日常

久しぶりに会う

18歳くらいからの長い付き合い

いつも僕が人生で重要な時には、この先生に相談したり会うのだが、かなり久しぶりに会った。Aさんと僕、その先生とひょんな深いつながりもあって、これも人の縁。びっくりした出来事であったが、喫茶したり、歩いたりというの中で、人生の示唆を与えてくれた仲である。僕が苦しい人生を歩んできたこともよく知っているし、過去・現在・未来の中で、これほどまでに僕という個人に、根差している人も少ないかもしれない。自分の親でさえも、なぜその先生は僕にここまでしてくれるのかというくらいである。僕もほんと感謝しかない。何故か僕は指導教官たる人とは縁が薄い。ほかの先生ばかりがいつも周りにいる。声がかかるのは必ず他の先生である。そうした意味で、昔から僕はそういう星回りなのか。18歳の僕と45歳の僕、どう変化したように映っているのか、これからの僕の頑張りである。

お手紙拝借

10年ぶりの連絡

最近、大学院時代の先生と連絡を取ることが多い。こちらからもあるが、先生の方からということもあり、昨日は驚きで10年ぶりに広島に行くから会おうと連絡があった。もう大学院を離れて、15年以上も経過するので、現在は浦島太郎。それぞれに頑張っているに違いない。当時のことしか大学院もわからないが、まだ最初だったし、学生も少なく、活気があったころだ。今はたぶん優秀な学生が多く、今、僕が入ると修了できないのではないかと思ったりする。それにしても、大学院時代の先生に大学講師の道をいただいたりするとか、こうして連絡あるとか嬉しいよねと純粋に思う。再会の日を楽しみにしたいと思う。

人のつながり

これも縁です。

この前から、Aの人からの共通のBの人が知己であるという話が多く、非常に驚きが続いている。出会う方もちょっと違い、ほんとに繋がりが一見あると思わない人とであるから、世の中、面白いものだ。最近は特に忙しいので、脳が活性化しているのかわからないが、論理的にも感覚的にも、閃くことが多い。何か「変わって」きつつあるのは感じるものだ。昨日と違う自分に会える予感がする。こういう時期も人生あるのかもしれないと思い、不思議な日々を過ごしているところだ。

忙しい日常

まだ見ぬ明日

僕にとっては、大きな人生の岐路に立っているのかと思うようなことがあり、そのことで頭がいっぱいというのが正直なところ。自分の努力で解決するのであれば、それだけで済むが、やはり相手のあること。なかなか進まないが、少しは進んでいる、一進一退というのか、こんなやりとりは続く。今回、かかわっていることが誰しもにない話で、もう二度とこんな仕事もないだろうと思い、心血を注いでいる。ようやくこれまでの努力が形になるかもしれないと思いながら生きているが、さてどうなるだろう。梯子は丈夫だといいが・・・。あまり気の休まらない日々だ。

ふざけとんのか(怒)

怒りはどこへぶつけるのか

とにかく理不尽なことが多いとか、なかなか決められないのを待つ身であるとか、どうすればメッセージは相手に伝わるのかとか、何かとイライラすることが多い。相手が何がしたいのかがわからないというのが多く、こちら側は想像の範囲を超えない。ひょっとしたら、何も考えていないのではないかとか、こうかなああかなと思うけど、その煩悶が多すぎると、感情の向け方が困るわけで、僕なりに反芻して、媒介して心に消化していかないといけない。そんなことで、前向きなこともあるのだが、とにかくイライラすることが多いので、とかく自分が嫌になる。酒を飲んでも、解決しないよねと思いつつ・・・。人間の弱さ、自分の弱さである。

東京へ

一番下の娘

幼稚園の間に上の子二人とは、東京へ連れて行っているが、一番下の娘はコロナもあって連れていくのは難しかった。なので、ずっと突っかかっていた。コロナも一時的かわからないが、今しかないと思い、上京。これまでの2人は僕と2人で上京し、2日間みっちり二人で過ごし、話をする。こんなことをやっていたが、どうも3番目はあまり僕に寄り付かない。だから仕方なく(しかし、コロナで制限された家族も配慮して)、みんなで行ったが、まあ金がかかる、かかる。こんなこともあるだろうと思うが、久々の東京もまたよかった。幼少期のいい思い出となればと思うところだ。

 

 

学びの場

芸術文化学習プログラム

子どもたちが陶芸を学びだして、1年半が経過する。当初は息子が習いたいと言い始めてスタートしたのだが、いつの間にか娘も通いだした。なかなか陶芸を学びたいという子供は少ないかもしれない。手を動かし、創作する。この営みは非常に大切な経験となると思う。まず何を作るかは誰も言わない。自分で作りたいものを決め、それを作る。そして先生がサポートする。自発的に先生に指導をお願いし、それを学ぶ。親としては続けていることがうれしいし、積極的な姿勢が何よりも励みになる。それぞれに作品も上手になっているのも感じる。とにかく継続は力なり。この学びを将来につなげてほしいと思う。

子どもとの農業体験

落花生を掘る

お誘いを受けて、落花生の収穫体験へ。落花生をそもそも広島地方では栽培している農家も少なく、レアな体験と思う。今回は東広島市のイベントも協賛されたもので寄らせていただきましたが、農業体験の中では非常に面白いなと思うものであった。土の中にこんなに落花生が育っているのかという発見もあるし、どうも落花生栽培は手があまりかからない(→他と比べて)ようだし、新たなる地検も得た気がする。産地化を目指して営農されているようだが、これは可能性のある農作物のような気がする。子供らにとってもいい経験になっただろうと思う。

広島のソウルフード

たまに食べたくなる「むさし」

ふっと息が抜けるときの一つのシーンとして、食事の時間はそうだろうと思う。コロナになってからは店内飲食ではなく、コンビニやお店でのテイクアウトは多くなった気がするが、昔から広島の弁当と言えば、むさしのむすびであろうか。新幹線なんかで移動で食事時間が重なると、必ずと言っていいほど買う弁当であろうか。カープの時もよく買っている。今年は岡山への授業の帰りは岡山の駅弁を買って、新幹線で食べようと思うが、それぞれの地域でこれっというものがあるだろう。広島はむさしになろうか。最近はいろんなことがありすぎで、脳がつかれることが多い。故に、ふっと息の抜ける時間は至福の時である。オーバーワークのような今日この頃。

メディアの誘導

なんか良さそうだ

単純な思考なのか、めざましテレビで家庭用のポップコーンの機械が出ていて、2,000円程度ということもあり、即購入してみた。息子とちょっとやってみようと機械を動かしてみると、出るわ出るわ、ポップコーンができるではないか。酒のつまみにもいい、子供のおやつにもいい、なかなかと思ったものだ。こういうメカを買うと、機嫌が悪くなるのがうちの妻である。必要がないと喝破される。別にいいんじゃないかなと思うが、これは思考の違いである。それにしても、いろんなものが世の中にあるものだと思う今日この頃。