ココロを整える
喫茶店に行く、風呂へ行く、とかく自分一人の時間を持った方がいい。僕場合、風呂が多い気がするが、どこへ行くとも言わずにふらっと家を出ることが多い。これをしていなかったな、これしなきゃなとか、まあいろいろ思いにふける。週に1度取れるかどうかであるが、もう少しこの時間を増やさないと思っている。ひそかに思っているは、50代に入ってからはフィットネスに通おうと。昔は通っていたけど、日常にかまけて辞めてしまった。今すぐにと言いたいところだが、40代はそれ以上に優先することがあるので、ここは整える。そうすると、落ち着いた時間を作れるのではと思うのだが、自分の理想というか、いいスイッチを持って生活がまだできていないように思う。そんなことを思いながら・・・。
中長期的な視点で
農業新聞を読んでいると、農業高校の教員の成り手がいないという記事を見かけた。産業教育手当で、大半が支給金額(給与の10パーセント)を下回っているという。農業高校で言えば、準備もさることながら、飼育や実習、農場管理など時間外労働の賦課も多い。財政上も問題としているが、教員の確保はさらに難しくなってこよう。採用試験でも半数以上が辞退しているというのだから、労働環境は決していいとは言えないのだろう。人を育てるのに、やはり時間を要する。お金だけの問題ではないかもしれないが、それに似合う報酬というのは必要ではないか。待遇悪化は続くような気がする。ほんとに人がいなくなってから、本機になるのだろうか。問題は未然に防ぐ。再考すべきではないだろうかと思う、農業高校の教員問題。
いいかもしれない、ジャーナリング
ジャーナリングとは、一定の時間内に頭に浮かんでくる考えや感情を紙などに書いていくことをいい、「書く瞑想」とも呼ばれており、紙に書くことで、自分の考えや感情を言語化し可視化できるため、自分の状態を理解するのに役立つと言われている。いろいろジャーナリングをすることで、目標達成して、理想な自分を作る。40歳の棚卸中での気づきである。50代は逆襲が目標。人生の下克上を達成する!
祭りごと
祭りたるものはどうも血が騒ぐ。好きなのである。10年前くらいになろうか、嫁さんの実家で流しそうめん。見事に竹で工作してくれて、凄かった。嫁さんのお父さんは何でも自分でこなせる。結婚した当時、電気の配線を自分で直していた。僕はそういう思想がない。できる人を呼んでくることしか思い浮かばない。ここで手打ちした。適材適所で行きましょうと。これほどまでやることが異なると衝突もない。そんなことを思いだす。結婚した当時は、嫁さんの実家は大忙し。婿殿の僕がどんどんイベントを作る、何故か今はゼロになってしまったのは寂しいが・・・。こうしてみんなでわいわいやれるのは幸せそのもの。そういう時間と空間を少しでもと思う今日この頃。
SNSはどこまで効果があるのか
縁あって、元カープの高橋慶彦さんとコラボしている。やはり僕らの世代はスーパースターで、ほんとかっこよかったし、ああなりたいと思っていたものだ。実際、お会いするようになって、男にも女にももてるのが分かる気がする。人間味のある人である。そのときの状況を楽しんでいるような気もする。若いころは血気盛んだったんだろうけど、穏やかな感じは今はするし、とても僕もいいご縁をいただいたと思っている。どうもツイッターで慶彦さんが投稿を見つけてくれたようだ。リポストしてくれている。なかなかのヒットをしているが、購買にはつながるのか?楽しみではある。
母親を連れて
母親が同窓会に行きたいというので、庄原へ。雪が降るので、スタッドレスも急遽履き替え。大変なスケジュールとなりました。母曰く、70歳も過ぎたので、最後かもしれないと皆さん集まることになったそうだ。僕は同窓会というものに全く行きたいとさえ思わない。過去にも書いたことがあるが、①基本的に成功者が主宰する、②妬み、嫉妬もあるが、それ以上にその人が良くなっていることも悪くなっていることも見たくない、③その過去の一時点を線にする必要はない、そんな所管である。だから僕はうらやましくもないし、嫌悪感さえある。誘っても欲しくない。ただ周りの行動において、どう行動しようがそれはいうつもりがない。あくまで自分の基準でいいのだ。母は参加してよかったと言っていた。それはそれで僕はいいと思っている。久しぶりに庄原の風景を見れてよかったな。少ししか過ごしていないけど、やはりふるさとはいいものだ。
43回目の誕生日
今日は弟の誕生日である。歳をとると、何歳だったかなといつも思ってしまい、聞いてみた。もう43歳だそうだ。兄弟というのは、せっかく同じ親から生まれて育ったけど、所帯も変わり、別々となる。いろいろ考えると一緒に過ごす時間は意外に少ない。そう思うと、時間は走馬灯のように過ぎ、アッという間に死んでしまうということまでにもなるのかとも思いながら。今一緒に仕事をしているが、抱え込まないことである。ひとまず誕生日おめでとう!公務員官舎で近くの方の家に一泊して、その朝に生まれたのをおぼろげながら覚えている43年前の今日。
判断と決断のサインプレー
年齢を重ねるにつれ、判断、決断が遅くなる気もする。昨日、書いたように守りなのか、そう思うこともある。昔から僕より年上と付き合うことが多いが、殊更、今感じるのはスピード感のなさである。スピード感がなく、あれこれと時がいたずらにすぎる、事柄の理解がされていないといった事案も散見され、振り回されるようなところがある。こうしたことに直面する機会が多い。僕もその予備軍である。年を取るにつれて、「客観視」する自分もいる。遠くに「僕」もいる。そうすると、第三者でいることもあるしと思いつつ。加速度をあげて、動く、判断する、決断する。そうふと思うのである。
別研2023
2006年に社会人大学院に入学し、今でも続いている年一度の旅行。今回は能登。1年前に行くところを決めるのだが、今回は能登。地震もあったので、どうかとも思いましたが、非常にいいひと時でした。はじめての石川県で楽しみでした。能登半島を1泊2日で一周。いい勉強にもなりました。なかなか歳をとって、一緒にいろんなことをできる人は少ないので、ありがたいなと思いますね。また来年の再会を楽しみに日常を過ごしたいと思います。
来年度の仕込み
とかく忙しすぎて、逃避したい。これが今の偽らざる心境であるが、そうもいかないのが人生。来年度からのためにちょっと遠出して、仕込んできましたよ。出来るだけやることを減らしたと思っているが、どうもその状況下になく、こんな生活を何歳まですればいいのだろうと途方にくれるときもある。しかし、今回のニューモーションは自分の自発的なもので、40歳の棚卸にもなろう。そう思うながら、信じて生きるしかない。週明けから忙しさの戦争状態である。