右脳

坊ちゃんを読み直す

坊ちゃんから学ぶ

漱石を少しずつ読み直している。今回は坊ちゃん。言わずと知れた作品だが、1週間から10日で書かれたと言われる小説であるが、素直に坊ちゃんの成長小説として読めばいいと思うが、それでもなお深く考えるのは、清の存在、死というものから人生を考えるというか、その人が死んでも、受け継がれるもの(人)の中で生きるんだという命題を与えられているような気がする。そして、教壇に立つようになってから、教師の正義感とか思うこともある。漱石はやはり面白い。もう一度読み直そうと思っているが、なかなかうまく時間がコントロールできない。できるなら、少しサバティカルのような休息が欲しいなと思う今日この頃。

 

20年後の今

リスタート2022

久しぶりに論文を起こしている。この2,3年は少し論文を残していこうと思っているが、僕の研究キーワードのひとつ、集落営農法人について何本かまとめようと思っている。平成13、14年ごろに積極的な集落営農の法人化を政策的に進めたが、それから20年が経過した今、集落営農法人はどうなってるのか、学術的にも実務的にも興味深い。持続的な地域保全の道はどこにあるのか、深堀しながら考えてみたいと思う。ヒアリングもたまには必要だと思うが、理論にしっかりよせて脱稿したいと思っているが・・・。

野分を読み直す

白井道也は文学者である。

白井道也は文学者であるという有名な書き出しで始まる「野分」。漱石が新聞小説家としてデビューする前の最後の作品。漱石から何か生きるヒントというか、この混沌とした今を打破する糸口を探せないかと思っている。野分を読み直して、教壇に立つようになった今、感じるものが多い。教師はお金儲けでやる職業でないし、お金儲けをするには商人であるということも書かれているが、当時、学者というものが崇高な存在であることも見て取れ、今のサラリーマン化した学者像とは全く違う。言葉に魂があるというか、勉強になることが多い。野分は漱石の中でもマイナー小説だと思うが、一読してほしいなと思う小説の一つ。

 

二百十日を読み直す

剛直な言葉

とかく漱石が気になる。何かハッとする。二百十日は会話で成り立っている短編であるが、言葉が強めのものが目立つ。漱石は世紀末という100年を単位とした思想の中で、小説を読み解くことは重要な要素と思うが、一番、最後の文章、「二人の~百年の不平~を吐き出している」という一説があるが、ああここにも百年というワードが使われていることに改めて気づいたことである。こんなに二百十日の小説の言葉があらあらしく表現されているというのも、草枕からつながるじ「情」の世界と思える。もう少し文学に浸る時間が欲しい、心に余裕がないのかもしれない。

 

草枕を読み直す

非人情の世界

何となく草枕が読み直したくなって、読んでみた。「山路を登りながら、こう考えた」と始まるあの小説である。漱石を読めば、社会がわかるという人もいるが、何となく漱石の言葉から今の僕が抱えている諸問題を打破できるのではないかと思い、何故か草枕から読み直すことにした。旅の宿であった女性を通して、芸術や思想、哲学、文明というものが見えてくるのだが、西洋化への格闘がつぶさに読めてくるわけで、国家権力との向き合い方、思想というのがあらわになっている。感染症の時代になっている今、自分自身でコントロールが何かと難しくなっており、ぐっと考えることが多くなっている。少しずつだが、漱石と再度、向き合ってみようと思っている。何かわかってくるものがあるだろうか。

 

お金と文学

経済学者VS文学者

かつて漱石を勉強していた時に、お金と文学という形でまとめたいなと思うことがあった。研究書として、ああ、さすがと思ったものはこの本。冒頭にちらっと書いてあるが、たまたま見つけて写真の本を読んでみた。僕の関心をひいたのは、信用創造という経済学のワードから見る、文学の読みというのは面白いなと思う。お金によって人の心が動く、そして生活がかわる、社会が変わる。漱石で言えば、なんといっても、道草を読むとお金の問題と向き合うことになるが、この書籍でも多く取り上げられている。非常に読みやすく面白いと思うので、是非読んでみてほしいなと思う。

 

来年も岡山 

会計学入門

来年も岡山で会計学入門の講義を持たせていただくことになった。広島からの非常勤なので、今年でお役御免かと思っていたが、来年もということで受け持たせていただく。シラバスも入稿を今しがたしたところだ。今年と同様に同じテキストを採用する。いろいろ会計学入門系の教科書は見たけれど、これに勝るものが見当たらない。なかなかねちこいプログラムで書かれているが、やはり習熟のためには仕方ないのではないかと思う。簡単だと思う学生もちらほらいるが、大部分はこのレベルを標準としていた方がいいように思う。どこのレベルで合わせるか難しいが、補足でそれなりには会計を学べるようにはしているつもりなので、そこは学生も安心してほしい。まだ今年の講義は終わっていないが、テキストは十二分に終えることができる。これだけやるだけでもこの知識から応用はきくと思うので、2022年はさらにバージョンアップさせたいと思う。

 

肥料代の記事から

コストの低減事例

今日の日本農業新聞を読んで、さっそくのぞいてみた。僕の目はやはり会計に目がいき、栽培の方ではない。肥料代が下がれば、原価が下がる、利益が増えるといったところであるが、今回のシステムは、①購入先の見直し、②土づくり、③施肥量削減、の三分野でのコスト削減の事例、試算が示されている。こういったものは、実際、よくよく知りたいと思うことだが、なかなか調査ができるところでないと、試算が難しい。農家の皆さんが活用すればいいのになと思うもので、やはり会計屋さんで自分はあるのかなと思うところである。

 

子どもとの農業体験

落花生を掘る

お誘いを受けて、落花生の収穫体験へ。落花生をそもそも広島地方では栽培している農家も少なく、レアな体験と思う。今回は東広島市のイベントも協賛されたもので寄らせていただきましたが、農業体験の中では非常に面白いなと思うものであった。土の中にこんなに落花生が育っているのかという発見もあるし、どうも落花生栽培は手があまりかからない(→他と比べて)ようだし、新たなる地検も得た気がする。産地化を目指して営農されているようだが、これは可能性のある農作物のような気がする。子供らにとってもいい経験になっただろうと思う。

終わり始まり

1年続いたラジオ

コロナで何かを変えよう、何かを始めようとして、新たに集まった4人で始まった農業を発信するラジオ。FM東広島から広島FMへ局は移り、ラジオ+YouTubeの形態も変えながら、この9月でフィナーレとなった。個人的にはもう少し反響が欲しかったとも思っているが、ひとまず一回、区切りにしようということになった。廣島農人の活動はこれからも続いていくわけだが、スクール事業など展開を考えている。一つの発信源、一つのスピーカーがなくなるのは寂しい気持ちもあるが、またどこかでかかわっていければと思う。僕にとってもラジオは初挑戦だっただけに、いい経験をさせていただいた。みんな関係者に感謝である。