ここは踏ん張り時
年末年始にかけて、論文を2本提出する予定である。手直し等を含め、大詰めである。なにせ年末だから、何かと忙しいし、電話、メール、来客等・・・・。重なるときは重なるものである。しかし、どうしても論文は出さないといけない。研究者の端くれとしては、論文を出してなんぼである。いい悪いというのもあるが、一区切りして、前に進む。その繰り返しである。今回、だいぶ煮詰まってきた感じもあり、今後、まとまってくるのではないかという期待感もある。それだけに一歩一歩進むしかないと思うし、ここは踏ん張り時だと思う。頑張った自分しか助けてくれない!
今更ながら
わかっているようで、わかっていない。今年は論文について、そんな学びを得た。相手に伝える方法というか、どういう切り口で論理を展開していくのか、当たり前のことが出来ているようで出来ていなかった。最初の入り口というか切り込み方が悪い。着眼点もある。そんなことを考えると、改めて気づくことが多かった。学術研究というのもしんどいものだが、何か越えたいと思いながら頑張っているのが現状である。まあ博士取ったからといって、安住できないな・・・。また文献にもまれて、近づいてきた期限と戦わないといけない。まあいろいろ考えるな・・・。
論ずる内容
農業会計学を一応、専門としているが、より深く考えてみると、僕の中での「農業会計学」というのは結論がついたのではないかと思う。改めて何を論ずることが今のところ、ないのではないか。つまり、関心や興味ということもあるが、ひとまず博士論文で仕上げたことが今なお、僕にとっての「農業会計学」ということでおさまりがつく。完成度が高いというほどではないが、確かにこうだと自分でも思えるので、それでいいのではないか。そのときに次のステージにうつることになるだろうし、劇的に状況がかわらない限り、今現在は現在完了ということになろうか。やり切ったという感じでもないが、やり切ったと言えるのかもしれないなと今更ながら思った日々雑感。
いざ出陣!
学会はほんと好きではない。いろいろ議論で言われることはいいのだが、差別と区別というのを味わってから、学会は好きではない。そして何より読めばわかる。読んでわからなければだめだと思うので、そもそも学会は不用論者である。しかし、査読というのものが重宝される。これがネックとなり、たまにはいう運びになるのである。さて愚痴ばかり言ってられないので、進撃!、僕の理想の報告は、①誰も寝ない、②質問が出ない(素晴らしい!と言われる一言で終わる)、③時間内に終わる、これである。③だけは達成できた。タイムキーパーの人には、「先生だけですよ、時間できっちりされたのは」と褒められた。みんな時間を守っていないようだ。昔、○○大学の○○教授に「1分早く終わった」とこっぴどく指摘された。のちの報告では、時間超過した人がいたが、◇◇大学の◇◇教授の報告となると何も言わずである。ここの文法は地位だけしかないんだなと悟ったが、時間内に終えないと、質問も本来はしてはいけないのである。僕は1分くらいの誤差程度しかたぶんでない。ただ20分と決められれば、鮮やかに時間内で終える。コンプリートでいたいものだと思いつつ・・・。結果的に今回はまあまあということだろうか。
喧嘩をしても仕方ないが、納得は行かない
久し振りに学会報告をすることになった。今秋に迫り、何かと忙しくなってきたが、報告プリントの件である。どうも僕がプリントを用意しないといけないそうだ。参加費を3000円徴収し、なぜ僕が用意しないといけないのか。お茶、お菓子とかあるが、まさに無駄。勉強をしに来ているんだから、ここが優先の経費ではないかと思うのが僕である。一応、会計学者のおしくれとしては、お金の動きは気になるところである。何に使えば、こういうことになるのか。主催校のお世話役の方々の謝礼金があるのは当然だろうが、それは準備を含めてのものである。常識の違いが見て取れる。だから学会は嫌いなのである。
農地を巡る制度史
やはり歴史を知るというところからは逃げられない。それだけの地脈があるもので、こういうものを読めばわかることは多い。なぜならば。今あることが突飛に出てくる話ではなく、その延長線上にあるからである。どうもこの前から、「農業者」、「農地」という観点が気になって仕方がない。いろいろ読むが、当座、これが一番詳しそうだ。部分的に読んだものなので、流れに沿って少し読んで見ようと。ただ太い本なので、読破には時間を要するが・・・。ただ研究者が読む本と言える。
時系列な俯瞰
農業者をどうとらまえるか、農地を巡る制度、ここが農業を考察するにあたり、重要な要素である。改めて読んで見たが、大変勉強になった。特に今、平成5年の農政の局面のところに着目して研究しているので、やはり流れを把握すると、農政の動きから見えてくるものもある。そこは論文に落としたいと思う。それにしても、農地法たるものはどこかで学ぶ機会がないだろうかと思うものだ。できれば、農学系より法学系で。そこは何故かといえば、法律を読む所作の点検と新たな知見を得るような気がしてならないからである。意外に自分が学ぼうとするものは、出くわさないというのもある。だから「研究」なんだろうかと思いつつ・・・・。
初参戦!
学会嫌いの僕が意を決して出陣、島根大学へ。幽霊会員であるが、やっとオンラインから脱却したようだから、向学のために参加した。税法の学会なので、作法がまた違う。法学は判例である。違う頭を使いながら、こうかなああかなと聞いたものだが、何分、素人の域を越していない。そう思いながら聞いたものだ。それにしても国公立大学は予算の関係もあるのだろうが、暑い!。クーラーが効いていない。ほんと汗をダラダラ流して、参加しないといけないというのもどうかと思う。私大がやはりいいなと思うものだ。やはり学会は苦手な場である。新しい人と会うのは、とかく疲れるもの。ほとんどしゃべらず、会場を後にする。意外と人見知りなのである。
分かったようで分かっていない
論文執筆中。博士号を取得してから、数年経過したが、やはり論文の精度は高まった気はしていない。人のを読めば、どうのこうのと思うが、自分のことになると、どうも盲目的なのか、甘いのかと思うことはしばしばである。論文を書くことは好きなことだが、気持ちの乗り方がどうかというのもあって、気乗りすればとことんだし、気乗りしなければ、手付かずになるしと。どう動いても大変である。論文とは何ぞやということをまたスパイラルのように、考えてしまう時間が増えた。やはり山を一度上っても、また山が出現したようなもの。終わりのない旅ということなのか・・・。
場所を変える
僕の性格だが、場所をコロコロ変えないと勉強できない。A喫茶店、B図書館、自宅など動きながら自分を据えるというか、そんなところがある。今年はよく図書館を利用させてもらう。静かであるし、書籍もあるし、勉強しやすい。若い人が頑張っているのをみると、殊更、自分も思う。自分にとってはプラスしかない。これだけ物価高など社会情勢が悪化すると、ふらっと飲みに行こうというのも思わなくなってきており、随分、足が遠のいた。しかし、自分の涵養を深めるといったところは努力をすべきと思っており、この時間を大切にしていこうと殊更思うものである。図書館に行くのもだいぶ癖がついてきたので、生涯学習ではないが、利用させてもらおうと思っている。