
シーンが変わる
大学が変わるのではないかと期待している。ZEN大学。大学の在り方が変わる気がする。グローバル社会で活躍するための素養やスキルを身に付けることができる、日本発の本格的なオンライン大学として来年開学する模様。N高やS高なども今や東大など難関大学へも進学する学生も排出している。僕が今の時代に生きていれば、きっとS高やN高に進学したいし、わくわくするところがある。教育コンテンツも興味深いし、可能性を感じる。そう、こういう前向きでないといけない。今や定員割れ、Fランク・・・、大学の意義は?と思うもの。自分のチャンスは自分でつかむんだよ。そう思いながら、ZEN大学に大きく期待!

僕の所感
職場に近いのもあって、広島大学はよく利用させていただいている。修士の2年間、東千田に通わせていただいて、一応卒業生ではあるが、この大学は嫌いである。なぜ嫌いかといえば、どうも東京大学にいるかのような錯覚が起きる。変な自信、プライドがあるので、謙虚さを感じない。広島大学育ちの人は感じないだろうが、外部にいた(いる)人はわかる。この話を外部から広島大学に進学した人に言うと、共感を呼ぶ。まあそんな所感である。しかし、悪いところばかりでもない。最近は外部に向けた開かれた大学へ進んでいる気がするし、何と言っても総合大学の強みがある。国立大学なので、あまり新しい書籍が少ない一方、逆もあって古いものはよくあるので、助かることもしばしば。一長一短である。最近はよくお世話になっているので、気持ち的には薄れてきた。まあ活用できるものは活用しようと。誤解を招くといけないので、個々がどうのこうのではない。学内で学生時代に会った人に印象は起因している。今は知らない。

いつかは通る道
職場の近所の方が亡くなった。雑談も多くしたし、ランチもよく行った。夜もたまには飲みに行った。81歳でお亡くなりなったから、年齢的にはそういう歳になんだろう。最後の方はお身体を壊され、入院続きのようだった。現役時代はバリバリで迫力もあったし、仕事もすごかった。それを象徴するかのように、葬儀も今どきにないくらい、多くの方の参集であった。いつかは通る道とは言え、別れは寂しいものである。やはりほんとに近親者が亡くなり始めた。よりよく生きる、そして自分の中での基準で「人生よかった」と思えればと最後は思うが、どうだろう。悲しい別れに合掌!ありがとうございました。

小テストの巻
大学で小テストを実施した。大学は論文を書きに行くところだという理念を捨てて、今年は加点方式での実施。試験に出るところまで披露しや大盤振る舞い。さあ結果は?だいたいはできているが、出来ていないやつもいる。明らかに勉強をしていない。やる気がないのはやりようがない。子供でもあるまいし、大学は別に行かなくても、働いてもいいし、専門学校で資格をとってもいいし、生き方はさまざま。一番いけないのは、欠席である。目の前の困難から逃げることだ。勉強ができる、できないはいい。できなければ、人の2倍、3倍やるしかないだろう?、出来ない自分と向き合って成長させるのではないか。もう子供じゃないぞ!といって鼓舞するが、何人かは毎年、響かない。結局、自分のことは自分で落とし前をつけないといけないのよ、親は助けてくれないぞ!こんな思いでいるのだが、「甘く」向き合う気もない。突き放すこともやさしさと思うし、ここを乗り越えないとだめだと思うから。もう少し小テスト、点数取ってほしかったな・・・。

素敵な人生の彩
ほんと僕には趣味がない。登山でもいい、陶芸でもいい、なんでもいい。そうした非生産的で楽しめる趣味というのがあればいいなと思う。あまりにも自分にないので、蕎麦好きな人と「蕎麦屋紀行」、いわゆるグルメツアー、灯台好きな人、いわゆる灯台巡りツアーとか、人の趣味に付き添うこともする。人としても幅であったり、楽しみで会ったり、その部分の欠落が僕には多い。仕事ばかりというほどでもないし、子供もだんだん大きくなり、手も離れつつある。じゃあ残された自分はどこに?嫁と散歩?ああでもない、こうでもないとまた考える。案ずるより産むがやすし、とかく50歳を分岐点にと思い、40代をすごしている。今すぐやればと思うかもしれないが、ほんとに今は余裕がなさすぎる。

明日に向かって
今年度のこともまだ終わっていないが、やはり来年度以降のことも考えてしまう。あれをしよう、これを辞めようとか。やはり時間は有限なので、あれこれ考える。自分が想定していてもそうはならなかったり、割り込み事案もあったりと人生はそんなものかもしれないが、着実に着実に進めていくことでしかないわけで。今のところ、決まっていることは、①久しぶりに学会報告をする、1本出す。②日本語教育を再開する、この2点である。それにわたる補強や補充はする。ビジネスもああする、こうするとかあるが、これはここでは書けまい。もう少し時間も欲しいなと思う今日この頃。

成長を感じる
職場のある東広島に義理の妹が転職した。ということでランチをしようと食べに行ったが、大人になったなとうれしく思ったものだ。前向き発言をするようになった。そして自分ときちんと向き合い、誠実に一生懸命、かつ感謝の気持ちが聞けた。まだ知り合った頃は高校生であり、幼い子供であった。こうすればいいのに思うこともしばしばあったが、なぜこれをしないとすべきなのか、過去を紐解いてみた。遠回りだったかもしれないが、新しい人生を切り開いて行ける気がした。しっかり頑張るんだぞ!そんな思いでエールを送った。今はいいが、これからいろいろあるが、初心忘るべからず。それでもいいランチ時間でよかったなと思う所感。

改正道交法にて
自転車走行中の携帯電話使用、いわゆる「ながら運転」と酒気帯び運転に罰則を新設。これが今月からである。携帯電話が普及は事故の増発を生んでいる模様。罰則も厳しくなっているようであるが、これは本当に危ないので、罰則強化はいいのではないかと思う。そもそも何かをしながら何かをやるという二刀流は集中力にも欠ける。まあその二刀流は日常生活でもすることはある。勉強しながら音楽を聴く。パソコンで事務作業しながら電話する・・・・。しかし、していいものと悪いものがあるわけで、罰則ばかり強化というのは好きではないが、本件に関しては大賛成。

良くも悪くも「ここ」にある
卒業してからも図書館が使えたり、萬來舍を利用できたりとありがたいものである。この2つは特に重宝される。図書館利用は特にありがたい。やはり蔵書も違うし、勝手もわかる。とても便利。萬來舍は塾員と教職員だけが使えるので、特別感もある。それ以上に話がしやすく、落ち着いたサロン。お酒も飲める。こんないい場所が広島にも欲しいもので、ないのよね。そういう場所。東京にいれば、よく使っているような気がする。大学キャンパスの中にこのような素晴らしい施設があるというのは、本当にありがたい。環境も人を作るような気がする。

年々交際域も狭まるのか
僕自身、友達という類は非常に少ない方である。さらに50代になると、交友も少なくなると聞く。確かに日常が忙しいので、それどころではない。また時間が空くと人は会いにくい。そう考えるとだんだん人づきあい自体が減ってしまう。だけどもそれが寂しいのかと言われればそうでもない。自分で少しは楽しめることもあるし、人ばかりといると疲れるので、それはそれでと思うもの。やはり人付き合いはあまりよい方ではないんだろうなと。そう友達と言えども、本当の意味で気軽に付き合えるのは少ないかもしれない。なんか絞られてきつつあるなと感じるし、もう人付き合いを広げていこうとも思わない。年齢がそうさせるのかとも思ったりと考えるもの。そうやって人は老いていき、思い出に浸るのかとふと思うものだ。