日常

お誘い多く

忙しいときに忙しく重なる

野球を見に行っている場合ではない。とかくあれやこれや忙しいときに輪をかけて事が起こる。人生ってそんなものと片付ければそうかもしれないが、そればっかりではない。まあいろいろ。終われば繁華街へという運びで遅くなるのだが、たまには(僕はたまにはではない気もする)である。たまにはいうのは、たまにしか会わない人と行くので、たまにはなのであり、たまにしか出ない人はたまにはを味わいたいわけである。言っても仕方ないが・・・。さすがに歳をとってきているので、次の日は堪える。ほどほどにもしておかないと思う50歳近い僕。

嫌になる

いつも衝突する

子どものゲーム、ipadなどのやりすぎでいつも口論になる。夢中になるのもわからなくないが、明らかにやりすぎ。いつも注意することになるが、ほんと勉強をしない。しないといえば、御幣がある。わずかだけするという感じで、ほんと先行きを重んじる。もっと本を読むなどの活字に触れるなどやってほしいと思うだが、ゲームなどを優先される。これ異常ですよ。本を読めと言われれば、アニメ。アニメも悪いわけではないが、そればかりではよくない。自分の子どもだけに諦めきれないところもあり、情けなくもなる。いつもゲームを捨てる論争になる。百害あって一利なし。他の家はどうなんだろうと思うが、昔から言うように、うちはうち、よそはよそである。

宴席

ふっかけているわけではない

なんか酒を飲みに行こうという人が多く、何個かは断ってもモグラのように新しくお話が出てくる。なぜそんなに飲みたいのかと思うのだが、飲みたいんだろうね・・・。まあそんなこんなで飲みの席は多いですよ。まことに。出ないと先細り感はあるので、たまには思うが、どうも億劫でねというのが所感。そんなこんなです。思うにどうも何かを動かそうとしている人、たまには接点を持ちたいと考える人、行きずりのような人、まちまち。いずれにしても6月戦線は忙しそうだ。

何事も勉強である

お金の勉強

息子と株式投資の話をしたが、やってみるものいいね!と珍しく息子が乗り気である。好奇心は旺盛である方なので、こういう面はしっかり伸ばしたいと思う。なにせ僕の子である。小さく差育ってはいけない。あれやこれや考えるが、やらせてみるのが一番いい。案ずるより産むがやすし。どう勉強するのかというのもあるので、その辺の進め方は考えるにしても、とてもいいことなのではないかと思うのだ。お金の教育は2022年度から教育面でも強化する方法で進んでいるが、実際は教える人がいないのも現実か。いるけれども、学校現場には入っていかないのだろうと思うので、ここは親の出番かとも思いつつ、楽しみになってきたというのが僕の所感である。

 

デジタル終活

徐々に

モノは使いようとも思うが、最近見た記事でデジタル終活たるものを読んだ。今の時代。個人でSNSをしていることもあり、残された者はそのすべてを知り得ない。その整理を生きているうちにしていくというものだ。SNSをやることは情報も入ってくるのもあるが、それを知ることでリアルで会っていないのに会っているような感覚もあるし、それがよしとする人もいる。僕は新鮮味に欠けることもあるので、これは辞めていった方が幸せな気がしているので、どこかの区切りを持つことも必要ではないかと思う。このブログもそう。まだ50歳手前で早いだろうと言われるが、時が経過するのは早いので、まずはフェイスブックから卒業を図りたいと思っている。それにしても、デジタル終活。これ結構、大切なんではないかと改めて思う。

子どもの関心

好奇心にこたえる

娘がキャンプに興味があるらしい。テントで一夜を過ごすという体験。僕があまり好きではないので、なかなか達成はしないが、子供たちだけでそうした体験をさせてくれるところがあるようで、行ってみるようだ。知らない人と過ごすことも大切な営みではないかと思うし、たまにはいいのではないかと思う。一緒にご飯を作ったり、いろんな作業を共にしたり、いい経験になると思う。うちの子どもはどこかチャレンジングなところがあり、時々突飛なことを言う。子供に一つずつ答えながら、成長を見守りたいと思う。

ビジネス構造の頭の働かせ方

頭にある財務の視点

これは職業病もあるであろうが、どうも「仕入」を伴うビジネスの頭の働かせ方には弱い気がする。アイスクリーム屋も長年やっていたが、日ごろの役務の提供をする仕事に従事していると、仕入がないわけで、数字がどう動くはわかっていても、前提が違うことをふと思うことがある。仕入が伴うと、「モノ」に対して付加価値をどうあげていくのかを考えるし、「サービス」であるならば、専門という付加価値である。前者の方が売上高としては高くなりやすいが、利益率と考えると、後者の方が高いわけである。まあそんなことを考えていると、あれこれやっても何でもできるわけではないなと当たり前の帰結にたどり着くことになる。意外にできることが多いようでできないということなのかとも思いつつ・・・。日々雑感。

親の務めか・・・

子供の成長とともに

コロナになってから、運動会も昼までになった。僕の感覚とすれば、シングルマザーなどの配慮もあってそうしたのかと思っていたが、どうやら熱中症対策が主な要因らしい。5月だというのに暑かった。母親が弁当を作って、それを囲みながら家族親戚、近所の方々と食べるといったことはもうない。僕らの頃は酒盛りをしていた大人の記憶があるが、今やれば大変なことだろう。さて、1年に1度くらいしか子供行事にはいかないが、子供の成長を見ることができた。小学生と言えどもみんな大きいなという印象だし、うちの子に限らずみんなよく頑張っていたなと感じた。団体の競技では、練習をたくさんしたんだろうなと思うし、年々、大きくなりできることも増えてきたと思うしと。下の子が小学校卒業までに運動会はあと3回。ほんとに参加するのがあと少しになったなと思った5月の一日。

思考のルート

ロジカルシンキング

不特定多数に説明するときに論理的に説明し、客観的に相手に納得をさせる必要がある。筋道を立てて説明するということ。どうも感覚的な人が多く、話がかみ合わないのを知らんぷりで了承することが、人間生活を円滑化させるのだろうかと思うこともしばしば。困るのはビジネスである。お金が伴うので、それを必須の前提としてほしいのだが、「ワシのつくった料理は抜群にうまい」というような点を強調しがちであるが、実はそこは前提にある暗黙的な了解であって、ここが論点ではない。飲食ならば、技能技術という点を求めているのでもないし。「うまい」という前提の中で、どう数字に落とし込み、事業計画を構築するのかということである。計画であって、約束された成功ではないが、これこそスタートラインに立つことなのだ。それが伝わらないので、諦念しかないのだが、そのカルチャーの基礎的な部分が備わっていないので、たぶん話はずっと噛み合うまい。そんなケースが多く散見してきたが、ことさら最近、目の前にある課題でもある。

健康診断

バリウムのせいで

年に一度の健康診断。採血も嫌い(注射が怖い)、バリウムを飲むと気持ち悪くなるなど、とかく好きではない。何より悪いところが見つかると困るというのもあり、ひいてしまう。まあ仕方ないので、行くのだが・・・。終わると下痢にしないということで、一杯繰り出す。腹が重いのに食べてないから腹が減っているので、もりもり食べる。飲んでも酔わない。腹だけがだんだん重くなるのだ。なんと悪循環なんでしょうと思いながら。久しぶりに中華へ。昼間はつらく、夜は楽しくというところか。さあ日常へ戻りましょう。