日常

自動販売機の活路

手軽に購入

コロナ時代、非接触型の自動販売機の存在が見直されているという。ステイホームもあるのだろうが、自動販売機で販売するアイテムも多才である。ちょっと前までは出汁を販売する自販機が出てきたり、ピザの販売、生カキなど、飲料やタバコなど昔、自販機と言えば思い描くようなものと違うものを販売している。実際、僕も自販機には活路があるのではないかと思う。人と接することを統御されているのもあるが、触れ合うことに億劫な人の思考は進んでいるような気がする。コロナだからこそこういう展開をするということも考えることも必要と思う今日この頃。

 

 

投資を通じてお金の学習

子どものお金学習

長男が10歳になったので、株式投資を実際するとかしてみたらと提案してみた。結論から言えば、まだ関心がないようだ。お金が悪というか、あまりオープンにしないのがよしとされている風潮があるが、お金のスキル、ファイナンシャルプランニング力はつけるべきと思う。かなり昔になるが、小規模企業共済でも8%の利率でまわっていたことがあるが、今はほぼ0に近い利率。こうしたものに出資や投資をしておけば、自然にお金が増えていた時代もあった。今は違い、ニーサに見られるように、自分で判断して投資をし、お金を増やす。老後資金を蓄えるなど、考えることが必要だ。お金の学習は学校で教えてくれるのか。それはNOだろう。この分野にもそろそろ興味を持ってほしいと思う。徐々に考えさせたいと思う。

 

市場の日常

毎週の楽しみ

市場へ行くには非常に楽しみである。何度も言うが、コロナがあってからの自分の動き方の変化である。今回は珍しくサザエを買ってみた。わざわざ小ぶりなものを選んで。それにしても、4連休も関係なく、市場は開いていたようである。外食などはどうだったのか。人は動いているなと思うが、自宅でオリンピックを見るということもあったのかもしれない。この4連休は思うように動けなかったので、ストレスである。やはり僕は動きたい人間なので。まあ市場で仕入、自宅で楽しむ。これもよしとしなければいけないだろう。

 

妻の休日

夏の休息

妻が用事で出たので、1泊2日、子供らとべったりいたわけだ。コロナなので、遠くへ行くのがどうかと思い、県内をぐるぐる。暑いので、外での活動はどうかと思いながらいろいろと考えて、近場のヌマジ交通ミュージアムへ。外で自転車もできるし、施設内も定期的なイベントもあるので、これはこれでいいのかもと思うところ。それにしても、3人の子供とずっといるのは疲れるものだ。遠くへ行き、お金を使うだけがいいものではない。ただ去年、満足な夏休みを過ごしていないだけに、今年の夏はいい思い出を作ってほしい。そして妻にもたまにの夏休みもあっていいのかな。

 

4連休の初日

世の中はオリンピックらしい

今年のカレンダーが4連休になっていないので、5月くらいまで知らなかったのだが、4連休。オリンピックの影響だそうだ。昨年は熊本旅行をしたのだが、今年はおとなしくしている。初日、1か月1度の陶芸教室。最初は息子が行きたいと言い始めたのだが、娘たちのほうがエンジンがかかっているような気がする。1年も継続すると、3人とも上手に作っている。なかなか習い事としては、そうは機会のないカテゴリーと思うが、想像力を働かすにはいいのではないかと思う。今日はうちの家族だけでゆっくりと学ぶことが出来た。4連休初日、まずは陶芸教室、子供と一緒の時間を過ごさせてもらった。

自衛隊にて

 

自衛隊の体験

今回、たまたま見つけた自衛隊のオープンキャンプ。人気らしく応募も多かったようですが、うまく当たりました。そもそも自分の住んでいるところに自衛隊があるというのも珍しいとも思う。僕が小さな頃は、自衛隊官舎もあり、お父さんが自衛隊員という人もいたので身近であった。子供は自衛隊はあるが、そう付き合いもなく、身近なようでそうでない。なので、少し体験をさせたいと思ったのがきっかけ。あいにくの雨だけが残念であったが、戦車も乗せることができた。いい経験だろうと思う。戦車にかんしては、僕の方が楽しかったのかもしれない。これは僕も初体験の出来事。子供と一緒に成長する時間ということで捉えたい。

朝ごはん

 

市場にて

朝、早く目覚めたので、市場へ仕入。僕の楽しみである。ついつい量を買いすぎて、嫁にはかなり怒られてしまう。何故か市場に行くと心が落ち着くのはなぜだろう。市場に行くと、まるという食堂でごはんを食べる。カープうどんを販売しているところである。今日は全部のせのうどんを食べた。朝、早く始動すると、時間が多く取れる反面、やはり眠たくもなる。しかし、人間は夜に寝て、朝起きる。このサイクルがやはり望ましいわけで、こうしたスタイルがなかなか難しくなってきている。要は電気がもたらす幸福とその反作用であろうか。電気のおかげというのはやはり大きいが、朝昼晩、本当はもっと従順に生きれた方がいいんだろうなとも思うつつも。市場に行くとよく思うことである。

打ち合わせを兼ねて

わいわいがやがや

打ち合わせを兼ねて、外食。外食には外食の良さがあると思うが、何を食べてもおいしかった。昼間にがっちりと話して仕事するのも大切だが、こうして夜に食事をするのもいいなと思う。やはりみんなのうっ憤があるのか、出れなかったこと大きかったように思う。酒が飲みたいというより、外に出れないという制限がきついのであって、これが解放されたのは大きいだろう。しかし、飲食店は人がなかなか戻らない。コロナでの生活様式が変わるのは致し方ないのか。つらいところだなと思いつつ。ただおいしいご馳走をいただいたと思う。

近所のすし屋にて

一息入れる

この前の豪雨の災害もあって、お店も被害があったので、激励。そして、何より腹も立ったこともあったので、気分転換で寿司を食いに行きました。昔ならカッ~と怒ってしまうことがあったけど、ワンクッション置いた方がやはりいいなと改めて感じる。コロナになってからはかなり出不精になった。出ること自体がめんどくさいと思うことがしばしば。いい傾向ではないね。自分が小さくなる感じがする。最近、子供らが寿司といえば、回転すしがいいようで、回転すしやに行くことが多い。なんか寿司らしい寿司を久しぶりに食べた気がする。まあ仕切り直しだ。多少は夜も出てみようかな。

睡蓮を見よう

目の保養

豪雨がなければ、葉っぱも色づくことはなかったのかと思うが、きれいな睡蓮を見ることができた。一番下の娘だけがついてきた。たまたまTVで見たのをきっかけに行ってみようとかなと思ったわけだが、こうした時間がやはり取りにくい。睡蓮を見ることいいことだが、道中に子供と話をすることが大切な時間のように思う。なぜこのように自分に余裕がないのか、あれこれ雑多のことは山積しているわけだが、今の傾向はとてもよくない。時間を作る強制力、いわゆる「何もしない」時間の創出もいるのかもしれない。