岸保宏

張り詰めるので

日常をぶちこわせ!

このシーズンは最悪である。とにかく忙しい。ずっと張り詰めた感じがある。しかし、学術論文を出すと、学校の先生は閑散期にあたるので、ここぞとばかりタスクが重なる。そんなこともあるが、どうも気持ちが持たないので、違う場所へ。今回は湯田へ。岡山がどうしても講義となるので、西側に行くことが少なくなった。西側もたまにはいい。写真はザビエル記念聖堂。知らなかったが、1991年に火災で焼失したようだ。だから昔見た建物ではなかった。子供といると、再学習のプログラムである。学びもままた得られる。いい気分転換となった。あと2週間。あと2週間である。

春爛漫

3月突入!

早いものでもう3月、会計事務所の仕事はあと半月が忙しいが、それ以上に僕の頭にあるものもあり、なかなか整理がつかない。もう少しゆったりと生きたいと思うのだが、そうはさせてくれない。年始からすごく忙しく、自分に余裕がない。桜が咲くころには気分爽快になるといいな~。今年は思ったより寒くならなかったというのが印象。春はもうすぐ。3月戦線も頑張っていきましょう。

学者の作法

久々の査読論文投稿

学会嫌いの僕は、学会に論文を投稿するというのはもうないかもしれないと思っていた。理由あってしているわけだが、コメントが返ってきた。結構厳しいかなと思っている次第。農大で博士号をいただいてから初になるが、ある程度整っているのではと思っていただけに、う~んと思うところもあるが、これは言っても仕方ない。直すしかない。学会の査読には、読み手が匿名であることやそもそも読み手が読解する学力があるのかどうかを疑わしく思っており、僕はフェアな場ではないと思っている。だから好まないわけだが、その場にはその場の文法があるので、そこは守らないと進まないわけで・・・・。学者にも作法がというところですな。

一息つこう

ジビエで乾杯!

やっぱり疲れている。キャパオーバーである。気分展開の仕方は非常に考えているが、どうもうまくやれていないような気がする。だからぐっと気持ち沈む。困ったものです。ありがたいことだが、こういうときには新しい仕事が来るもので、それも頑張らないと思うものだ。最近、少し息抜きで飲んでも近くでしか飲まない。馬鹿話をして、すっと帰る。そういうのも必要だが、何かもう少しと思うもの。美味い物でも食べて、明日から頑張る源を作る。・・・・、仕事に戻ろう。

人を呼ぶ「チカラ」

鉄道は人を呼び込む

普段なら伊豆方面を走るロイヤルエクスプレスが瀬戸内海を走るということで、息子の希望で見に行った。多くの人が入場券を買ってホームへ入り、集っている。関心のない僕でさえも写真をパシャリパシャリととったわけだが、どこでこういった情報を得て、人は動くのか。そんなことを思ったものだ。序者すると、かなり高額であるようだが、好きな人はその電車にお金を払って乗るわけだ。経済効果もある。伊豆方面に行きたくてもいけない人もいるだろうし、瀬戸内海を走ることがないので、是非、こちらでと思う人もいるんだから、こうした交流もいいと思える。そんなこんなで鉄道どころではない日常なのに、こうして僕も動かざる得ない週末となった。

現実逃避

違う場所へ

正直、忙しくて自分自身の心の整頓が難しい。物事が片付かない。故に余裕がない。2週間前はほんとかなり追い詰められていた。一時期は越したが、それでもこの時期、毎年こんな人生を送るのが幸せなのか、考えてしまう。仕事があるだけいいと思うのか、心も持ちようとところはあるが、なかなかそういう心の落ち方をしないものだ。なので、少し遠くへ、誰も知った人の会わない場所へ出かけて、リセットする。経営者が他のエリアで飲み食いするのもわかる気がする。週末には中州に行くなど同じことをするにしても、気持ちが異なる。僕もこんな心境である。今は目の前のタスクと向き合うしかないが、残りの人生を考えて、ほんとこれでいいのかなと思う次第。

文字を書くこと

言論ーどう変容するか

今日の日本農業新聞、内田樹さんの記事は非常に灌漑深いものであった。文字を打つ時代になり、言葉、すなわち言論が変わっていく様を指摘している。中でも「文字を書く速度と思考の速度が同期していれば、その人の情理が行間ににじみでる。身体を使って文字を書くことの「味」はそこに存在する」という一文は訴えてくるものがある。確かにパソコンやスマホでの文字打ちは定型化するような気がする。思考そのものを排除しているかもしれない。国語力をどう鍛え、蓄積し、能動的に発信できるように素養するか。言葉の重要性を再々度考えさせるいいな用の記事であった。

 

親父の誕生日

亡き父

とんと父親とは反りが合わなかったが、今日は亡き父の誕生日である。生きていれば、74回目である。性格など合わなかったが、さすがに死んだのは早かったように思う。いろいろ思うこともあるが、死人に口なしである。2月16日と言えば、確定申告のスタートである。長らく税務署でお世話になった親父からすれば、また思うこともあろう、そして現役時代は所得税が専門となれば、誕生日=開始のゴングであるし・・・。まあ今日はそんな1日である。1日くらいは親父のことを思う出すこともいいのではないかと思う雑感である。

学級閉鎖

猛威を振るう

次女のクラスに続き、長女のクラスも学級閉鎖となった。どうも風邪が流行っているらしい。インフルもあるだろうが、コロナもあるんだろうなと予想する。それにしても、僕らのときはそのような記憶もない。まあ困ったものです。今の時期、僕は繁忙期のため、風邪などひいている余裕もないし、ひいても出勤。誰かの代わりがいるわけもない。大手とは違う、そう考えると、代替の効く公務員はやはり恵まれている。あれこれ言っても仕方ないけど、早く収まってほしいなと思う今日この頃。

15歳の選択

ああしておけばと思うものだ

明らかに自分の人生を振り返ってみても、高校での受験失敗が尾を引いている。未だにそれを払しょくできない。できれば、大学へ行くよりも高校に再入学して、自分にケジメをつけたいと思うものだ。それを引きずりながら生きるような人生を子供たちには負わせたくないとは思っている。この前、読んだ放送大学の学生の記事から放送大学のことが気になって仕方ない。その記事は放送大学で夢を叶えようとする学生のもので、彼のようにそれを追ってみたいと思うものだ。放送大学のHPを見ると、15歳から学べるようになっていて、一定の単位を取れば、4大への学籍を持ち、卒業までできるようだ。つまり、高校に行く必要もなかったと考えると、放送大学にお世話になって生きるのもよかったのではないかと思う。術を知らなかった、無知であった。そもそも団体行動、集団行動を苦手とする自分とすれば、最良の選択であったのではないかと思うのに・・・。今更、言っても仕方ない。やり直せるなら、中学生からいつも人生はやり直したいと思うが、そうはかなわないから人生なのである。今が大切。大学にはたくさん行かせてもらったが、放送大学はいい大学だなと思うんだな。これから進学者は増えるだろう、社会的価値が高いと僕個人は思う。