いい機会に恵まれた
ラジオで出演いただいた石破茂代議士にお会いすることができた。コロナが落ち着いたら、上京して会いたいと思っており、この度、その機会に恵まれた。少ない時間であったが、いろんな話ができた。今回、石破代議士にラジオ出演していただいたときに、農業に詳しい政治家は誰だと思ったときに、イの一番で浮かんだ人である。はじめて会ったが、気さくで話しやすい先生であった。これを機にまた会いにいこうと思う。上京の楽しみが新たにできた出来事である。
ラジオで出演いただいた石破茂代議士にお会いすることができた。コロナが落ち着いたら、上京して会いたいと思っており、この度、その機会に恵まれた。少ない時間であったが、いろんな話ができた。今回、石破代議士にラジオ出演していただいたときに、農業に詳しい政治家は誰だと思ったときに、イの一番で浮かんだ人である。はじめて会ったが、気さくで話しやすい先生であった。これを機にまた会いにいこうと思う。上京の楽しみが新たにできた出来事である。
まずは教育ありき。教育にかかわるというのは、人を育てることであり、人を育てることは自分の成長とも相通じる。教育で金儲けという運びにはならず、続けるための報酬はもちろんいるが、教育を通じて、利益を追求するという姿勢ではうまくいかないように思う。学生がどのように将来を描けるのか、その手助けが本当にできること、学校は手段ではなく、目的である。私財をなげうって、教育に注力した過去の偉人たちは、今の教育はどう思うだろうか。最近は教育関係のことばかりが頭を垂れる。
健康診断たるものというか、病院自体が好きではない。注射も怖い、何をされるかわからない、悪いものがあったとしても、知りたくないなど、とかく逃げ腰である。注射に関しては、幼少期に通った皮膚科の看護婦の影響が強い。「ガンボくん、お注射しましょう!」と呼ばれ、この言い方が嫌で嫌で、そして注射は痛い。大人になってからもトラウマがある。いずれにしても、嫌な時間を過ごさせていただいた。またバリウム、最悪である。明らかに体に良くない。とかくいいことがない、健康診断、ほんとに毎年、せにゃあいかんのかと思うんだが…と思いつつ。
いつも僕が人生で重要な時には、この先生に相談したり会うのだが、かなり久しぶりに会った。Aさんと僕、その先生とひょんな深いつながりもあって、これも人の縁。びっくりした出来事であったが、喫茶したり、歩いたりというの中で、人生の示唆を与えてくれた仲である。僕が苦しい人生を歩んできたこともよく知っているし、過去・現在・未来の中で、これほどまでに僕という個人に、根差している人も少ないかもしれない。自分の親でさえも、なぜその先生は僕にここまでしてくれるのかというくらいである。僕もほんと感謝しかない。何故か僕は指導教官たる人とは縁が薄い。ほかの先生ばかりがいつも周りにいる。声がかかるのは必ず他の先生である。そうした意味で、昔から僕はそういう星回りなのか。18歳の僕と45歳の僕、どう変化したように映っているのか、これからの僕の頑張りである。
最近、大学院時代の先生と連絡を取ることが多い。こちらからもあるが、先生の方からということもあり、昨日は驚きで10年ぶりに広島に行くから会おうと連絡があった。もう大学院を離れて、15年以上も経過するので、現在は浦島太郎。それぞれに頑張っているに違いない。当時のことしか大学院もわからないが、まだ最初だったし、学生も少なく、活気があったころだ。今はたぶん優秀な学生が多く、今、僕が入ると修了できないのではないかと思ったりする。それにしても、大学院時代の先生に大学講師の道をいただいたりするとか、こうして連絡あるとか嬉しいよねと純粋に思う。再会の日を楽しみにしたいと思う。
この前から、Aの人からの共通のBの人が知己であるという話が多く、非常に驚きが続いている。出会う方もちょっと違い、ほんとに繋がりが一見あると思わない人とであるから、世の中、面白いものだ。最近は特に忙しいので、脳が活性化しているのかわからないが、論理的にも感覚的にも、閃くことが多い。何か「変わって」きつつあるのは感じるものだ。昨日と違う自分に会える予感がする。こういう時期も人生あるのかもしれないと思い、不思議な日々を過ごしているところだ。
僕にとっては、大きな人生の岐路に立っているのかと思うようなことがあり、そのことで頭がいっぱいというのが正直なところ。自分の努力で解決するのであれば、それだけで済むが、やはり相手のあること。なかなか進まないが、少しは進んでいる、一進一退というのか、こんなやりとりは続く。今回、かかわっていることが誰しもにない話で、もう二度とこんな仕事もないだろうと思い、心血を注いでいる。ようやくこれまでの努力が形になるかもしれないと思いながら生きているが、さてどうなるだろう。梯子は丈夫だといいが・・・。あまり気の休まらない日々だ。
とにかく理不尽なことが多いとか、なかなか決められないのを待つ身であるとか、どうすればメッセージは相手に伝わるのかとか、何かとイライラすることが多い。相手が何がしたいのかがわからないというのが多く、こちら側は想像の範囲を超えない。ひょっとしたら、何も考えていないのではないかとか、こうかなああかなと思うけど、その煩悶が多すぎると、感情の向け方が困るわけで、僕なりに反芻して、媒介して心に消化していかないといけない。そんなことで、前向きなこともあるのだが、とにかくイライラすることが多いので、とかく自分が嫌になる。酒を飲んでも、解決しないよねと思いつつ・・・。人間の弱さ、自分の弱さである。
幼稚園の間に上の子二人とは、東京へ連れて行っているが、一番下の娘はコロナもあって連れていくのは難しかった。なので、ずっと突っかかっていた。コロナも一時的かわからないが、今しかないと思い、上京。これまでの2人は僕と2人で上京し、2日間みっちり二人で過ごし、話をする。こんなことをやっていたが、どうも3番目はあまり僕に寄り付かない。だから仕方なく(しかし、コロナで制限された家族も配慮して)、みんなで行ったが、まあ金がかかる、かかる。こんなこともあるだろうと思うが、久々の東京もまたよかった。幼少期のいい思い出となればと思うところだ。
子どもたちが陶芸を学びだして、1年半が経過する。当初は息子が習いたいと言い始めてスタートしたのだが、いつの間にか娘も通いだした。なかなか陶芸を学びたいという子供は少ないかもしれない。手を動かし、創作する。この営みは非常に大切な経験となると思う。まず何を作るかは誰も言わない。自分で作りたいものを決め、それを作る。そして先生がサポートする。自発的に先生に指導をお願いし、それを学ぶ。親としては続けていることがうれしいし、積極的な姿勢が何よりも励みになる。それぞれに作品も上手になっているのも感じる。とにかく継続は力なり。この学びを将来につなげてほしいと思う。
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