日常

働き方改革

働くことの良しあし

春から「わたし、定時で帰ります」というドラマが放映されており、反響を呼んでいるようだ。主人公は定時ですぱっと帰社し、アフターファイブをうまく活用している。世間から言えば、ああいう風に定時でというのはなかなか難しいというのも上がる。定時で帰る=残業がない、残業手当がないということだから、それをあてにしている人は困るようだし、「することない」、「家にはすぐには帰りたくない」など、人の反応はまちまちだ。ドラマに戻ると、働き方改革ということが言われ、いいタイミングでの放映な気がする。仕事を時間内に効率よく行うことはそうすべきだが、多様性に富んだ今の社会にあって、価値観の反乱とともに「なにをしていいのか」決められない層もいるのも考え物だ。人それぞれのライフスタイルはあるが、会社勤めがいいのか、起業がいいのか、働き方もまちまち。このドラマから考えることも多い。珍しく楽しみにテレビをみている。

連休最後は北広島へ

民宿あるぺん屋

毎年一度は家族で行く民宿あるぺん屋。料理と酒も抜群で、民宿ならではのアットホームなところと、山の楽しみを教えてくれる。毎年、行く時期が若干異なるが、今年は蕨やこしあぶら、タラの芽とたくさんの山菜を採ることができました。こうした山の恵みを知ることが子供にとってもいいことであり、また僕も新しい学びを得る。こうした体験はきっと大人になっても心に残るに違いない。さて、今年のGWは10連休とあって、さすがに長すぎた。長いから遠くへとも思ったが、渋滞に巻き込まれた場合、子供が小さいとやはり負担も大きいのでやめた。近くても素晴らしいところはたくさんある。お金をかけるだけがいいことでもない。今回の長期休みはいろんなことを考えさせられた。明日から社会復帰できるのか心配ではあるが、また仕切り直しをしたいと思う。北広島の民宿あるぺん屋 、どぶろくの日本酒も製造しており、酒もおいしい。おすすめの宿である。

長い連休の1コマ

地域活性化の一つの在り方

意外にもはじめて鳥取県の境港へ行った。こうした観光地は何かと勉強にもなるし、見るところもあるので、できるだけ行きたいと思っている。今回は連休ということもあって、水木しげるロード に行ってみた。漫画もテレビで放映されているのもあるが、子供も知っているし、喜んだ。今ある商店街をうまくゲゲゲの鬼太郎というアニメを使い、統一的に観光地化しているが、たぶん鬼太郎がなければ、かなりすたれた地方の一都市になっているに違いない。アニメを使った町では、葛飾に行ったことがある。こち亀の聖地とも言える場所だ。両者を比較すると、葛飾はもっと色濃く両さんをアピールして集客してもいいと思う。地方には地方の、都会には都会のいいところがある。アニメを街に注入し、盛り上げていく。こうした取り組みも参考になる一例と思う。

算数検定

本は与えるとどこかで役立つのか

子供が算数や数学に興味を持たないかと思い、検定を調べたところ、算数検定となるものを知った。僕も妻も文系的な頭であると思うが、子供も文系の要素が強い。理系的な頭脳、頭の働かせ方を得てほしいという親のエゴでもあるが、こうしたものを通じて何かのきっかけにならないかと買ってみた。実は小学校1年生の時に11級を購入して渡してみたが、そうは興味を持たなかったが、あるときに急にやりだした。算数検定は1年ずつのステップアップができるようになっているのと、一応の基準はあるものの、どのレベルからやってもOKである。つまり、スイスイやっていこうと本人が思えばどんどん進める。そんなに焦ることはないが、小さな成功体験を積み重ねることで本人の涵養も深めるだろうと思っている。検定も受ければいいのに思うが、まだそこまで到達していない。強制はよくない。やる気があればすればいいし、しなくてもいい。本を渡しておけば、自分で読んだりもする。問題集であれば、それもクイズのように進める。これでいい。誰かに強制されるものでもなく、自分でやる。今は何があるか本人がわからないうちは、親がひとまず投げかけてみる。また本屋で見せてみるなど、いろいろ試しながら子育てをする。まあそんな考えで僕はやっているが、算数検定、なかなか面白いと思っている。

 

著者 :
日本数学検定協会
発売日 : 2017-07-01

節目には何か語りたくなるものだー平成が終わる-

新しい時代へ

平成が終わる。節目には何か語りたくなる。そして総括する。そんなことないだろうか。平成を振り返ると、やっぱり僕にとっては暗黒だったな。昭和の小学生時代までは順調に生きれていた気がするけど、中学生以降は真っ逆さまに人生は下降線を辿った気がする。良かったとことは家族を持てたこと。妻、3人の子供に恵まれたこと。あとは自身の人生では苦しいことばかり。何とか打開しようといろんなことと取り組んだつもりだけど、成果といえるほどのことはなかったと思う。妬みや嫉妬になるかもしれないが、周りの順調な生活をみると、自身を傷つける。ほんといいことが少ないと思う。上をみてもきりがないし、下を見てもきりがないが、やはり僕が思う「基準」に達しないことや、「したい」と思うことができていないことだと思う。かつ周囲の振り回されているようにも思い、それがもどかしいジレンマでもある。平成最後に、「いい時代でなかったね」と母親と話したところ、「いろいろあったね」と会話した。すべてここにある。新しい「令和」という時代、人生上々だと言えるように、やっぱり頑張らないと。前向きに生きて、夢を語る。風穴を開け、未来を切り拓く。そうありたいと思う。平成よ、さようなら!新しい時代へ!皆さんが笑顔でいられる毎日を過ごせるように!

今年の春の催事

 

今年の園芸祭り

平成最後の園芸祭りの露店に出ました。今年初です。今年はえらい寒くほんとアイスクリームが全く売れず仕舞いでした。この園芸祭りは、苗木の販売のほか、野菜の収穫体験や家庭菜園の相談など、いろんな年齢層に楽しめるようなイベントで、フード出店者のわれわれもこの催事は結構いいなと思い、参加しています。今年の一コマは、3人の子供たちの大根の収穫体験。立派な大根を引き抜いて帰ってきました。常々、こうした体験をすることは子供にとって、重要だと考えています。また、露店のお手伝いもしてくれていますが、とにかくいろんな場でいろんな経験。ステレオタイプにならずということ。そう思っています。閑話休題。露店でブースに立つと、消費者の動向や消費の在り方がよくわかります。年に数えてみると、8回程度、出店してますが、天候だけではなく、どうも景気の減退を感じました。ほんと消費税上げるの?って感じですが、だいぶ心配ですね。商売を何等かしている人は、露店の店頭に立つのはおすすめします。3あまりプライドを高くしない、上から見ない。それ大切です。僕も露店に立ってから角がだいぶ取れましたよ。そして人が見えてきます。

 

レモン狩り

お裾分け

あるお宅にあるレモン。取りにおいでとお誘いを受けて、レモン狩りへ。いろいろ農業体験はさせるようにしているが、木になっているものを収穫するのは初めてだと思う。栗はあるけれど、落ちているものを収穫するということで実質初めてになると思う。かなり楽しかった模様。レモンはなかなか料理には添え物的なものになってしまい、どのように調理すればというところはある。飲み物でハイボールか・・、それにしてもこのレモンは無農薬で絶品。いろんなことを体験させようと思っているが、こうしてあれこれできるには幸せなこと。それにしても、自宅にレモンの木があるのも珍しい。

 

幼児教育無償化の実施

子育て世代の気になるところ

幼児教育無償化の実施ということで来年度より実施される。無償化といっても実際は無償化ではなく、月額上限25,700円が一律支給されるようだ。2018年まで実施されていた私立幼稚園就園奨励費は、半年ほど実施され,2019年10月より無償化への移行とのことである。子供3人いる家族からすると、多少でも支援をいただくことはありがたいが、無償化ではないので、惑わす用語は使わず、1部補填という形で伝えてくれれば誤解はないように思う。子育て支援は今すぐやらないと、人口は減っていく。少なくとも僕は1人増加を図っていると思うが、一番は3人目以上の支援を即実施すべきである。一時期、3子目に1,000万円の現物支給という提案もあったが、これはいいなと思っていた。将来、十分に社会に貢献してくれるだろうから、1,000万円のもとはとれるように思う。子育てはお金もかかる。お金もかかるが、幸せも与えてくれる。子育て支援の形はもっと考えるべき。これは机上の空論ではなく、実際、子育て中に僕にはわかるし、同じ境遇の方ならわかると思う。

今日のランチ

ランチ時間を大切に

ランチタイムがままならないときが多いが、話をするときはやはり和食に限ると思います。僕はその方が少なくとも落ち着く。夜の席だと時間がエンドレスになる時があるので、時間単位で凝縮される。それがいいところである。必要なこと必要にしゃべる、時間を有効活用する。本当はもっとランチの時間を活用して、いろんなひとと交流すべきだと思うところ。一つ一つ実践していくことで、いいサイクルができるのだろうが、なかなかできないのが今の現状である。今日は豪勢に食べ過ぎた。年齢も年齢。量をもう少し考えないといけない。

 

 

メールと携帯電話

メールと携帯電話

つくづく思うことに携帯電話とメールの存在は、確かに便利ではあるが、このものがあるおかげで仕事が増えているというのは間違いない気がする。この前はメールを返すだけで1時間くらいかかった。携帯電話も自分の都合でかけるものはいいにしても、着信で妨害される。自分の都合でかけるということは相手に取れば、着信で妨害しているに他ならない。メールはCCやBCCというもので、共有することがいいときもあるが、目を通すだけでも時間がかかる。便利さ=豊かさに結びつかず、よく考えることだ。いっそやめてしまおうかと考える時もある。その分、空いた時間が生まれやしないだろうか?しかし、現代社会においてはやはり必須アイテムであることは間違いないと思う。それはよくよくわかる。だから節度なのか、もう少しそれぞれで考えた使い方が必要ではないかと思う今日この頃。雑感。