その他

学費の値上げ

文部科学省への「反抗」か?

東大が学費を上げるという。約2割とのことで、値上げは実に20年ぶりだそうだ。教育無償化という流れとは逆の方向に動きだした。大学においても予算がだいぶ削られ、苦肉の策とも聞くが、東大がこれを進めると、他大学も追従はするだろう。奨学金を利用している学生は半分くらいはいるそうだが、なかなか高額な学費、仕送りと考えると、奨学金を利用するのは頷ける。時が返ってこないと考えると、借金をして、「今」の学校を取るかどうか考え深い。これだけ社会がカオスな今、ここまでリスクを取れるのかと考えてしまう。国立大学こそ学費は下げてほしい。教育機会を作ることを考えてほしいのだ。国もどう考えるのか。少子化対策といっても、無策に近いと僕は思うが、真剣さの伝わらない内容に加えて、こういう話題。どうなる日本の未来って話である。

 

秋刀魚の季節だ!

高級な魚になったけど・・・

やっぱりこの時期、秋刀魚が恋しい。家でも外でも欲しくなるものだ。昔は1尾80円とか安く購入できたし、身も締まっていた。新鮮な秋刀魚は刺身にしたり、あるいは握り寿司でも押し寿司でも食したものだ。漁獲量が減ったのは、周辺国の関係もあるが、乱獲をしすぎたのではないかと思う。そういう気がしてならない。それにしても、秋刀魚を食べるということは「秋」ということになろうか。でも以前、暑いのは変わらない。いつまで暑いのだろう。まだプールやっても多く入りそうな気もする。

通信制高校の可能性

生き方の選択

学校法人の評議員もやっているので、気になるテーマ。テレビで特集をされており、少し見た。関係学校でも通信制はあるし、可能性だらけと考えている。かねがね僕は無理して学校には行かなくていいと思う派。僕自身、たくさん行ったが、これはすべて社会人になってから。そもそも団体行動が嫌いな僕ならば、積極的に行っていたのではと思う。高校というところはとんと記憶にない。「僕が自分はもう死んだ」と言っていたくらいだから。今は教壇に立つなら、通信制の高校で教鞭をとりたい。ここから東大、京大への進学者を輩出して、可能性の芽を作りたいと思うのだが、自分がやりたいことと社会の評価は違うもので、お金云々よりロマンを追うのも僕にとっては生きがいなんだが・・・・

60代を豊かにする「50代でやってよかった習慣」

人生のステージ

ネットでこんな記事を見つけた。50歳がだいぶ近づいてきた人間からすれば、60歳なんてあっという間である。年々、時間の経過が早くなっている気がする。その記事によると、①ひとりで過ごすことを習慣化する、②SNSブログで人とつながる、③日ごろから体を鍛える、④財務計画の見直しだそうだ。②に関してはむしろやめようと思っているので、別の意見だが、①に関しては、常日頃思うことが多いので、共感。③については、50歳に入ってからフィットネスなどは通おうと考えているので、これも共感。④に関しても、もう少し考えないと思っているので、これも共感と概ねそう思うことである。②に関しては、SNSのデメリットの方が目につくようになり、これはちょっとなあと思うことが多い。そんなこんなでいろいろ人生考える年頃になりましねと思いますよ。

思考時間

ココロを整える

喫茶店に行く、風呂へ行く、とかく自分一人の時間を持った方がいい。僕場合、風呂が多い気がするが、どこへ行くとも言わずにふらっと家を出ることが多い。これをしていなかったな、これしなきゃなとか、まあいろいろ思いにふける。週に1度取れるかどうかであるが、もう少しこの時間を増やさないと思っている。ひそかに思っているは、50代に入ってからはフィットネスに通おうと。昔は通っていたけど、日常にかまけて辞めてしまった。今すぐにと言いたいところだが、40代はそれ以上に優先することがあるので、ここは整える。そうすると、落ち着いた時間を作れるのではと思うのだが、自分の理想というか、いいスイッチを持って生活がまだできていないように思う。そんなことを思いながら・・・。

教員の成り手

中長期的な視点で

農業新聞を読んでいると、農業高校の教員の成り手がいないという記事を見かけた。産業教育手当で、大半が支給金額(給与の10パーセント)を下回っているという。農業高校で言えば、準備もさることながら、飼育や実習、農場管理など時間外労働の賦課も多い。財政上も問題としているが、教員の確保はさらに難しくなってこよう。採用試験でも半数以上が辞退しているというのだから、労働環境は決していいとは言えないのだろう。人を育てるのに、やはり時間を要する。お金だけの問題ではないかもしれないが、それに似合う報酬というのは必要ではないか。待遇悪化は続くような気がする。ほんとに人がいなくなってから、本機になるのだろうか。問題は未然に防ぐ。再考すべきではないだろうかと思う、農業高校の教員問題。

始めてみよう!

いいかもしれない、ジャーナリング

ジャーナリングとは、一定の時間内に頭に浮かんでくる考えや感情を紙などに書いていくことをいい、「書く瞑想」とも呼ばれており、紙に書くことで、自分の考えや感情を言語化し可視化できるため、自分の状態を理解するのに役立つと言われている。いろいろジャーナリングをすることで、目標達成して、理想な自分を作る。40歳の棚卸中での気づきである。50代は逆襲が目標。人生の下克上を達成する!

こういうことも楽しみであったが・・・

祭りごと

祭りたるものはどうも血が騒ぐ。好きなのである。10年前くらいになろうか、嫁さんの実家で流しそうめん。見事に竹で工作してくれて、凄かった。嫁さんのお父さんは何でも自分でこなせる。結婚した当時、電気の配線を自分で直していた。僕はそういう思想がない。できる人を呼んでくることしか思い浮かばない。ここで手打ちした。適材適所で行きましょうと。これほどまでやることが異なると衝突もない。そんなことを思いだす。結婚した当時は、嫁さんの実家は大忙し。婿殿の僕がどんどんイベントを作る、何故か今はゼロになってしまったのは寂しいが・・・。こうしてみんなでわいわいやれるのは幸せそのもの。そういう時間と空間を少しでもと思う今日この頃。

SNSの拡散とは

SNSはどこまで効果があるのか

縁あって、元カープの高橋慶彦さんとコラボしている。やはり僕らの世代はスーパースターで、ほんとかっこよかったし、ああなりたいと思っていたものだ。実際、お会いするようになって、男にも女にももてるのが分かる気がする。人間味のある人である。そのときの状況を楽しんでいるような気もする。若いころは血気盛んだったんだろうけど、穏やかな感じは今はするし、とても僕もいいご縁をいただいたと思っている。どうもツイッターで慶彦さんが投稿を見つけてくれたようだ。リポストしてくれている。なかなかのヒットをしているが、購買にはつながるのか?楽しみではある。

同窓会再考

母親を連れて

母親が同窓会に行きたいというので、庄原へ。雪が降るので、スタッドレスも急遽履き替え。大変なスケジュールとなりました。母曰く、70歳も過ぎたので、最後かもしれないと皆さん集まることになったそうだ。僕は同窓会というものに全く行きたいとさえ思わない。過去にも書いたことがあるが、①基本的に成功者が主宰する、②妬み、嫉妬もあるが、それ以上にその人が良くなっていることも悪くなっていることも見たくない、③その過去の一時点を線にする必要はない、そんな所管である。だから僕はうらやましくもないし、嫌悪感さえある。誘っても欲しくない。ただ周りの行動において、どう行動しようがそれはいうつもりがない。あくまで自分の基準でいいのだ。母は参加してよかったと言っていた。それはそれで僕はいいと思っている。久しぶりに庄原の風景を見れてよかったな。少ししか過ごしていないけど、やはりふるさとはいいものだ。