る
この前のオンライン講義もあったが、会議も通常に行われるようになっている。コロナが明けても、さらに活発になるだろうと思う。この意味においても、何らかの機器を常備することは必然だろうと思い、いろいろ調べている。購入を検討しているのが、MEEPET。これは便利かなと思っている。手軽なシステムは導入したいと思う。PCにしても、スマホにしても、あれもこれもというのは僕はいいとは思わない。総合化はいいこともあるが、弊害もあるなと。もしいいものがあれば、紹介してほしいものだ。
オンライン講義にて
はじめて東海地方からの講義の仕事をいただいた。ZOOMなので、距離は関係ない。久しぶりに名古屋にも呼んでくれれば行ったのにと思いつつ、パソコンの前の孤独な講義。とにかく疲れる。準備にも時間を要すのもあるが、相手の反応がわからないのが本当につらい。こうした縁も大切とは思うが・・・。今回はマーケティングの話。内容は豊橋イチゴのブランド化でのあれこれを僕の経験などを踏まえ、話したわけだが、会計学以外の話の方が受けはいい気がする。不人気の会計、でも必要。教え方・伝え方はいつも悩む。