最後の最後まで
20日までの最後の校正、すなわち微調整に時間を割く。今、ちょうど仕事も忙しい時期であるが、そんなことは言ってられない。とにかく最後の最後まで誤字脱字を含めて直していかなければならない。何度も見ても、何度もミスがある。人間は完ぺきではないが、それでもやはりミスはあるものである。修士のときに言われたことである。「神は細部に宿る」。今、この言葉を嚙みしめて最後の最後までやり抜きたいと思う。
20日までの最後の校正、すなわち微調整に時間を割く。今、ちょうど仕事も忙しい時期であるが、そんなことは言ってられない。とにかく最後の最後まで誤字脱字を含めて直していかなければならない。何度も見ても、何度もミスがある。人間は完ぺきではないが、それでもやはりミスはあるものである。修士のときに言われたことである。「神は細部に宿る」。今、この言葉を嚙みしめて最後の最後までやり抜きたいと思う。
2つ目のドクター取得が目の前である。これから最終諮問。思えばいろいろあったが、こんなに充実した、幸せな研究時間はなかった。楽しいがほとんど。苦しいと思うことはほぼなかったのだ。詳しくはまたにしても、最善を尽くしたいと思う。今日は亡き父の誕生日。因縁を感じる。農大の時は亡くなった歳であった。墓参りに何故か足が進んだ。さあ堂々と最終決戦に向かうこととする。
先日の日本農業新聞で、農業の育成就労にあたり、日本語教育を100時間の受講といったような記事を見た。そろそろ農業系を中心としたものから、次のステージを選択するにあたり、「日本語教育」へ向かう矢先である。こう繋がってくるんだと不思議な感覚である。自分の持つ能力がどう活かされるか、わからないもんだなと思いながら人生再考。
総務省が1月末に公表した2024年の人口移動報告で、47都道府県のうち「転出超過」が最も多かったのは広島県だった。その数は1万人を超え、4年連続で全国最多となった模様。住んでいて思うが、発展しているとは思えない。排他的な都市なので、外からの人は住みにくいだろう。若い人を考えてみる。政令指定市の割に大企業が少ないように思う。すなわち、就職の選択が少ない。次に交通アクセス。飛行機の利用は市内からかなり遠いので、移動の困難性。そしてテーマパークなどがないので、若い人の遊ぶ場所がないなど、あまりいい条件がない。カープはいるとしても、東京でも見れるとなると、住んでまでという話にはならないしと。まちづくりに真剣に広島県が取り組んできたと思えない。政治の失策が出ているように思う現実である。
会計人のネットニュースで、18歳最年少で税理士試験を突破という記事を読んだ。高校ではなく、専修学校を選択したようだが、こういう選択もありだなと正直感じた。高校に行かずとも選手学校卒で大学は受験できるし、敢えて普通科の高校に行くより学びもあるかもしれない。今、もし高校入学時期の年に戻れて、今の社会で選択できるのなら、N高校に進学すると思う。これが一番楽しめたのではないかと思うし、団体行動の苦手な僕にはもってこいである。今の時代の方が選択肢は多い。専修学校という選択は当時知らないかったし、会計にも全くであったが、こういう資格直結型も面白い気もする。若ければその分、吸収も早いし。しかしながら18歳であっぱれ。素晴らしい。いい記事を読ませてもらった。
この時期は毎年、職業柄、忙しい。たとえば、さっぽろ雪まつりとか、この時期しかないので、来年は夏が忙しくて、冬が暇とかそんなローテーションがあるとうれしいが、そうにはならない。ブツブツ言っても始まらないので、一個一個仕上げるしかない。結局はコツコツなのである。忙しい時期はランチタイムが楽しみである。気分転換になるから。今日はおそばを食べに行ってみた。なかなか美味でしたな・・・。さて仕事再開・・・、仕方ない。
来年から日本語教師をやるので、学校へ打ち合わせに。どうも中級クラスになりそう。僕の要望は語用論、とりわけ日本語文法がいいなという話をして、大学へ進学したい学生で中級を見ることになりそう。たまたま学校に行ったときに、ミャンマーの学生が大学受験をするらしく、少し話をしたが、超前向き。いいね、若い力で未来を切り拓いてほしい。そういうお手伝いができるのならこの上ない。大学はすべて授業はなくなるが、語学学校は自分の幅を広げると思っている。僕の領域が拡張する。若い頃の「あれこれ」のサインプレーが始まる。そんな思いがした打ち合わせ。
研究者でもできるだけ分野の違う人に会うようにしている。灯台下暗しのところはあるし、気づきがある。この前、雑談の中で「こととする」という文体が僕は多く「~~する」)と直されると話をすると、不必要なものを削るべきと。英語の先生なので、それは「REDUNDANT」というらしい。なるほどと思いながら、この文章の癖は直さないと思うのは、その文に自信がないように思われるという。とすると、僕が意図していないものが相手に伝わるので、これはよくない。気づきは多いね、今更ながら。
農地相続たるものを少し調べようと思って見つけた本である。これから読むので内容はまだ何とも言えないが、目次を見る限り、興味深い感想である。はじがきやあとがきを読んで見ると、苦学を強いられたようである。勉強したいと思っても、勉強できる幸せというのはなかなか感じにくい。なので、努力してこうした成果を世の中に出せて、出されて時間は経過しているが、少なくとも僕には役に立ちそうなので、やはり貢献度は高い。昔の人である。自分の住所を書籍に書いてある。やはり評価を求めているのかとも思うが、僕が何かの論文で書くことがあり、引用したらそれを見てほしいと思う。
立命館出身だけに楽しみに読んで見たが、期待倒れ。何ら立命館がすごいというようにとらえられない。まずもっても、立命館の歴史が全く書かれていない。すなわち、今に至るまでどのように学校が発展してきたのかを知ることで、今が描き出されるはずである。確かに立命館が広域に活躍している大学であることは認めるが、この本によって、立命館はマイナス評価である。書いた本人は文庫にしては厚みのあるものになっているので、自信満々かもしれないが、内容がない。立命館そのものの学力を問われる。そんなこんなでこの本は残念であり、今年読んだ本の中でワーストNO.1である。
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