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農業会計の論文があと少しというところまできている。もう少し補強をいうことで、論文を読んでいると、引用にあった書籍の中にある論文を読みたくて、とある書籍を購入した。購入すると、非売品と書いてあり、農業会計を研究していると、必ずや当た阿部亮耳先生の退官に際し、弟子の皆さんで編集した書籍であった。内容もさることながら、阿部亮耳先生の業績や人物像なども残されており、改めて知ることができた。もう亡くなられていると聞いたことがあるが、長い月日、農業会計に向き合っていたようである。そして、業績一覧もあり、これ読んでみたいと思うような論文も散見した。書籍を残すことで後世の研究者や読者にも目に触れることがあるかもしれない。そう思うと、僕の著書もどこかでこういう機会に恵まれるとうれしい。ただ書籍は思うように売れないものだ。現実も確かに厳しいが・・・。
| ライフデザインブックス 発売日 : 2017-12-24 |
研究の手引き
学術研究をするときに、こうした手引きのような書籍があると振り返ることができる。もう少し研究手法に関して、論文もきっちり書くべきだと言われることが多い。一応は書いているのだが、どうもそれでは足りないようだ。この本は会計学の論文を書く上で、役立つことが多い。僕はヒアリングを多用する傾向があるので、研究手法の穴を埋めるように考えいくためには、そばにおいて辞書のようにつかっていたい。こうした基本書やテキストの類は、出版関係があるのだろうが、やはり高額すぎる。いつでもみんなが汎用し、使っていけるためには価格を下げてほしいものだ。会計学をやるようになって、長い時間になったが、会計学そのものを多く学んだとは言えない。こうした基本的な理論を通じて、論文を作成するといったことを、今一度、学んでみたいと思う次第だ。どの分野でもこうした書籍はあると思う。学術研究にはやはり必要なのだ。
早稲田大学へ
定期的に早稲田大学には参るようにしている。お世話になっている川邉先生にお会いし、近況報告をし、懇親を深めている。研究もできて教育も素晴らしいとあって僕もほんといいご指導をいただいていると思っている。研究分野が違うが、やはり心構えや考え方は共感できるし、僕もそうだなと思うことは多い。早稲田大学は僕の一番大好きであこがれの学校である。ほんといい学校だなと外から見ていても思う。昔見た大隈講堂(きれいに改装にはなったけど)は、若い僕の脳裏に焼き付いている。ここで学べれば、幸せだったと思うが、それはかなわなかった。しかし、あこがれはあこがれだからいいのかもしれない。そう思うようにできるだけしている。今回はキャンパスを歩く時間がなかった。歩いていると落ち着いてくる。まあ川邉先生がたまたま早稲田であるけれど、こうした教えを請うことができるのは幸せなことである。また成長して早稲田に参りたい。
会計の本質
なかなかこの論は気に入っている。僕の関心がやはり財務会計と管理会計の統一、全一体的な会計として捉えるいうところにあるからだと思う。ここでは財務会計と管理会計はともに、計画・統制・決算の機能・過程をもち、両者が区分されている会計機能は全一体的なものであり、会計の基礎的な過程として考えることを主張している。この書籍に関する書評も読んだが、さておきやところでといった話題の転換をする接続言の多用や、変に難しく文章を書いているにもあって(本人の意識はないだろうが)、わかりにくいところは否めないが、それでもなお、この書籍に書かれているものは一読の価値はある。僕もこういうような視点で会計を考えているのもあり、共感も多くあった。立命館時代に会えればよかった。会計大学院の方では教鞭をとられていたが、社会人のコースであれば、受講したかったものだ。それを今頃、ようやくわかったのも、残念ではあるが、何かを残しておけば後世の人も知るきっかけになる。ぜひ、一読を勧める。
会計学とは何か
会計学の研究する上で、慶應の友岡賛教授の考え方には共感する。会計学の原理や本質を突き詰めようとしているし、他者に訴えかけてくるメッセージが伝わってくる。師にお会いしたこともないが、会計学をやっているんなら、ぜひご教授いただきた先生である。僕がまず共感できるところはそうした姿勢にもあるが、本来、財務会計と管理会計をわける必要があるんだろうかと常々思っていた。会計をひとつのテーブルに置き、どう向き合うのか。これを財務会計だの管理会計だのと分類することが不毛(もちろんいずれの意義もわかる)と考え、会計を突き詰めるべきと思っていたが、そうした考えに立脚しているように思う。師の書籍は会計を研究する上で、非常に役立っている。会計の研究も幅広いが、一度お目にかかりたいと思う次第だ。僕の農業会計論の決算も近い。いろいろ思うところもあるが、もう少し学者のようにじっくり研究時間が割くことができればこの上ないのだが・・・。言い訳になるが、ちょっとじっくり向き合ってみたいと思う今日この頃。
実務から理論へ接近?
農業の会計を実務から理論化するというか、どのように接近し、それを理論化した上で実務に立ち戻る。こうした往復的な行動ができないか考えてきたが、今頃思うことはそれをすればするほど、積分化する。つまり、実態から離れていくような気がしてならない。深く農業を見ていくと、当然に有用ではあるが、完全でもなく、完全とまではいかなくてもそれに近いところにたどり着くように思っていた。でも、僕の頭にあるものと目の前にある現実はどうも一致せず、足踏みしたような感じがある。もやっとしているのだ。自然が相手だというのは大きな要素としてあるのは間違いないが、それでももう少し精度が研ぎ澄まされないだろうかと思うことがしばしばある。真に農業法人の中に入って取り組んでみると、利益を出していこうとする企業型のスイッチを押しても、そのスイッチが空回りしているような時がある。会計は間違いなく必須。接近し、着陸する「地点」が僕とずれるのか?農業会計学は社会科学ではない、自然科学として存在しているというのが僕の持論。僕自身の総決算は近い。理論と実務の難しさはまだまだ解決はさせてくれない。
夜明けは近いのか
詰めになっているのか、それともひっくり返されるのか、正直、よくわからないが、形にはなってきたように思う。最後の最後に、こうなのかもしれないという自分なりの結論は出たが、それが第三者に評価されるかどうか。論文と言うのは書いた!脱稿と言う時は気分いいものだが、ひとたびそれを離れると、読み手の自由ということになる。この論文を最後に学術研究をやめようと考えている(た)。それだけの余裕がないのと、公正に評価される場所で、残りの人生を過ごしたいと思ったからだ。しかし、やっていると問題意識が研ぎ澄まされ、こんな論文をまとめようと思っていしまう。思うのはいいのだが、決定的に研究をするだけの余裕がなさすぎる。その点、研究者はうらやましいときが多い。僕もじっくり腰を据えてやってみたいと思う時もある。ただそういう環境になると、だらだらしているような気もする。結局は決められないのか・・・。いずれにせよ、僕なりの農業会計論を結集編として、もうひと踏ん張りして、爽やかなゴールテープを切りたい。今後はそのあとに考える。しかし、なかなかうまくいかないものだ・・・。
漸く手元に
熊本の震災のせいか、かなり長い時間を要した紀要。発行も2016年3月で。去年やったような・・・(引用を2017.3とずっと間違えていた)。今回のものは、農業(自然科学)と会計学(社会科学)の視点や立場の違いから、管理会計の問題を再考したもの。読み直してみると、言いこと書いてるねと自分自身でも思うことがあるし、また実務家からも評価をいただき、励みになりますね。研究はなかなかしんどいことですが、それでも一つずつ、日進月歩で進めていきたい。しょうもない人もいるのも事実だが、おかしいことはおかしいとはっきり言って、学術界にも言葉を残していきたい。
昔、言われたことの正解
研究者の資質はたくさんあると思うが、昔言われたことで確かだな思うことがある。「独身」であるという条件。哲学者の多くは、カント、デカルト、キルケゴ-ルなどなど、みんな独身で、やはり研究をするということは命がけである。孤独に耐え、文献を読み漁り、ペンを走らせる。これ、やっぱり必要なんじゃないかと思う。結婚が邪念とは言わない(僕も既婚者である)が、それだけ研究の世界は甘くない。それに没頭していかなければいけないということだ。思考することのつらさはやはりある気がする。絶対的な時間確保が少なくなるのも事実だろう。それは、1日24時間しかない、人間の現実。これを物語ってきている気がする。学術研究をすると、ふと思うことがある。過去の言葉が身にしみる。あのときは今、こうなるとは思っていなかった。でもそれは正解な気がしている。
中小企業の財務管理
大企業偏重の書籍が多い中、中小企業の財務管理に焦点をあてた一冊。大学で講義をいざしようと思った際に、中小企業向けのものがないということで執筆したそうだ。中身も、非常にかみ砕いて書いており、学生や会計実務者の初心者向けに役立つと思う。坂本先生の「会計で会社を強くする」という考え方は、大きくうなづける。会計が経営の根幹を為すわけだから、しっかりとした柱を作るべきだと思う。こうした考えの普及、会計軽視の経営者にはもう一度、立ち止まって考えてほしいなと思う。