オールドメディア?
正月なので、緩やかな時間を過ごしています。あまりあれこれ考えないように、ダラダラ。それに飽きると、動くと言う感じです。TVを普段見ることがないですが、何とも面白くない。YouTubeに完敗している気もします。そもそもTVが面白くなかったのかというと、それは多分違って、TVをネタに家族団らん、友達とも話せたりしたわけで、内容も劣っているのもあるが、YouTubeなど選択肢が広がっているのもある。なんとTVが寂しくなったなと思いながら、少し眺めている感じです。
正月なので、緩やかな時間を過ごしています。あまりあれこれ考えないように、ダラダラ。それに飽きると、動くと言う感じです。TVを普段見ることがないですが、何とも面白くない。YouTubeに完敗している気もします。そもそもTVが面白くなかったのかというと、それは多分違って、TVをネタに家族団らん、友達とも話せたりしたわけで、内容も劣っているのもあるが、YouTubeなど選択肢が広がっているのもある。なんとTVが寂しくなったなと思いながら、少し眺めている感じです。
旧年中は大変お世話になりました。本年もよろしくお願いいたします。
2年連続の喪中にて、年始の挨拶をご遠慮させていただきました。今年に年賀状終いもする予定にしています。
さて、2025年始まりました。内なる闘志を燃やしております。
荘子の言葉の中に、「君子の交わりは淡きことみずの如し」(「君子之交淡若水」)という一説がある。君子の交際は、水のように淡白であるが、その友情はいつまでも変わらないということという意味であり、あっさりした交わりを指し、あんまりべたべた濃厚濃密に付き合うのは、君子にふさわしくないというのである。君子とは、学識・人格ともにすぐれた、立派な人であるが、この「淡交」という言葉に強く惹かれるのである。
SNSが発達し、そうした浅く薄っぺらい付き合いが現代風なのかもしれないが、濃厚で濃密な関係が強くなりすぎると、トラブルの元にもなる。そう考えると、「淡交」という意味を今更ながら考えるようになりました。
また昨年は静かに暮らし、ひとり時間を作るようにしてきました。過去・現在・未来を対象化し、自分の人生をよりよく考えたつもりです。歳をとる意味を否が応でも向き合うようにはなりました。
今年は人生総攻撃のような「動」的な年になると思います。しかしながら、時間のバランスを考えて構成しようと思います。人とも会いすぎるのもよくない、会わなすぎるのもよくない、「淡交」くらいがちょうどいい温度のような気がします。ほんと「バランス」感覚は大切にしようと考えています。
今年は人生の下克上のスタート元年にします。それ故に、動くがバランス、過度に同じ人ばかり会わないようにしながら、多様な声を聞いて、反芻します。
この数年が僕の人生の勝負、そういう境界に自分の身があることを真に受け止め、今年を始めたいと思います。
重ねて本年もよろしくお願いいたします。
2025年元旦 岸保 宏
今年の12月は体調を崩して、飲もうとも思わなかった。飲むよりも身体がしんどく、日ごろの疲れがどっと出た感じ。最後に近所で鍋をつつきながら、お酒を楽しみました。あれやこれや考えることも多いですが、ひとまず今日で2024年も区切り。まあまあいい年だったように思います。あと少しですが、よいお年をお迎えください。
どうも市場に行くと、楽しくて仕方ない。ついつい大量に買ってしまうのが行けないが、年末を迎えるに当たり、市場に行かないと今年が終わらない気がするのだ。市場に行くと、大量に買ってくる、魚の処理で家庭はもめるが、それでもここが好きなので、勘弁してほしいと思うのだが・・・・。
農地相続たるものを少し調べようと思って見つけた本である。これから読むので内容はまだ何とも言えないが、目次を見る限り、興味深い感想である。はじがきやあとがきを読んで見ると、苦学を強いられたようである。勉強したいと思っても、勉強できる幸せというのはなかなか感じにくい。なので、努力してこうした成果を世の中に出せて、出されて時間は経過しているが、少なくとも僕には役に立ちそうなので、やはり貢献度は高い。昔の人である。自分の住所を書籍に書いてある。やはり評価を求めているのかとも思うが、僕が何かの論文で書くことがあり、引用したらそれを見てほしいと思う。
50歳が近づくにつれ、やはり人生を見直すことばかりである。最後に自分の人生を肯定したい。そう思って、そのことが頭を離れない。可能であるならば、すべてオールリセットをして人生をやり直したいが、そうもいかない。それが自分を苦しめるのだが、あれこれと考えてみても、これまでマイナスばかりである。そのマイナスをプラスに転じたいと努力するが、それまでのマイナスが大きすぎて、なかなかそれを覆うほどにはならない。これも僕の生きてきた性である。当座、数年で判断しないといけないと思うのは、学術研究である。①完全に辞める、②完全に分野を変える、③隣接分野に取り組む。今のところ、②が強い。あんまり今やっていることに執着をしていない。みんな「回収」とかいうが、そんな陳腐な発想をしていないのである。やりたい人にチャンスを与えてほしいし、僕は少しだけ大学教育にかかわることができればそれでいいのだ。常勤なんてまっぴらごめんなのだ。やはり生きる道は②な気がするのだが、どうもまだ迷いがある。迷いはその突き進む内容にあり、今の執着とは違う。何をやれば、最後、「肯定」できるのかということだけなのである。
熱、インフル、コロナではないし、身体も回復傾向にはあると思うが、とにかくだるい。覇気もない。睡眠もこの2週間、10時間くらいはとっているが、咳が止まらず、体調が芳しくない。夜も出たいと思わないし、人と接するのもおっくうである。電話さえもめんどくさい、lineもNOサンキュー。弱っているなと思うところ。今週末にはそろそろ身体を万全にしたいところだが、意外に時間を要している。加齢もある。今、何よりもこの体調面のことばかりが頭にある。
立命館出身だけに楽しみに読んで見たが、期待倒れ。何ら立命館がすごいというようにとらえられない。まずもっても、立命館の歴史が全く書かれていない。すなわち、今に至るまでどのように学校が発展してきたのかを知ることで、今が描き出されるはずである。確かに立命館が広域に活躍している大学であることは認めるが、この本によって、立命館はマイナス評価である。書いた本人は文庫にしては厚みのあるものになっているので、自信満々かもしれないが、内容がない。立命館そのものの学力を問われる。そんなこんなでこの本は残念であり、今年読んだ本の中でワーストNO.1である。
2025年に開学するZEN大学。今日現在で出願が2000人とのこと。3500人が募集定員なので、これは達成するような気がする。内容をみても面白いカリキュラムであるし、今の時代にフィットしている。既存の大学が衰退していく中、伸びていくように思う。あとはオンライン大学で学びはいいにしても、生徒指導しかり進路指導しかり、その部分がどうかというのはあるが、学費の安さも含めて、教育を受けることができるチャンスを与えてくれる。僕自身、かなり期待してこの大学はみている。
一度、行ってみたかった対馬へ行くことができた。めちゃくちゃ寒く、風邪をひいてしまったのが、とても残念である。どうもプサンから直行便が2週間に1回あるそうで、ものすごい数の韓国人がいた。対馬はハングルも多く、どうも外国のような気がした。まあそれはそうと。対馬は1泊2日でちょうどいいのではないか。観光地にいろいろ行かせてもらって、歴史も学んだ。歴史に関しては対馬は勉強になるので、行ったら是非博物館など回ってほしいと思う。なかなか行くことがない対馬。いい旅になりました。
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