朝時間
朝、起きてからの時間は脳が冴えている時間であるから、効率的にこの時間を使うとよいとされている。職場に行くと、まずはメールチェックをするが、結構、時間を費やしてしまう。この時間ももったいないといえばもったいない。頭が冴える時間だから、仕事でも頭を使う作業をし、午後に機械的な軽作業をするなど、考えるといいのだが、どうしても気になってしまうのが性分。いつも時間の使い方は悩む。1日24時間、これは平等である。この平等な機会均等がありながら、どう密に時間を使うのか。40歳すぎても、うまく使っていると思わないところをみると、成長していないということか・・・。タスクが多くなるといつもぶち当たる問題である。
オープンにしつつ
近年、情報公開というのは顕著な傾向である。SNS が発達した今、こうした流れも助長しているが、時はめまぐるしく動いているので、新しいことはインストールして、価値を創造する。そういう動きがいいのではないかと思う。もちろんそうはいっても、水面下で動くプロジェクトはプロジェクトで動くことにはなるが、タイトル通り、頭脳の「スキマ」に触れてもらえれば。今年の動きはこういうアクションの中、自分を振り返りながら、成長をさせたいと思う。自分が想定していないことも多くあるが、一つずつこなしていきたいと思うところだ。
危機対応のまずさ
やはり話題はコロナか。政府の対応のまずさは目も当てられないが、昨日の会見で、ランチ会食も自粛ということが言われた。ここまでやるのなら、もうロックダウンでしょと思う。確かに会食は危険のリスクはあるが、これまで経済とあおりつつ、飲食店もなんとか活路を見出そうと夜営業が主のところもランチを導入するなどしてきた。テイクアウトもそうだ。めちゃくちゃである。それよりも模範的な会食の在り方を政治家が示したらどうか、動画などで流すのもいい。中途半端な対応をしてきた上、愚策も愚策だ。悪夢の民主党政権と言ってきた、THE 自民党というリーダーシップを見せてほしいものだ。思い切って一度バサッと止めるしか活路はないと思うが・・・。ただし休業と補償はセットになるので、まあまあまあという感じで矛を収めようとするのだろうか。
あなたとは違う「私」
よく感じることがあるが、インテリの人はインテリとしか共有しない。自分はそのヒエラルキーの人間だから、あなたとは違うという区別。インテリの人はそれで幸せなんだから、そこの領域に入ろうとは思わないが、僕には哀れに見える。そこの領域にいると、幸せだったかどうかはわからないが、僕は区別をしないということをモットーに人とは接しているつもりだ。選挙で負けた経験はことさらその思考を加速させた。インテリも1票、市中の人も1票。同じなわけである。そして、自分の能力はあなたにはない。あなたの能力は自分にない。お互い尊重をして生きればいいと思うのだが・・・。最近よく思う日々雑感。
遅き判断
コロナ拡大がすごくなった。さすがにこの数字が現実に出てくると、インパクトがある。さまざまに影響は及ぼすが、一度、しっかり止めるしかないのではないかと思う。さて、今日の日本農業新聞、一面。農畜産物の価格のグラフ。コロナ渦中の値動きがわかる。家庭消費にシフトされている今、どうなるだろう。いろいろ懸念があり、心配ごとが多い。
新しい出会い
ラジオを続けていると、新しい出会いもある。農業をいろんな側面から見ていく中で、農業と文学というテーマをやってみたくなり、その際に浮かんだのは、宮沢賢治である。宮沢賢治の言葉から今に生きる農業を考えてみる。面白いテーマと思える。たまたま澤口さんと繋げていただいて、2月になるが出演していただけることになった。岩手に在住の絵本作家である。宮沢賢治の郷である岩手県とつながるのも、こうしたラジオの機会は大きいのではないかと思える。新しい動きをしたとき、批判する人は多いが、自分自身で創り出す力、エンジンは持っている人は少ない。批判している人は「コト」を起こさず、大過なく過ごすんだから、この人たちの基準ではそれはその人の最適解なんだろう。僕は人生面白くいきたいから、やっぱりこういう機会があるから、生きる刺激になる気がする。少し楽しみな出来事だったので、記録したい。
年賀状じまい
インターネットが進んだ時代。SNSなどネット社会が普及していることもあり、年賀状というのが衰退の一途である。年に1度の事なので、ご無沙汰も兼ねてというところであるが、年末という時期を考えると、時間に余裕がない。今年はコメントさえ書くことができなかった。ただ出すだけである。本格的に年賀状じまいを考える時期に来たかもしれない。丁寧にあいさつをしたいところであるが、特に年末年始はバタつく。暑中見舞いの時期の方がまだ時間がとりやすい。年配の方からすると、どうだろう?と思うところもある。また来年、同じ時期に考えるんだろうなと思う、日々雑感である。
2021年新年のご挨拶
新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。今年は文学研究室よりスタートしましょう。どこかで文学の世界に戻ろうと思うことがしばしばあり、書店に行っても最近は農業→会計→・・・と回っていたのが、自然と文学→農業→会計・・・と昔のように文学の研究書の書棚なから回るようになっています。フロイトが言う無意識の境地でしょうか?さて、2021年は教育の年にしたいと思います。いよいよ単発ではなく、大学の教壇にも立ちます。教材研究も面白いものです。そして、昨年からお手伝いをしている日本語学校。約20年の時間を経て、何等かで日本語教育に携わることになりそう。国際交流を経て、新境地の誘いがあるような気もしています。さらにラジオ、YouTubeは展開期へ。自分の幅を広げる行動となるでしょう。日常の仕事、やはりコロナの影響でかなりしんどい日々が予想されます。どうにもならないこともありますが、希望の持てるように明るく向き合えるよう、少しでも解決ができる、元気を与えることができる、そういう姿勢で望みたいと思います。イベントもまだまだ出来ないから、違う展開も仕込み中、どうなるでしょうか?家庭。いよいよ長女が小学校へ進学。心配事が増えますが、しっかり頑張ってほしいものです。もちろんほかの子もそうです。長男は4年生。次女は年長、幼稚園最後になります。いい一年にしてほしいと思います。新年というのは、新しい気持ちになるものです。フルリセットになりませんが、2021年の開幕なので、僕もいい年だったなと振り返れるようにしたいと思います。そうそういい忘れですが、学者としても、昨年は博士号でぐったり感(日常の仕事が忙しすぎた)もありましたが、学会報告(小中高も対面授業やっているんだから大学もがんばれ!そして学会も早く対面にしてほしい)をして、論文も出したいと思います。学問に対しても40代で仕上げたい目標もあるので、大休憩は2020年で終わりにしたいと思います。さあ何はともあれ、本年もよろしくお願いいたします。お年賀もしっかりできる余裕がなかったこと、お許しくださいませ。
2021年 爆進を期待して 岸保 宏
さらば2020年
今年は何といってもコロナ、コロナ。コロナ前の日常であれば、今日のカープはどうだのああだのというたわいのない話が挨拶だったような平凡な日常。もうその過去は帰ってこないかもしれない。驚異のコロナウィルスとでも言おうか。そういう社会状況の中、僕の今年の大目玉はやはり博士号取得であろう。少し時期を延ばすともう取得できなかっただろう。何せ学校にいけないのだから。東京農業大学の先生方、応援してくださった方々に感謝しかない。もう一つ大きな動きとしてはラジオ番組を持ったことだ。生涯のキーワードになっている【農業】をテーマにして、毎週セッションしながら農業問題を掘り下げること、楽しいタスクである。この2点は僕にとっての2020年の重大トピックである。それにしても、2020年は人生の中でもかなり衝撃的な1年となった。2021年、どのようなことがあるのか?コロナは当分、続きそうだから考えることがたくさんありそうだ。
息子と早起きして
今年はうろちょろできないので、家にずっといる感じになりそうだから、広島中央卸売市場へ仕入れ。業者のように、買い過ぎだと奥さんに叱られたが、つい買ってしまった。刺身から貝類からいろいろ。昨日は蟹まで家着にしたから、冷蔵庫はパンパンである。やはり適量にしないといけない。子供に朝の市場を見せたかってたので、いい経験として捉えよう。今度は娘を連れて行ってみようと思う。まあ年末年始のことだ。少し多めに見て欲しい。