それでも研究を続ける意義
農業会計研究に携わって、結構な時間が経った。僕の研究卒業記念に学会報告をして終わりをと考えていたが、そこから日本簿記学会の部会のお話をいただき、多くの研究者の方々とともに研究させていただいた。その内容は思いのほか、評価が高く、学会賞までいただくことになった。もう4年前の話である。力もないままに進んだ研究生活だが、改めてそれを思いなおすと以下のように解釈をしている。思いのほか、農業会計に深く向き合うようになったが、一定の成果を得る、残すことで、課題解決に向けた一歩を踏み出すという点で、僕の研究する責任があるような気がしている。正直なところ、農業よりも他の分野の方が得意であるし、他でやってみたいことはたくさんある。しかし、農業会計そのものを深く研究する人が少なくなっているのも事実である。そして会計の役割はさらに重要視させていくと思っている。その意味で、簿記という極めて地味なところから財務会計、管理会計と幅広く何らかのヒントを与えられる機会を創出できればと思う。それは不完全な段階でもいい。それに怖がらず、批判と共感を得ながら、学問の進歩があればいい。ひとまずは研究は楽しかったが、生産性を追われているので、しんどくなっている。それでももう少し研究を残す必要、そして意義があると思っている。
1951年発刊、現代の農業経営入門-その分析方法入門-、桑原正信、貝原基介著
それにしても古い書籍を手に入れた。1945年に終戦といえば、その6年後の本である。大槻先生の京大式農業簿記(1912年)からすると、こうした会計情報からどのような手がかりを得られるのかを知りたいと思うのは、当然の帰結かもしれない。やはりこの時期-もっと先もそうだが-は、個人農家を焦点としたものであり、経営と家計の分離といったところがフォーカスクェッションと思える。あまりにも書籍がぼろぼろすぎて、ページをめくるとやぶれそうだが、この時期の重要な資料ともいえる。桑原先生はその後、農業経営の分析の書籍を出されており、僕も何冊か持っている。何かいいヒントが得られないものかと思うものである。研究は孤独である。
地道な作業と行き詰まり
農業の管理会計に関する論文を書く算段になって、あれこれ文献をみているが、先行論文が少ない。結局、僕の生まれる前、約50年前に残された論文を手掛かりに考えているが、財務会計もそうだが、それ以上に管理会計はどこまでの領域でといったところが完全に分かっていない。ただ一つ、調べていてわかったことは農業の経営構造の変化が会計に反映し、変化がドミナントに推移したものになっていることがわかった。当たり前といえば当たり前だが、言葉に残していくことがやはり必要なのだ。もう少し調査してみるけど、研究の空白が大きいのはなぜだろうか?けん引した先生の影響だろうか?世の中に必要ではなかったのだろうか?見えるようで見えない・・・。
小保方さんの件で思うこと
元理研の小保方さんがホームペ-ジを立ち上げたそうだ。記事によると、STAP細胞の作成手順が説明されているとのこと。画像のような手順らしいが、門外漢なのでわからない。本件で思うことは、研究者の態度である。僕も感じていることだが、やはり弱きものはつぶすという風潮があるようでならない。応援しているようで、そうではないという流れはあるように思う。それは将来、自身の立場が脅かされるからである。研究者の誰かがやはり小保方さんを助けて欲しかった。今後の研究業界に進みたいと思う後輩のためにも。研究者ならば、徹底的に研究業績を残す。教育者なら後身を残すといったこと。僕はほとんどが後者であってほしい。STAP細胞の存在が明らかになれば、これは素晴らしい研究であり、社会に役立つものである。こういうことはなかなか難しい。それよりもどの業界に行っても、素晴らしい社会人を育てる教育者を作る世の中であってほしいものだ。弱きをつぶすことなく。お会いできる機会があるなら、お会いしたいものだ。これからの人のためにも僕は小保方さんを応援したい。研究をする同志としても。