今日まで40年、今日から40年
実家である税理士事務所が今日から法人化して、再スタート致しました。先代から通算して40年にもなる税理士事務所。法人化も時代の流れか、違和感なくスタートしています。まあ新しい人が追加で入ることで、組織強化にもなるし、また新時代を作っていけると思うので、いい流れなのかもしれません。この数か月、忙しい日々を過ごしました。まあほんといろいろ雑多で疲れ果てましたよ~。心機一転、頑張ります。是非、応援してください。
実家である税理士事務所が今日から法人化して、再スタート致しました。先代から通算して40年にもなる税理士事務所。法人化も時代の流れか、違和感なくスタートしています。まあ新しい人が追加で入ることで、組織強化にもなるし、また新時代を作っていけると思うので、いい流れなのかもしれません。この数か月、忙しい日々を過ごしました。まあほんといろいろ雑多で疲れ果てましたよ~。心機一転、頑張ります。是非、応援してください。
詰めになっているのか、それともひっくり返されるのか、正直、よくわからないが、形にはなってきたように思う。最後の最後に、こうなのかもしれないという自分なりの結論は出たが、それが第三者に評価されるかどうか。論文と言うのは書いた!脱稿と言う時は気分いいものだが、ひとたびそれを離れると、読み手の自由ということになる。この論文を最後に学術研究をやめようと考えている(た)。それだけの余裕がないのと、公正に評価される場所で、残りの人生を過ごしたいと思ったからだ。しかし、やっていると問題意識が研ぎ澄まされ、こんな論文をまとめようと思っていしまう。思うのはいいのだが、決定的に研究をするだけの余裕がなさすぎる。その点、研究者はうらやましいときが多い。僕もじっくり腰を据えてやってみたいと思う時もある。ただそういう環境になると、だらだらしているような気もする。結局は決められないのか・・・。いずれにせよ、僕なりの農業会計論を結集編として、もうひと踏ん張りして、爽やかなゴールテープを切りたい。今後はそのあとに考える。しかし、なかなかうまくいかないものだ・・・。
新聞の広告で掲載されていた書籍で気になったので、購入し読んでみた。僕もこうした「越境」的な生き方や思考をしていると思うが、なるほどと共感できる点が多かった。越境の醍醐味として、4つの類型を挙げられている(P232-233)。
①知らないということである。
②知らないと知って、停滞を破る。
③離れているものどうしに共通点を見出す。
④知らないことを知ることで多数の視点を持つ。
専門を決めるということは確かに有用なことも多いが、専門を決めないということも一方で新境地を見出していく。そのためにも質問力を磨くことは、上記の4つの類型に示した越境力を手助けするだろう。意外に池上氏の書籍を僕は読んでいないことに気付く。難しいことを優しく説明できる方だから、僕ももう少しいろいろ読んでみようと思う。
アメフトでの悪質なタックル問題で、毎日のように報道もされている。昨日、加害者となった選手が勇気をもって、記者会見していた。様々な報道がされているように、明らかに対応が悪すぎる。こうしたことをしたことはもちろん悪いし、それにいたる経過なども多くの方々と同様な意見だと思うが、大学側の対応はほんといただけない。森友/加計の問題もそうだが、何かを守るために川上にいる人が隠蔽する、うそをつく。それが少しずつはがされていくと、本来波及しなかったところにまで広がってしまう。ここにあるのは、やったという「事実」。これはどうやっても消えないということである。いろんな手立てをしても、やはり善悪があり、これはきちんとすべきところにある。今年、日本大学は受験者数は減るかもしれないが、入学者は変わらないだろうし、大学も潰れはしないだろう。就職も大学のイメージもあるが、能力の高い学生を会社に入れたいわけだから、ここはシビアに見るに違いない。それでもなお、日本大学がこういう対応を続ければ続けるほど、いいことは一つもない。加害者の選手は立派だったと思う。心の傷はいえないだろうが、関学の関係者には気持ちは伝わったのではないかと思う。おこってしまった「事実」。どういうこれからの対応をするのか、興味深い。一応、日本大学には、危機管理学部 があるらしい。ここは組織立って問題を真摯に向き合ってはどうだろう?
政策学校一新塾というところがある。今や5000人以上の卒業生を輩出し、各方面でその卒業生、現役生が活躍している。僕も24期、もう10年前になるだろうか、通わさせていただいた。今でも1年に一度くらい東京の教室へ寄って、自分自身を振り返るというか、そういったセルフチェックをしている。僕にとってはかけがえのない学校だ。学校は最初は塾だった。学校も今や分岐点に来ている気がする。僕にとって唯一の母校と言える学校かもしれない。それだけ自分自身が生きる上で大切。こうした学校に通えたことは誇りである。僕もまた頑張れる。激動の10年だったかもしれない。
どこの政党がいい、悪いなどはひとまず言わないが、今回、公示前に騒がれたにもかかわらず、意外にそうでもない気がする。僕の住まいの広島4区は、全国的にも注目区となっていると思うが、それでも何かおとなしい感じは否めない。ちょこちょこは各方面より電話もいただく。候補者の方々には悔いのない戦いをしてほしい。そしてフェアに。「候補者が議員になってどのような社会にしたいのか」という根本義に立ち戻って、頑張ってほしいと思います。選挙は大変。どうなるんでしょうね?
僕が所属できないような高尚な学会、日本会計研究学会が広島で開催されたようで、夜にかつて共同研究したり、交流のある先生方が声をかけてくださった。2日間、広島の街でわいわいがやがや、やって、昼間はお勉強(僕以外)。久しぶりにお会いしましたが、僕も研究もっと頑張らないと思う次第で、仕事は違えど、共通点もありと、刺激的な時間でした。とある場所で、どうせ広島に来たんだからということで、カ-プ一色で楽しみました。またどこかで再会できればと思っております。秋になったし、再度、研究もエンジンかけなおします。
2020年が近づくにあたり、価値観はさらに変わってきている気がする。都会でガツガツやることに疲れ、田舎暮らしを望む。そういう人が増えたと思える。一定の生活水準を確保し、それ以上は望まない。多くを望まず、ほどほどでいいんじゃないかというように。たまたま縁あって読んでみた。平日は東京で働き、週末は八ヶ岳で過ごす。後に早期リタイアをして、八ヶ岳での生活をつづったもの。確かに田舎の方が子育てにはいいと思う。人間関係は非常にめんどくさいだけど、こういう生き方もいいのではと思う。40歳を越えて、思うことが少しずつ変わってきた。概ね自分が出来そうなことが、見えてきたのが大きい。この点、すごく寂しい面もある。ただ残りの人生を楽しんで生きる選択肢のなかに、こうした考えもあるなと思ったものである。
とある保険代理店の方とお話をしていたが、保険業界も甘くない。保険代理店の規模によって、保険手数料やランク等格付けされ、その基準があるようだが、殊更に小規模なところは大手の締め付けが厳しいそうだ。その事実を反転させ、小規模な保険代理店がM&Aをし、たとえば保険収入を100億円にすれば、大手に圧力がかけられるという。テレビなどの業界で知られる電通なんか、同じような構図な気がする。テレビ関係の方に話を聞くと、広告代理店→テレビ局という階差的な順序になっているようで、本来、逆の配列になっているという。つまり、保険代理店にせよ、小規模なところが立ち行かなくなってくると、こうした小を大にする思想は、当然に思うことだろう。やはり大手が儲けすぎたし、あるいはやりすぎた。共存共栄をとらなかったんだろうと予想する。どのビジネスにしても、そう。激変の今をどう立ち向かうのかはこれからの大きな課題である一つのお話であったと思える。
熊本の震災のせいか、かなり長い時間を要した紀要。発行も2016年3月で。去年やったような・・・(引用を2017.3とずっと間違えていた)。今回のものは、農業(自然科学)と会計学(社会科学)の視点や立場の違いから、管理会計の問題を再考したもの。読み直してみると、言いこと書いてるねと自分自身でも思うことがあるし、また実務家からも評価をいただき、励みになりますね。研究はなかなかしんどいことですが、それでも一つずつ、日進月歩で進めていきたい。しょうもない人もいるのも事実だが、おかしいことはおかしいとはっきり言って、学術界にも言葉を残していきたい。
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