日常

履歴書

突然の話

ひょんなことであるところから、僕に履歴書を出してほしいとの依頼があった。自営業なので、履歴書を書くことがないので、博士号を出すときに書いたものを参考にしながら、書いてみた。本来であれば、職務経歴書とか出すといいんだろうが、まあ結構大変である。昨日、とある料理人と電話していたが、履歴書は1枚で済まないという。転職が多いからである。料理人だと「味」を覚えるなど、技能技術の向上もあり、転職は珍しくない。僕の場合は1枚で済むのでいいのであろうか?人生が動き始めている気がする。これはチャンスだろうと思っている。

中秋の名月

月に見守られ

満月、多くの人が昨日は見たのではないだろうか。一転して、朝からゲリラ豪雨で、まあ天候不順なのか、何なのかと思う。それにしても素敵な月である。夏に家族旅行に行ったときは、星を見た。夏の大三角形だの木星だの、よく見えたわけだが、天体に触れるということもとてもいいことだと思う。生活にそうした余裕がないといけないのだが、その余裕がないのがつらいのだ。たとえば、道端に咲いている花を見るとかというちょっとしたこと、そのちょっとしたことに気配りや目配りができないと改めて思う、今日この頃。

45歳定年説

ジャストインタイム

僕が45歳とタイムリーな話。上記は、経済評論家の山崎元氏が日本のサラリーマンの典型的なキャリア・プランニングとアクションを示したものである。自分を考えると、やはり能力や器、そんなものが見えてきている年齢と思う。圧倒的に劣っているとも思わないが、すごいとも思わない。45歳は現実に微妙な年齢だ。新しく雇おうにも、ある種の「型」はできているし、雇いにくいだろう。僕にしても口だけはどんどん達者になっている気もする。45歳でエンドとする人生設計をする場合には、自分の息子や娘のころから設計して生きていかないと、今、この場のチェンジは極めて難しい。45歳、厄介な歳になってしまったのかな。雑感である。

言葉のチカラ

強くココロに突き刺すように

昨日も書いたが、メッセージの伝え方。気になっているテーマだ、小泉元首相はどうだったのかと見直したが、今回は、元中日などで監督をされた星野仙一さん。2013年に楽天で日本一になったわけだが、その時のものを見てみた。そのとき2013年は田中投手が24勝0敗という驚異的な成績で、リーグ制覇。そして日本シリーズで6戦目ではじめての敗北、翌7戦目で抑えで最後に出てくるという漫画のようなストーリー。6戦目に160球も投げて翌日、投げようだに思わないが、押し上げられたように登板した。その頃の星野監督の言葉を動画で見た。やはり優しくて強い、人を惹きつける。ああいう風にココロから湧き出る言葉というか、そんな伝え方が出来ないかと思う。言葉のチカラは何かを変える。

ある日の昼食

今週は外出が多く

ランチを外で食べると、気分転換になる。今週は用事が多く、あちこち行ったなという感想。久しぶりにキートンで食事。美味かったな・・・。とかくいろんなことが起こるので、ランチのひと時はとても幸せな気分になる。ゴタゴタもありながら、新規で仕事も来るなど、さらに忙しくなりそうだ。大学の授業もはじまるし、う~ん、大変になってきた。まあこういうときも人生あるんだろうな。

 

相手の選び方

ビジネスもパートナーも

昔、結婚相手を選ぶ際に言われた言葉で(僕ではない)、「男は履歴書、女は請求書」と言われた事がある。男は何をやっているかや家柄などの履歴であり、女は容姿やスタイルなどを表しているのだが、これが基準として言われたもんだ。結婚相手も選ぶ際はどうなのかわからないが、あばたもえくぼ、恋は盲目、いろんなことがある。ビジネスはどうだろう?お金?信頼?人柄?いろんな基準があるだろう。ビジネスの場合、決断が急がれる場合が多い。次々、出来事はあり、時は走馬灯のように過ぎていくからだ。結婚相手は、基本1人だけを選ぶことになるので、こちらの方が悩むだろう。最近、何かを選ぶ、選択する際に、どのような基準で考えて行動すればいいのか、考えるものである。日頃、とかくいろんなことがありすぎる。少し休みたいと思う今日この頃。

名言より学ぶこと

ゴタゴタの最中

もめ事に巻き込まれたというか、何というか理不尽なことが多く、自分の媒介できない。まあイライラしているのが今日のこの頃だ。たまたま読んだもので、はっとしたことがある。弱い人は復讐する。強い人は許す。賢い人は無視する。物理学者のアインシュタインの言葉だ。なかなか思っても、そうも動けないのも人間らしいとは思うが、そこまでの心境にならないもの事実。ただ前向きに未来志向で生きないと、誰も幸せにもならないと思える。なぜ穏やかに生きれないのだろうかと思うが、こういう時期だと思い割り切るしかない。

時の流れに身をまかせ

人生の羅針盤

自分にとって、大きな波が来て、転換を求められている。コロナとは全く関係ないが、人生は穏やかに緩やかに生きれないものだとつくづく思う。年を取ったため、怒りに身を任せとかいうことではなく、あくまで時の流れに身を任せ、というところもある。それにしても、紆余曲折というのは僕の人生だ。残りの人生、まだまだこんなことがあるのかなとも思いつつ、「いま・ここ」の難局をひとまず乗り切ろう。

アナログ思考

SNSと文通

今日の日本農業新聞でこんな記事を見つけた。コロナ禍でほのぼのとした話題がない中、目に留まった。僕はもともと文章を書いたり、手紙を書いたり、好きな人間である。特に手書きでしたためるのは、大好きである。手書きであると、思いが伝わりやすいと思う。SNS時代とは確かに逆行しているが、やはり人間らしいかなと思う。

コロナ後の社会

カオスな社会

コロナが収束すると、コロナ前の社会に戻る。この幻想を抱いている人は意外と多い気がする。今日、そんな新聞記事を読んだ。もう人々の価値観が変わり、コロナ後、あるいはwithの形でどう考え、動くのか、一新するように生きていくしかないのかもしれない。コロナが終わった平時を期待する人は多いし、それは僕も望むことだ。マスク、アルコールなど不自由な制限も取っ払いたい。それは皆が思うことだろうが、思考をリセットしていく、そんな思いで生きていくしかないだろうと改めて思うことである。