学術研究

リダンダント

文章の癖

研究者でもできるだけ分野の違う人に会うようにしている。灯台下暗しのところはあるし、気づきがある。この前、雑談の中で「こととする」という文体が僕は多く「~~する」)と直されると話をすると、不必要なものを削るべきと。英語の先生なので、それは「REDUNDANT」というらしい。なるほどと思いながら、この文章の癖は直さないと思うのは、その文に自信がないように思われるという。とすると、僕が意図していないものが相手に伝わるので、これはよくない。気づきは多いね、今更ながら。

苦労の産物

一人一人の物語

農地相続たるものを少し調べようと思って見つけた本である。これから読むので内容はまだ何とも言えないが、目次を見る限り、興味深い感想である。はじがきやあとがきを読んで見ると、苦学を強いられたようである。勉強したいと思っても、勉強できる幸せというのはなかなか感じにくい。なので、努力してこうした成果を世の中に出せて、出されて時間は経過しているが、少なくとも僕には役に立ちそうなので、やはり貢献度は高い。昔の人である。自分の住所を書籍に書いてある。やはり評価を求めているのかとも思うが、僕が何かの論文で書くことがあり、引用したらそれを見てほしいと思う。

 

チェックにチェックを重ねる

ここは南国か、寒すぎる

お勉強、琉球大学へ。はじめて行った大学であるが、ここは遠い。バスで移動になるので、どうも沖縄は遠く感じる。今回、農学の目で確認したい点もあり、議論を重ねてた。この2週間、どうも体調を崩しているので、覇気がない。とにかく身体がだるいのである。熱もない。コロナでもない。インフルではない。今は咳が続き、体力を奪う。集中力も食欲もないとなると、重症である。そんな朦朧とした中でも、新たな知見も得た。学者としてもそろそろ終わりが見えてきた。次のステージへ進むか考え中であるが、僕のモットーはあまり固執しないことである。鮮やかに辞めることもいいのではないかと思うのだが、あれこれや考えて判断しようかなと。久しぶりの沖縄は勉強漬けで終わりました。

大学崩壊

大学の存在意義

少しは大学に関わっている者として、少し寂しい記事を読んだ。定員割れ、学力低下、頼みは留学生・・・。まあ現実。今、教えている学校はまさにそうかもしれない。僕自身が大学の教壇にそう魅力を感じていない。むしろ立ちたいのは高校の教壇である。何故ならば、高校が最後の教育を受ける場になるのではないか。そもそも大学に行く意味はあるのかと自問自答するからである。たくさん行った人間としては、自分の涵養を高めることにあって、自分自身の問題として受け止めてはいるが、僕の意識と周りの意識は異なるだろうし、出来れば苦労せず、大過なく過ごしたいと思う者が多いのだろう。苦労は買ってまでするものではないと思うが、それでも苦労するのだから、これも人生と思うのだが・・・。思うに大学と冠する以上は大学であってほしいと思う。それが実現しないのであれば、大学と名乗ることを辞めさせたらどうだろう?生き方はたくさんあるんだし。そう思うが、やはり悲しい記事かな。

社会心理学の援用

手掛かりになるかもしれない

今年は今年でしなければならないことも山積しているが、来年、一つ取り組もうと思うものがあって、ツラツラ考えた。心理学的な概念を述べる必要があるのではないかと思い、手掛かりがてら読書。この先生は習ったことがあると思う。そもそも心理学は興味のある分野ではあったが、フラッシュバックのように戻ってきた記憶。一般書で書かれてあるので、導入にはもってこいの書籍、タイトル通り、とってもわかる本である。僕の課題解決の活路になるかも。

 

ドツボにはまる可能性

餅は餅屋か

他分野のアプローチ、そして知識の拡充という点で隣接分野にも目を通すが、真剣にその分野での活路を考えると、タイトル通り「ドツボにはまる」。やはり専門は専門な気がする、というのも、各個撃破型であれば、そこだけが理解して単元がわかればいいが、その学問の成り立ちや流れがわかっていないと、やはり本質的にはわかっていないことであり、そんなことを考えると怖くなる。自分が疑問に思っていることはすでにこの分野で解決しているかもしれないし、はたまた新しい手付かずのところかもしれない。そう考えると、まあいろいろ・・・・。そんなことを思いながら、ある論文を読んで思ったこと。

論文のバラつき

どうも「ザワザワ」

月末まで出す論文を見直している。どうも自分で書いているのに、今一歩あまりよくないのを感じる。そう思うのだから、第三者にいくと、その点は「鏡」のように跳ね返る。すなわち、「よくない」ということである。何がいけないのか。今回、出そうとしているものは、オリジナリティーはあると思う。しかし、何を伝えようとしているのかがわかりにくいかもしれない。あと文献はかなり目を通したが、その使い方が適切かどうかなど、「う~ん」というのは否めない。そんなこんなでも直していけばいいことで、出来ない自分と真摯に向き合う、この往復の中に進歩がある。ここは踏ん張りどころであろうなあと思うところだ。

図書館でのこと

頑張る姿

大学の図書館はよく活用をさせていただいている。論文書いたりとまだまだやること山積みで、あれも知らない、これも知らないと、「無知の知」を感じざるを得ない。大学の図書館にいると、若い人が勉強している。遊びたいだろうなと思いながら、おじさんも負けてられないと思い、刺激をもらう。しかし、大学も偏差値に反映するのだろう。偏差値の高い学校は多くの学生が図書館で勉強をしている。逆に低い学校はまず学生がいない。この前は一人いたけど、ゲームをしていた。迷惑千万、注意しようと思ったが、アホらしくなってやめた。こうやって「差」が出てくるんだろうと感じる。できれば僕も楽をしたいと思うが、そんな簡単に人生幾くらいなら努力はしないのである。頑張った自分だけが助けてくれる。人任せではいけない。自分の子どもにも伝わればいいなと思うが、やはりゲームなど楽な道に逃げる。可能性を芽をつんではならないと思うのだが・・・・。年取ってからではなく、今、気づいてほしい。図書館にいるといろんなことを思う。

最近興味のあるテーマ

手つかずかもしれない

最近、実務でどうも会計がわからないので、いろいろ調べてみた。一般の会計とは違う、いわゆる「コンビニ会計」たるものが存在し、知らないと財務がわからないというカラクリ。これほんとにわかっている人いるんだろうか(かなり少ないのではと思うが)と思うほど、わかりにくい。会計を知っている人が会計を見るよりも知らない人がはじめて「コンビニ会計」を学ぶ方がスムーズに頭に入るのではないかと思うような気もする。実務で問題意識を持ったので、一本くらいは「コンビニ会計」を論文にまとめようと思う次第。来年あたり学会報告もするかな・・・・。

 

 

 

研究の手掛かりに

 

静かに情熱を込めて

今、研究をしている研究ワードは、「租税特別措置」、「準備金」の2つになろう。租税特別措置に関しては、この書籍がまとまっている。もう発刊から12年を経過しているようであるが、非常に参考になる。何分、租税特別措置の研究はマイナー分野になるので、あまり日の目を見ないテーマかもしれないが、本法でないところに面白みもある。そんなことでまた締め切りを目指してあれこれ格闘しているのであるが、机に向かうまでが少し時間を要す。怠け心はどこまでも深いのである。しかし、研究ってのは積み上げていくものであり、一歩一歩進むしかないのである。それをどこかで読む人もいるんだろうし、そうありたいと思うもの。研究ってそうなりますよ。