日常

舟と筆

東京の楽しみ

銀座に一件、僕が楽しみに寄る小料理屋がある。他の人を連れて行っても、みんな喜んでくれる。それだけいい店なのだ。コロナもあって当分ご無沙汰している川嶋先生と一杯。僕を農大へいざなってくれた恩人である。僕はどこの学校より農大が好き。農大はそれだけ魅力がある。そんなこんなで昔話、今話をしていたところ、お隣のお客様がとても素敵な書道家。小熊廣美先生。気さくでだいぶ面白い先生。意気投合した。うまい料理に酒、いいお話。すべてにわたっていい時間であった。楽しかったな~。後日、メールでやりとりした。メールも粋であった。こんなブログも書かれているが、それぞれの「再会」は「未来」の懸け橋になると思う。そんなことを感じた。

ルパンにて

銀座の二日

頼まれごとで、久しぶりに東京へ。有楽町で仕事だったので、銀座といえばルパン(他もたくさんあるが)。ここへ久しぶりに行きたいと思い、足を伸ばした。運よく太宰が座っていた席であり、写真をパシャリ。うれしかったな。文学をやっていた人間からすると、ほんと気持ちは昂る。そもそも太宰を勉強しようと思っていたんだから、太宰は特別な存在なのである。それにしても、忙しい東京滞在であった。いろんな話もあるが、やはりたまには都会の空気を吸わないといけないと思う今日この頃。

ぶらり宮島へ

お父さんはどこへ行った?

宮島方面へふらりと一人で。まさか島を渡ることになるとも予想しなかったが、久しぶりの宮島は観光気分になれて心地よい。それにしても、多くの観光客が訪れ、活気に満ち溢れていますた。鳥居も修復が終わり、立派に。何度来ても宮島はいいところだなと思いますね。最近は一人を好む。好むというか、必然的にそうなる。それに慣れようとしている自分もいるし、いろいろ思うことは多々あるもので・・・。リフレッシュにはちょうどいいかもと思いながら島内をぶらり。帰ると、お父さんはどこへ行ったのかと。それはそうだ、何も言わず、ただ外出したのだから。

整える

供給過多

掌の中に仕事ややることをおさめる。少なくとも、少しあふれるくらいなら何とかというところだろうが、それ以上はどう欲張ってもできない。破綻する。これが僕の考えである。僕がやっている仕事は地味な仕事であるから、派手なことに憧れる。ただ歳を取るにつれて、派手なことはもうできそうにない。これはやる気とか積極性がなくなったと意味ではなく、地味なことでしか、自分の領分がないとことの自覚。自分の領分で勝負するしか活路がなさそうな気もする。派手なことというか、心を熱くさせてくれることがないのもあるが、地味な部分に自分の社会貢献があるのなら、それは甘んじて受けるべきな気がする。表に出るオフェンスではなく、その意味ではディフェンスなのか。生き方に迷う50歳手前の今である。

分相応

500円以下

広島大学に用事があり、大学へ。ランチタイムでもあったので、食堂へ行ったが、すごい人。ただ多くてもすぐに流れるので、負担もなく、食事ができた。学食、すごい安い。495円である。大盛にしなければ、400円前後である(学生の量、食べ過ぎた)。学食なので、味に対して大きな期待はしていないが、ランチで500円で食えるところはそうはない。これだけ物価高で何でも高いので、なおさら思う。結局、学食のランチは分相応ともいえるような気もするし。たまにはいいだろうと思いつつ・・・、日々雑感。

文句も多いが・・・

英語は逃げられない

小学校6年の長男に今年度からNHKのラジオ英語を導入した。どうのこうの、文句ばかり言っているが、一応、続けている。一生懸命、取り組んでいるのは、ゲームである。ゲームを与えたのが間違いであったと後悔しかない。英語はどうやっても、今の教育上、逃げられないし、英語が出来ていた方が世界は広がるように思う。それを理解するにはまだ年数がいるんだろうが、そうはいっても来年は中学生になる。日本に希望が持てない以上、やはり海外で活躍してほしいと思っているが、親の言う通りにはなるまい。ただ頑張った自分しか最後は助けてくれない。だから粘り強く続けて、本当に血肉化するように学習してほしい。

 

一人でいる時間

最後は一人になる

子どももだいぶ僕から離れてきた感じがする。寂しい気もするが、それは成長ということである。僕自身も年齢を重ねるにつれて、ギガ数が少なくなり、仕事でもなんでもそうだが、できる量が減ってきた。それに加え、一人になりたいなと思うことが多くなり、どのようにすれば一人でいながら充実感があるのかということを殊更に今、考えるようになった。一人でいると、孤独だと思うこともあるが、最後は一人であるし、どこかで孤独を楽しむことも必要ではないかと思うもので、そんな年齢になってきているんだなと思うのだ。そんなとき思い出すのが、この書籍である。いつまで経っても浪人的生活のような気もするが、それも僕であるための自己存在証明なんだろう。

 孤独であるためのレッスン (NHKブックス)

秋だね

外国産ではあるが・・・

秋になると、一度は食したいと思うものだ。マツタケである。うちの家ではマツタケは不評である。どうもグルメ的なものは合わない。いいものを提供しても、それに評価がない。「いいもの」といっても個人的な尺度であるのか。そう思うと、非常に共有の領域を作れないので、さびしくもある。何が僕と合うのかと思うが・・・。今回、アメリカ産である。はじめてアメリカ産というものを食した気がするが、なかなかよかった。風味もあるし、味もしっかりしている。自分ひとり大満足である、季節を味わうというか、そういう小さなことが幸せな気もするが・・・。

一息入れる

一杯の日本酒

歳をとったのもあるが、多く酒が欲しいわけではない。少し気分転換ができればと思うところで、こうした時間と空間は必要ではないかと思うところだ。長時間いるのも体力の問題からしんどいし、あまり生産性もない。いろいろ考えると、まあ少しだけ「おつかれなおす」ということなのか。パラオでは、「おつかれなおす」といえば、飲みに行こうという意味だが、わけのわからんように飲むのも何もいいことはないのである。

職場にて

たまにはいいもんだ

年に数度、昼夜と職場では飲食を共にする。昨日はそういう日であった。人間関係はいい職場だと思うが、こうした食事会にしてもやりすぎもよくないし、やらなさすぎも風通しから考えていいとは思わない。適当、適度というのが望ましい。そんなことを思うものだ。仕事とプライベートというがこれもバランスである。僕はあまり入り込まないようにはしている。放課後という言い方を僕はしているが、放課後は放課後でリセットして生きればいい。仕事の目的と手段をという話に立ち戻るのだろうか。しかしながら、話は戻すと、こうして食事さえできないのもさびしい。とかくバランス感覚。おいしく頂きました。