学術研究

農業者と農地

時系列な俯瞰

農業者をどうとらまえるか、農地を巡る制度、ここが農業を考察するにあたり、重要な要素である。改めて読んで見たが、大変勉強になった。特に今、平成5年の農政の局面のところに着目して研究しているので、やはり流れを把握すると、農政の動きから見えてくるものもある。そこは論文に落としたいと思う。それにしても、農地法たるものはどこかで学ぶ機会がないだろうかと思うものだ。できれば、農学系より法学系で。そこは何故かといえば、法律を読む所作の点検と新たな知見を得るような気がしてならないからである。意外に自分が学ぼうとするものは、出くわさないというのもある。だから「研究」なんだろうかと思いつつ・・・・。

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学会へ

初参戦!

学会嫌いの僕が意を決して出陣、島根大学へ。幽霊会員であるが、やっとオンラインから脱却したようだから、向学のために参加した。税法の学会なので、作法がまた違う。法学は判例である。違う頭を使いながら、こうかなああかなと聞いたものだが、何分、素人の域を越していない。そう思いながら聞いたものだ。それにしても国公立大学は予算の関係もあるのだろうが、暑い!。クーラーが効いていない。ほんと汗をダラダラ流して、参加しないといけないというのもどうかと思う。私大がやはりいいなと思うものだ。やはり学会は苦手な場である。新しい人と会うのは、とかく疲れるもの。ほとんどしゃべらず、会場を後にする。意外と人見知りなのである。

論文再考

分かったようで分かっていない

論文執筆中。博士号を取得してから、数年経過したが、やはり論文の精度は高まった気はしていない。人のを読めば、どうのこうのと思うが、自分のことになると、どうも盲目的なのか、甘いのかと思うことはしばしばである。論文を書くことは好きなことだが、気持ちの乗り方がどうかというのもあって、気乗りすればとことんだし、気乗りしなければ、手付かずになるしと。どう動いても大変である。論文とは何ぞやということをまたスパイラルのように、考えてしまう時間が増えた。やはり山を一度上っても、また山が出現したようなもの。終わりのない旅ということなのか・・・。

再学習の場

場所を変える

僕の性格だが、場所をコロコロ変えないと勉強できない。A喫茶店、B図書館、自宅など動きながら自分を据えるというか、そんなところがある。今年はよく図書館を利用させてもらう。静かであるし、書籍もあるし、勉強しやすい。若い人が頑張っているのをみると、殊更、自分も思う。自分にとってはプラスしかない。これだけ物価高など社会情勢が悪化すると、ふらっと飲みに行こうというのも思わなくなってきており、随分、足が遠のいた。しかし、自分の涵養を深めるといったところは努力をすべきと思っており、この時間を大切にしていこうと殊更思うものである。図書館に行くのもだいぶ癖がついてきたので、生涯学習ではないが、利用させてもらおうと思っている。

謹呈本より

研究の成果

いくつになっても勉強を続け、努力する。そんな姿を追っている気がする。川邉先生の新刊の謹呈を頂いた。コンビニがまだ世の中にそこまで普及していない未開な時代からこの分野では研究をされ、コンビニが社会に不可欠な時代の今、コンビニ研究は重要な領域として存在しているように思う。まだ読んでいないが、DXまでカバーしており、かなり最新のところまで書かれている。たぶんこれは30年たっても見返されるような研究所になるに違いない。僕も頑張らないといけない。そう思い、分野は違うが頑張っていきたい。

 

図書館で

学術の調査法

広島大学に在籍時に習った文献の請求法。これくらいしか習ったと記憶がない。職場と近いので、どうしても広島大学に頼ることになる。そうなると活用しない手はないので、お願いすることになるが、司書をどのように頼ればいいのか。思い切って尋ねることにした。長年、資料請求をしているから、僕のことはよくご存じであり、あれこれ支援してくださる。ありがたいものだ。司書の資格を取った方がいいですかと聞いたら、あまりその必要もなさそう。でも情報の調べ方は学びたいと切に願っているのだが・・・。まあいろんな専門家がいるもんだ。

エビデンス

推論の理論の世界

今、書いている論文。ほんとに先行論文的なものがない。だいぶ文献調査もしたけど、これっというものもなく、ヒアリングもしてみたけど、それもはっきりしない。う~ん、困ったもんだ。こんなことは初めてで、何か手掛かりがあるものだ。その手掛かりから大きく展開していけるのだが、展開の仕方がわからない・・・。どうしよう。研究らしい研究かもしれないねと思いながら、毎日、このことばかり考えている今日この頃。

 

とにかく今は書く

ペンは剣よりも強し

まだ見ぬゴールへ向かって、論文を書いている。書くことで未来を切り開くしかないと思い、信じる。そんな希望と悲壮感といろんな気持ちを交錯しながら、今回の論文を書いている、研究職につけば、学術的な時間がさらにあり、幸せかもしれないと思うが、僕の性格上、1つのところに留まるとすごいストレスになり、鬱のように気が沈む。そういうことを考えれば、今のバランスなのかと思うが、50歳になったらという一つの区切りを楽しみに今は辛抱する。

図書館時間

研究活動にいそしむ

コロナもあって、入場制限をされていた図書館もオープンに。久しぶりに図書館でいろいろ物色、多くの学生が勉強をしていた。僕も4年ぶりに広島大学の図書館に入館し、いろいろ見て回っって、資料を検索。広島大学の蔵書は少ない(新しい本が少ない)と思うのだが、それでも発見もいただいたりと思うこともたくさん。毎週1回でもこうして時間を作って、図書館にいる時間も作ろうかと思う。生活にアクセントをつける意味でも重要な営みではないかと思う。だいぶコロナ後の日常へって感じがする。

書くことでしかない

燃える闘魂

今、論文をいろいろ書いている最中。この時間は何ともいい時間である。ただし、机に座るまでが時間を要し、やる気スイッチをいうか、論文モードにならないとスタートできない。が、今、そのモードには入っており、あれやこれやとガリ勉中である。ほんと研究者だといいなと思う時は、今の時だ。僕にもそういうサバティカルタイムが欲しい時もあるものだ。今回は面白い話になっていくのではと思っている。