そろそろ日本語学校にも
昔、取得した日本語教師の資格が役に立つような立たないようなというか、三原日本語学校には僕も籍がある。計画通り入学されて、学生も増えてきた。そろそろ教壇にとも思うが、なかなか時間も取れない。来年から制度が変わり、日本語教師も国家資格となるので、どうも一部試験を受けないといけないようだ。ちょうど過渡期にもなる。日本という国家があまりにも今、ひどいので、どこかで海外へと本気で思うとき、日本語教師は武器にはならないかと思うのだ。過去にやったことが活かされるかもしれない。そう人生には無駄はないのだとしみじみ思う今日の訪問。
リアルに迫ってくる年齢
昔読んだ本を引っ張り出して再読した。榊原正幸先生の書籍は結構、読んでいる。青山学院で教授を長らくされたようだが、早めにリタイアしている模様。そもそも経済的自立と早期退職でライフを充実されることを実践されている。この本で紹介されている世の中の仕事は3種類に分けられ、①好きな仕事、②イヤじゃない仕事、③イヤな仕事であるといい、できるだけ40歳から45歳までに②にということを推奨している。その上で「お金の事由」を獲得して、一生困らない資産を築く。投資を通じて、その資産形成をし、好きなことをして生きるのだと。なかなかそう思いながら、それが達成はできるかどうかはわからないかもしれないが、将来へ向けたファイナンシャルプランニングもしっかり考える必要はある。株式投資、NISA、IDECO、金、不動産・・・・。各種いろいろ選択肢はあるが、どこに根を張り、継続するのか。僕も60歳まではあと13年であるが、生き方もどうなんだろうと思うことは増えてきた。果たして答えは・・・風に吹かれているのか。
会計の重要性を考えよう!
会計を教えている、会計の仕事をしている。そういうバックグラウンドはあるが、どうも経営者の会計軽視の姿勢が目につく。日常が忙しい、営業が忙しいというが、稲盛さんではないが、「会計がわからんで、経営ができるか」というのはないだろうか。コロナが明け、補助金なども支援がなくなっている今、コロナで融資も増え、銀行も回収に入っており、企業の姿勢や態度を見ているように思う。「まあ、何とかなるだろう」、「何とかしてくれるだろう」と安易に思う。お花畑思考である。もう黄色信号から赤信号になっている。企業側も真剣に会計を見て、経営再建する。それでももう銀行もダメと判断すれば、倒産へ向かわせるだろう。売上UP、販路開拓の素敵なお話を聞くのもいいことだが、足元の点検、会計をきちんと構築する。企業の地味な構造改革こそ、未来につながるのではないかと思うのだが・・・。結局、会計を重要と考えていないのが起因であろう。
いざ出陣!
学会はほんと好きではない。いろいろ議論で言われることはいいのだが、差別と区別というのを味わってから、学会は好きではない。そして何より読めばわかる。読んでわからなければだめだと思うので、そもそも学会は不用論者である。しかし、査読というのものが重宝される。これがネックとなり、たまにはいう運びになるのである。さて愚痴ばかり言ってられないので、進撃!、僕の理想の報告は、①誰も寝ない、②質問が出ない(素晴らしい!と言われる一言で終わる)、③時間内に終わる、これである。③だけは達成できた。タイムキーパーの人には、「先生だけですよ、時間できっちりされたのは」と褒められた。みんな時間を守っていないようだ。昔、○○大学の○○教授に「1分早く終わった」とこっぴどく指摘された。のちの報告では、時間超過した人がいたが、◇◇大学の◇◇教授の報告となると何も言わずである。ここの文法は地位だけしかないんだなと悟ったが、時間内に終えないと、質問も本来はしてはいけないのである。僕は1分くらいの誤差程度しかたぶんでない。ただ20分と決められれば、鮮やかに時間内で終える。コンプリートでいたいものだと思いつつ・・・。結果的に今回はまあまあということだろうか。
喧嘩をしても仕方ないが、納得は行かない
久し振りに学会報告をすることになった。今秋に迫り、何かと忙しくなってきたが、報告プリントの件である。どうも僕がプリントを用意しないといけないそうだ。参加費を3000円徴収し、なぜ僕が用意しないといけないのか。お茶、お菓子とかあるが、まさに無駄。勉強をしに来ているんだから、ここが優先の経費ではないかと思うのが僕である。一応、会計学者のおしくれとしては、お金の動きは気になるところである。何に使えば、こういうことになるのか。主催校のお世話役の方々の謝礼金があるのは当然だろうが、それは準備を含めてのものである。常識の違いが見て取れる。だから学会は嫌いなのである。
農地を巡る制度史
やはり歴史を知るというところからは逃げられない。それだけの地脈があるもので、こういうものを読めばわかることは多い。なぜならば。今あることが突飛に出てくる話ではなく、その延長線上にあるからである。どうもこの前から、「農業者」、「農地」という観点が気になって仕方がない。いろいろ読むが、当座、これが一番詳しそうだ。部分的に読んだものなので、流れに沿って少し読んで見ようと。ただ太い本なので、読破には時間を要するが・・・。ただ研究者が読む本と言える。
時系列な俯瞰
農業者をどうとらまえるか、農地を巡る制度、ここが農業を考察するにあたり、重要な要素である。改めて読んで見たが、大変勉強になった。特に今、平成5年の農政の局面のところに着目して研究しているので、やはり流れを把握すると、農政の動きから見えてくるものもある。そこは論文に落としたいと思う。それにしても、農地法たるものはどこかで学ぶ機会がないだろうかと思うものだ。できれば、農学系より法学系で。そこは何故かといえば、法律を読む所作の点検と新たな知見を得るような気がしてならないからである。意外に自分が学ぼうとするものは、出くわさないというのもある。だから「研究」なんだろうかと思いつつ・・・・。
意味があるのか
インボイスは離農を促進する作用になる。農業の所得向上からも遠くなる。インボイスは事業者の負担も大きく、本制度はほんとにいただけない。複数税率を辞めて、10パーセント統一、帳簿保存方式で事務負担も減り、税収も上がる。簡素な税制を望む。委託にすれば、収入の確保はさらに少なくなるわけで、本末転倒。産業育成が経済を回す。インボイス制度は廃止すべきと思う。別のやり方もないのだろうか。
初参戦!
学会嫌いの僕が意を決して出陣、島根大学へ。幽霊会員であるが、やっとオンラインから脱却したようだから、向学のために参加した。税法の学会なので、作法がまた違う。法学は判例である。違う頭を使いながら、こうかなああかなと聞いたものだが、何分、素人の域を越していない。そう思いながら聞いたものだ。それにしても国公立大学は予算の関係もあるのだろうが、暑い!。クーラーが効いていない。ほんと汗をダラダラ流して、参加しないといけないというのもどうかと思う。私大がやはりいいなと思うものだ。やはり学会は苦手な場である。新しい人と会うのは、とかく疲れるもの。ほとんどしゃべらず、会場を後にする。意外と人見知りなのである。
分かったようで分かっていない
論文執筆中。博士号を取得してから、数年経過したが、やはり論文の精度は高まった気はしていない。人のを読めば、どうのこうのと思うが、自分のことになると、どうも盲目的なのか、甘いのかと思うことはしばしばである。論文を書くことは好きなことだが、気持ちの乗り方がどうかというのもあって、気乗りすればとことんだし、気乗りしなければ、手付かずになるしと。どう動いても大変である。論文とは何ぞやということをまたスパイラルのように、考えてしまう時間が増えた。やはり山を一度上っても、また山が出現したようなもの。終わりのない旅ということなのか・・・。