
農大時代は書き忘れている
謝辞は書いても書かなくてもいいそうであるが、やはり書いた方がいいと思い、書いてみた。今回は忘れずに。謝辞は振り返るのにとてもいい。決して一人でできたわけではないので、いろんな人の助力に感謝すべきと思うからである。農大時代は正直、父親もなくなって、そんなことを考えている余裕なく、目の前にある課題をとにかく片付ける。そのことばかり考えていた。そんな時だからこそ、自分もよく踏ん張ったと思うもの。あのときも気持ちも添えた。印刷して、製本。そろそろクライマックスだな・・・。そろそろ春が来る。春には何かのスタートをと思う今日この頃。

春は近い!
来年度は「コンビニ会計」を一つテーマに勉強する。さすがにほっとしている場合でもない。なぜならば、やっぱり人より劣っている、すなわち劣等感が僕の身体にあるからで、休めば休むだけ人には離されるという意識が強く働く。秋くらいから少しずつ文献は集めてきたが、具体的にまだ何も書いていない。書くよりもまだ身体にしっかりはいっていない。もう少し入らないと書けない。なので、新チャレンジ!農業研究ばかりでは飽きるので、来年度の目標。さあ次へ。

ひと段落。
無事、2つ目の博士号取得!博士(商学)を授与の連絡が来ました。日本簿記学会賞を熊本学園で授与して、まさかここに自分が身を置くことになろうとは予想だにしなかった。あのときと比べて少しだけ成長して帰ってこれたと思います。まあ今回、「総代」にも選ばれて、名誉なことです。2年で博士を取ってくると自分の息子、娘に宣言して有言実行したので、子供の教育によかったと思っています。授与の余韻に浸っている場合ではない。ここでの成果は減価償却したので、次のヌーベルバーグに乗っていきたいなと思うところ。新たなるステージへ。

最後の最後まで
20日までの最後の校正、すなわち微調整に時間を割く。今、ちょうど仕事も忙しい時期であるが、そんなことは言ってられない。とにかく最後の最後まで誤字脱字を含めて直していかなければならない。何度も見ても、何度もミスがある。人間は完ぺきではないが、それでもやはりミスはあるものである。修士のときに言われたことである。「神は細部に宿る」。今、この言葉を嚙みしめて最後の最後までやり抜きたいと思う。

堂々と戦う。
2つ目のドクター取得が目の前である。これから最終諮問。思えばいろいろあったが、こんなに充実した、幸せな研究時間はなかった。楽しいがほとんど。苦しいと思うことはほぼなかったのだ。詳しくはまたにしても、最善を尽くしたいと思う。今日は亡き父の誕生日。因縁を感じる。農大の時は亡くなった歳であった。墓参りに何故か足が進んだ。さあ堂々と最終決戦に向かうこととする。

文章の癖
研究者でもできるだけ分野の違う人に会うようにしている。灯台下暗しのところはあるし、気づきがある。この前、雑談の中で「こととする」という文体が僕は多く「~~する」)と直されると話をすると、不必要なものを削るべきと。英語の先生なので、それは「REDUNDANT」というらしい。なるほどと思いながら、この文章の癖は直さないと思うのは、その文に自信がないように思われるという。とすると、僕が意図していないものが相手に伝わるので、これはよくない。気づきは多いね、今更ながら。

一人一人の物語
農地相続たるものを少し調べようと思って見つけた本である。これから読むので内容はまだ何とも言えないが、目次を見る限り、興味深い感想である。はじがきやあとがきを読んで見ると、苦学を強いられたようである。勉強したいと思っても、勉強できる幸せというのはなかなか感じにくい。なので、努力してこうした成果を世の中に出せて、出されて時間は経過しているが、少なくとも僕には役に立ちそうなので、やはり貢献度は高い。昔の人である。自分の住所を書籍に書いてある。やはり評価を求めているのかとも思うが、僕が何かの論文で書くことがあり、引用したらそれを見てほしいと思う。

ここは南国か、寒すぎる
お勉強、琉球大学へ。はじめて行った大学であるが、ここは遠い。バスで移動になるので、どうも沖縄は遠く感じる。今回、農学の目で確認したい点もあり、議論を重ねてた。この2週間、どうも体調を崩しているので、覇気がない。とにかく身体がだるいのである。熱もない。コロナでもない。インフルではない。今は咳が続き、体力を奪う。集中力も食欲もないとなると、重症である。そんな朦朧とした中でも、新たな知見も得た。学者としてもそろそろ終わりが見えてきた。次のステージへ進むか考え中であるが、僕のモットーはあまり固執しないことである。鮮やかに辞めることもいいのではないかと思うのだが、あれこれや考えて判断しようかなと。久しぶりの沖縄は勉強漬けで終わりました。

大学の存在意義
少しは大学に関わっている者として、少し寂しい記事を読んだ。定員割れ、学力低下、頼みは留学生・・・。まあ現実。今、教えている学校はまさにそうかもしれない。僕自身が大学の教壇にそう魅力を感じていない。むしろ立ちたいのは高校の教壇である。何故ならば、高校が最後の教育を受ける場になるのではないか。そもそも大学に行く意味はあるのかと自問自答するからである。たくさん行った人間としては、自分の涵養を高めることにあって、自分自身の問題として受け止めてはいるが、僕の意識と周りの意識は異なるだろうし、出来れば苦労せず、大過なく過ごしたいと思う者が多いのだろう。苦労は買ってまでするものではないと思うが、それでも苦労するのだから、これも人生と思うのだが・・・。思うに大学と冠する以上は大学であってほしいと思う。それが実現しないのであれば、大学と名乗ることを辞めさせたらどうだろう?生き方はたくさんあるんだし。そう思うが、やはり悲しい記事かな。

手掛かりになるかもしれない
今年は今年でしなければならないことも山積しているが、来年、一つ取り組もうと思うものがあって、ツラツラ考えた。心理学的な概念を述べる必要があるのではないかと思い、手掛かりがてら読書。この先生は習ったことがあると思う。そもそも心理学は興味のある分野ではあったが、フラッシュバックのように戻ってきた記憶。一般書で書かれてあるので、導入にはもってこいの書籍、タイトル通り、とってもわかる本である。僕の課題解決の活路になるかも。