新たな門出と寂しさ
人は環境を変えたいなと思うことはしばしばあるのではないか。僕も広島は大好きであるが、違う場所に移り住んで人生をやり直したいと思うことはよく思う。今は望みが叶うのなら東京に帰りたい。戦友が海外に就職すると連絡があった。出会ってからはたくさん助けてもらったし、気も合ったのでよく連絡もしていた。仕事的にはコロナも合ったりと苦しいことが多かったようだが、ほんと休みもなしでよく頑張ったと思う。一区切りついたこともあり、海外へ移住を模索していたが、彼の念願は叶った。しかし、一抹の寂しさはある。いくら多くの人と付き合っていても、そう気の合う人間は少ないものだ。そう思うと、旅立ちの応援と寂しさという心の渋滞はあるが、これも人生なんだろう。環境が変われば、また人生も変わってくるだろうと思う。
2024年上半期を振り返り
昨年の今頃から一人になる時間をできるだけ作るように、人とのかかわりを弱め、40代の棚卸をきちんとして、50代へジャンプアップしようとするライフスタイルを変えるようにした。しかし、これまでよりは一人になる時間が出来たように思うが、僕が望んでいるほどではない。荘子にある「淡交」。こんなことを思い出した。君子の付き合いは水のように淡泊なので、その友情は永続きするというところから、あっさりした交際のことを指すが、これくらいがちょうどいい加減ではないかと思う年頃なのかと思う。また若いころによく口にしていたことがあり、女優の原節子さんが一線の走っている際に、鎌倉に隠居し、忍びながら生きる。鎌倉好きな自分でもあるので、殊更彼女のような生き方にも憧れた。このこともよく話するようにもなった。節目というか、最近は、頭の中に張り巡らせるようになった。
上半期で感じたことは、本質をよりよく考える人は少ない。付和雷同。この傾向を感じることが多くなった。「淡交」をしなければならないんだなと。人の裏切りも多く、神髄をつけば、衝突する。裏を返せば、これを理解して向き合わなければ、排除の論理になる。こういう人間模様も得た。
それにしても、時の経過が早いなと思う所感。改めて「淡交」、生き方として必要と感じる今日この頃。
立命館時代の思い出
なかなか上京がままならず、谷口正和先生へのお礼が出来なかった。ようやく事務所へ参上することができた。コロナもあって、ご無沙汰していたが、生きたうちにもう一度お会いしたかったものだ。生前、あれだけお世話になりながら、恩返しもできず、これからこうご期待と言おう。まあそこまでにはなれないかもしれないが、もう少しもがいてみることにする。上京すると、あれやこれやあって時間が足りない。ほんと東京は過ごしやすい。ほんと引っ越して新たなスタートを切ろうかどうか考えるときもあるが、そういう風にはならないよね・・・。
函館にて
毎年、大学院のときにつくったグループでの旅行をする。別研という名前で2006年から。コロナで中断はあったものの、毎年のようにどこかへ行く。今年は「函館」である。1泊2日でずっといるといろんな話もするし、人間関係も濃くなる。酒をたらふく飲み、美味しいものを食べて、観光。素敵ではないか、こんな時間。とても贅沢に過ごすことができる。これだけでも立命館に通ってよかったと思えることだ。旅行に関しては普段いかないようなところばかり行くので、新鮮さは抜群である。来年は静岡。楽しみに1年を過ごしたいと思う。
自分の「器」
大きくもなく、小さくもなく。あるいは大きく!とか会社ややることなどあると思うが、やはりそれぞれにある個のちょうどいいところがどこなのか見極めることが必要である。温度がわからないと結局、いいことにならないのではないか。この前から大きなことを言うが、その中身に客観性がない、つまり数値化できない人が多く、これを何度いってもダメな人はダメなのだ。ダメと言うよりカルチャーが違うから、言うだけ無駄なのである。自分の「器」を考えるにあたって、自分での把握もあるが、第三者への伝えられる内容かどうか。だから大きくしたくてもできないとか、できてもしないとか、その判断枠組みは持った方がいいよと思う次第。そんなことを考えることが最近は多い気がする。
長女と
3人の子どもがいても、どこか行こうというと長女だけが乗ってくる感じになっている。昨年も長女と見に行ったが、奇麗だったことをよく覚えていて、じゃあ行こうかという話になった。アジサイを見ると、鎌倉に行きたくなる。心が和む時間であった。花は人を幸せにするんだなと感じる瞬間である。今年は春にチューリップを見ようと思っていたが、行けなかった。そういう余裕を持って生きないと思うのだが、なかなかそうも生きていけてないのが現実。そんなこんなでいい気分転換になりました。
あれこれ話して
岡山も長いことお世話になるようになり、思い入れもある街となった。広島から岡山という距離はさほどないが、通過するだけ。関西へ東海へ、関東へというところを目指すのならただ通るだけで、途中下車もすることさえない。そんな土地柄であったが、大学でお世話になってからはほんと頻繁に行くので、だいぶ馴染みもできた気もする。2軒目。僕のかねがねから行きたかったアマバー。ようやく行けることができた。こんな場所が広島にも会ったらいいな(あるのかもしれないけど)と思う、いい場所だった。
6年で7倍だそう
先日、住んでいる町で「給食無償化」をセンターピンで公約して当選し、町長になったが、そうはならなかったということに苦言を呈したが、先日、文部科学省が実態調査結果を公表した。とすると、6年で7倍が自治体の導入事例となっているようだ。それでもまだ給食無償化には程遠い。無償化の目的は、子育て支援が90パーセント、少子化対策9パーセント、定住、転入の促進が5パーセント、食育の推進が3パーセントと続くようだ。財源では、自己財源が66パーセントのようで、自治体の財力が強いところができるのかと思うところ。実際、3人子供がいる我が家は無償化は助かるが、現実は出来ないだろう。なので、「嘘」のつかない政治をしてほしいと切に願うのだ。給食も公費が入って、安価に子供が食べることができる。そして何より食べているのだ。そこではない学校が徴収する諸費を公費を援助するように持って行くべきだ。算数ドリルや文具といったものを毎月のように請求が来るが、これは直接的に学習に影響をするし、給食費と比べれば、自治体負担も安いはずだ。そんなことで、子育て支援にはあまり注力しない子の国に、自己責任という負荷があるが、一方で仕方ないと思っている。だからもう一度、「嘘」のつかない政治。そして持続可能な運営のためにどうすべきかをもっと見えるようにと願い次第。
効率的な時間の使い方でもある
子供らがボーリングをしたいと言う。どうも学校でそんな話になったようだ。確かコロナの時に一度連れて行った記憶はあるが、それ以外はボーリングの機会はなかったような気がする。よくよく考えると、室内なんだから雨の日にはボーリングはとても適している。さらに朝にやると割引が多く、メリットは大きい。安く遊ぶことができる。朝早くやると、その後の時間も有効に使える。これはしめたものだと感じたものだ。いろんなことをやっていれば、それなりに素養も増える。そんなことを思う休日の時間であった。
連絡無精の人の対処法
たとえば、電話をする。取れない→折り返すといった流れが通常である(遊びとかでなければ)と思っていたが、あまりにもそれが多くなった。相手がどのような状況かは計り知れないが、即座にという話ではないので、それはできるのではないかと思うもの。そうはないようだ。電話をする、メールで記録を残すといったこともするが、僕と関わりたくないんだろうと思うので、それも辞めていこうと。逆にその相手から連絡があっても、もう折り返しもしないし、受信もしないようにしようと心に決めた。それで悩むのはバカバカしいし、その人は連絡が出来ない人なんだと割り切った方が効率的である。仕事の上でこの件が起こりうることが多くなったので、たぶん僕を馬鹿にしているんだろうなと思うのだ。これはうがったも方かもしれないが、そういうことが多くなり、ストレスでしかなくなっている。すべての人と付き合えるわけではないという事実を正面で受け止めるようにしようと思う今日この頃。