左脳

選挙再考

候補者と第三者

かつて選挙も出たこともあるので、候補者の気持ちも第三者の気持ちもわかる。「外」から見るとよくわかるものだ。候補者は目の前しかどうしても見えなくなる。それだけ必死なのである。周りはあれこれ言う。あれこれも本来はその人のために言っているが、それどころではないということも出てくる。やはり難しいものだ。未だに僕に出馬してほしいと言ってくれる人もいるが、やはり向き不向きもある。自分が向いていると思っていたが、実際はまったく向いていないという現実。これは身に染みてわかるものだ。選挙があって、知っている人が出ると思うことだ。選挙一つで思うこともたくさんあるなと改めて感じる。

子どもと会計

教える側の興味

大学生にうまく会計というものが伝わっているのだろうか。これは常に思うことである。この前、友岡先生と話していた時に思い出したこの本、ちょっと息子に読ませてみた。ゲームの影響も多分にあるが、貸借対照表や損益計算書も理解がある。法人って何?法人税にって?財務会計と管理会計の違いとは?など、そういった質問で、本の内容で難しいところはないらしい。話していると、理解しているんだろうなと思うので、このレベルではわかるんだということを知る。大学生に会計を伝えるのに苦労しているが、このようにソバをすするように理解があるのはいいなと思う。伝え方、考えるなと思う出来事であった。

 

会計と職業

ゲストで学ぶ

非常勤をしている中国学園大学の会計学入門の講義で、ゲストスピーカーを招聘した。今回は、会計と職業というテーマでお願いし、それぞれの会計職の話、会計の理解によって、何がわかるのか、そして税務調査の一端までお話をしてくださった。学生には難しい内容だったかもしれないが、非常に役立つ話は請け合いで、講義担当の僕として十二分であった。そもそも大学は難しいことを学ぶところであるから、やはり思考が必要だ。その中で、自分自身との格闘が始まる。学生もそうだ。僕自身もかなり学びがあり、授業の中にこうしたワンクッションを置くことの必要性もわかった。あと3回になった。会計学入門という導入科目もどこまでやればというのもあるが、ある程度のことは話せているのではないかと個人的には思っている。

講義の記録

板書で講義

今回の授業はバンバン白板で書きまくっていたので、学生がスマホでパシャパシャとる。本来は書いてほしいなと思っているのだが、僕も撮ることがないので、撮ってみた。最後に時間が押していたので、なんと乱筆だことと思う。パワーポイントとかプリントは先生がやった気になるが、実は左の耳から右の耳へ流れているだけ。学生には為にはなっていないのだ。そう思い、僕も自分でノートに整理して、板書にする、そして説明するというスタンス。古風と言えば古風だが、やはりこれが一番いいのではないかと思う。教えるということを通じて、自分のキャリアアップになる。僕もさらに勉強すべしと思っているが、準備にもたくさん時間を要す。なかなか忙しい日々だ。

大学の可能性

教育の現場から

非常勤をやっている中国学園大学の記事を見かけた。一度、お会いしたなと思っている先生だが、中国学園大学もこれから農業コースにも力を入れていこうとしているが、大学教育の可能性がどこにあるのだろうか。中国地方で言うと、国公立をのぞけば、私大で農学系はない。吉備国際大学があるものの、農業は淡路島が中心と考えると、中国学園の挑戦は面白いと思っている。僕の何等かでかかわってくのかもしれないが、岡山との縁は中国学園が中心になると思う。大学とかかわるのは楽しいものだなと思う今日この頃。

教科書から学ぶ

教材をどう使うか

人にモノを教えるのは性分として向いていると思う。しかし、突き詰めていくと、やはり物事を伝えることは難しいなとも思い、過去に買ってあった高校の教科書を読んでみた。よく整理がされており、これで講義をしたいくらい。そんな内容だが、すべてにわたって、いいものは取り入れていこうと思いたったわけだ。商業高校を卒業した学生には馴染みあるかもしれないが、普通科をはじめとする違う科で出た人(→僕もそうだが)には、新鮮である。研究をはじめて、多くの会計の書籍を購入するが、ここまで完成度が高いとなると、本当は使いたい。板書には十二分に活用しようとは思っているが、機会があれば、どの科目でもいいから教科書は読んでみるといい。きっといい気づきがあるはずだ。

競争しない

ニッチなところで戦う

お勧めされて、読んだ本。マーケティングのあり方はやはり大切だなと思うが、マーケティングを教えれる人がいるようでいない。実務でも重宝される存在と思える。簡単に言えば、レッドオーシャンの市場ではなく、ブルーオーシャンの市場で勝負する。この点、当たり前であるようで、この市場の発掘や発見は難しいものである。読みやすい本なので、読んでみるといい。ある程度、タイトルをみたり、目次を見ると、だいたい書いてあるだろうことはわかる。しかし、その中身に一個でも新しい知見があるのなら、それはそれでいいことと思っている。読書はあまり分野に偏らず、違う分野も読みながら、複眼的に、複合的な視点を獲得できるようにと思っている。

人に教えるということ

学生と先生との間

会計学というものを教えるようになって、改めて一から学んでいるのだが、奥が深いなと毎日のように感じる。利休道歌のあるように、稽古とは一より習い十を知り 十よりかえるもとのその一という言葉は、かみしめるように感じる。学生に教えていて、難しいという。はじめてのことにチャレンジするのはしんどい。しかし、大学で学ぶということは大人へのステップ。もう子供ではない。這いつくばって理解できるように努力することも必要ではないか。今回、選んだテキストも復習もしやすいと思っているが、学生にはそうでもないのかしれない。僕とのギャップは、大きいような気がする。何とか理解してほしいし、世界を広げたい。わかれば楽しくなる。そう思いながら、結構悩んでいる今日この頃。

 

処女地岡山で

今回から新幹線

毎週、月曜日に岡山へ非常勤。だいぶ身体も慣れてきた。今回から新幹線通勤になり、身体が楽かなと思ったが、新幹線のこだま移動だと駅の停車時間が長く、イライラ。本を読む時間が創出できたのは何よりありがたいが、なかなか慣れるには時間かかるかもしれない。のぞみはありがたい存在である。今回、新幹線の事故により急遽降りたのが新倉敷。どうも庭瀬に行くのはこっちの方が楽かもしれない。新倉敷に初めて降りたが、人の少なさにびっくり。ほんとに大丈夫なのかと不安いっぱいにもなった。それにしても、岡山にピストンで行って帰る、それだけのことだと寂しいので、少し岡山も楽しんでみようかなと思うところだ。早いもので4回目の講義も終わった。人に教えるというのも悩みがあるなと思う今日のこの頃。

コロナ後の学校

日本に夢を持って

三原市に新しい日本語学校の設立を目指している。旧北方小学校の廃校での新たなる挑戦であるが、留学生が本当に日本に来れるのかというコロナ渦の大きな悩みである。日本に来たいという留学生は多いようだ。日本にはそれだけ魅力があるということの裏返しになるんだろうが、こうしたニーズの受け皿もやはり作っていくのは必要と思う。日本語学校はどのように展開できるのだろうか?正直、学力がどのくらいある人で、この学校を卒業して、どういうキャリアを描いているのか、さっぱりわからない。少しずつコロナ後のWITHの社会に希望を見出す、新しい動き。僕もどうかかわっていくのかは未定であるが、少し動向は楽しみにしている。