日常

論文の書き方

今更ながら

わかっているようで、わかっていない。今年は論文について、そんな学びを得た。相手に伝える方法というか、どういう切り口で論理を展開していくのか、当たり前のことが出来ているようで出来ていなかった。最初の入り口というか切り込み方が悪い。着眼点もある。そんなことを考えると、改めて気づくことが多かった。学術研究というのもしんどいものだが、何か越えたいと思いながら頑張っているのが現状である。まあ博士取ったからといって、安住できないな・・・。また文献にもまれて、近づいてきた期限と戦わないといけない。まあいろいろ考えるな・・・。

目まぐるしい

何かと忙しい

忘年会たるものも正直いいのではないかと思うところである。お金も体力もすごい浪費するし、何よりそこまで飲みたくないというのが本音である。年末になると、あたふた動きがあるし、すべてが断われないが、それにしても多い。追い打ちをかけて、年賀状(今年は喪中はがきであるが)はほんと勘弁してほしいイベントである。年に1度だからと思うが、ほんとに時間がないのである。そんなこんなでゆっくりする時間がないので、余裕がないのが正直なところ。ほんと考えものである。

整理整頓

消化させながら

できるだけ人と会う機会を減らして、自分の時間を担保したいのだが、どうもうまく時間配分が出来ない。出来るだけ電話、メール、SNSによるメッセージ交換もしないようにしており、交流を少しずつ辞めていきながら、やることを減らすように動いているつもりだが、そうならない。別に疎遠になるとか仲たがいをいうことでもないが、ほんと考える時間、孤独にならないと整理できないと思うので、その時間を大切にしたいと思うのだが、どうやればそれが実現できるのか。電話の電源を切る時間も考えた方がいいだろうなと思いつつ、今年は考えてみたいと思っている。

よくしゃべる

機関銃のように

12月になると、飲みが増える。何かと人といる時間が増えるので、やはり体力の消耗度合は大きい。それにしても、おばさんといる機会もあるが、よくしゃべる。ほんとすごい。逆に言えば、おじさん(僕のこと)もよくしゃべると思っているかもしれないが、まあ凄かった。今、そう飲みたいと思うことが少なくなっているので、出来るだけお酒も辞めていく方向でいる。お金もかからないし、時間の浪費も少なくなるので、これは本気で考えないと思う次第である。話は戻すと、昨日は目の前がおばさんだったけど、機関銃のようにお話をする方でほとんど周りとはしゃべれなかった。飲みってのは、やはり少人数に限るようねと思う。疲れたな~、所感。

週末の再会

在京時の長いつきあい

毎年、この時期に広島で皆さんと集まる。今年は僕も忙しく直前までは不参加の予定であったが、なんとか調整がついて参加。結論から言うと、行けてよかったなと思う。集まりはどうも先に決まっていると、気が重く、夕方くらいに一杯やろうかという感じでパコっとはまるのが一番いい。気分次第であるが、その方が楽である。何かをすることにたいして、億劫に思ったりとどうも後ろ向きになるようになった。一人になろうとする反作用な気もする。来年も元気で再会できることを願って、楽しい時間の一コマを記録としておきたい。

回数券のおじさん

大衆の風呂にて

昔、風呂に行ったときにおじさんが話しかけてきた。内容は回数券の攻略法である。この時期に買うと、安くなって、こう使うと効率的だということを僕にしゃべってくる。どうでもいいと思っていたが、何故か内容を覚えている。この話をし終わると、満足そうにお先にと言って、僕から離れるのである。たわいのない話であるが、こうした話を見知らぬ人としゃべるといいのではないかと最近、思う。回数券がどうのこうのという話は僕が興味があって聞いたわけでもない。しかし、そのおじさんは自分の得た情報がすごいと主張したいのか、それを他人に教えてあげたいという気持ちなのか、いろいろあろうが、まあこんなほのぼのという時間と空間がいるのではと思うものだ。おじさんの顔も覚えていないし、会ってもわからない。ただこんな話をするおじさんはそのおじさんしかいないだろうから、その話をすればわかるだろうが・・・・。

47回目の誕生日

「動」から「静」へ

かねがね僕が言ってきたように、誕生日というのは母親へ感謝する日と思っているので、自分を祝ってもらうのもと思うが、お祝いメッセージをいただくこと、素直に感謝したい。いつも本当にありがとうございます。47歳。50歳が近くなってきており、40代の棚卸時期に差し掛かっている。そのこともあるが、近頃はできるだけ一人でいる時間を作るように考えている。漂流した浪人のようなところもあるが、どうも孤独を楽しむというか、物事を考えるのに、雑踏の中にいる誰も知らない<ただ>の人という位置づけを最近、好む。それだけこの数年は大切な時間のように思う。昔のように、たくさんの人に会って、見識を広めるという時期はもう過ぎた。適度に人と交流すれば十分である。力を蓄える時間、棚卸の準備期間、残りの人生の設計。「動」的ではなく、「静」的に生きることを求められているように思う。今のままでは人生はうまくいっていない。風を変えるにも、一度立ち止まることも必要に思う。もうこの年になると、大きな夢ばかりを語っては生きれないが、もう少し「夢親父」でいようと思う。そのためにも今年は特に「個」を大切する。そういう「時間割」で動くと、少し「風」は変わってくるのではないか。47歳の「風」は、静かに吹かせたいが、突風なのか、逆風なのか、軽風なのか、この答えも「風」に吹かれているのか・・・。

 

47歳、誕生日。東広島・賀茂の大地にて

岸保  宏

ぐっと沈む

年齢かわからないが・・・・

近年、人と会うとすごく疲れる。会っている時間はいいのだが、離れると異様な疲れが残る。その人が嫌なわけではないが、先にわずらわしさがきて、だんだん連絡も無精になる。かかわることがいい時もあるが、そうでもないこともあり、極力、一人でいるように時間構成をしているのが現状である。確かに考えることが増えた気がする。自分のギガ数も減っているし、あれこれ出来なくなっている。複眼的に物事が見れるといいなと思うが、もうその能力がないのかと思うし・・・。何となく浪人していたころのような心境で過ごしている。

11月22日

いい夫婦なのか

今日、テレビをみていると、11月22日はいい夫婦の日であるということをやっていた。久しぶりに「年上の女房は金のわらじを履いてでも探せ」という言葉を聞いたが、僕は年上の女性といたいと思っていたが、年下ばかり縁があって、年上とは縁がなかった。縁がないということはそういう理解をすべきであろうが、もし年上といた場合、どうだっただろうと思う。パートーナーの選び方は難しいもので、やはり運命として受け入れるべきではあるが、みんなないものねだりである。かといって、今が悪いのかといえばそうでもない。ということでいい夫婦でいれるように引き続きということでとらまえると、必然的に幸せになるのかもしれないと祈念しつつ・・・・

 

SNSの拡散とは

SNSはどこまで効果があるのか

縁あって、元カープの高橋慶彦さんとコラボしている。やはり僕らの世代はスーパースターで、ほんとかっこよかったし、ああなりたいと思っていたものだ。実際、お会いするようになって、男にも女にももてるのが分かる気がする。人間味のある人である。そのときの状況を楽しんでいるような気もする。若いころは血気盛んだったんだろうけど、穏やかな感じは今はするし、とても僕もいいご縁をいただいたと思っている。どうもツイッターで慶彦さんが投稿を見つけてくれたようだ。リポストしてくれている。なかなかのヒットをしているが、購買にはつながるのか?楽しみではある。