
成長を感じる
職場のある東広島に義理の妹が転職した。ということでランチをしようと食べに行ったが、大人になったなとうれしく思ったものだ。前向き発言をするようになった。そして自分ときちんと向き合い、誠実に一生懸命、かつ感謝の気持ちが聞けた。まだ知り合った頃は高校生であり、幼い子供であった。こうすればいいのに思うこともしばしばあったが、なぜこれをしないとすべきなのか、過去を紐解いてみた。遠回りだったかもしれないが、新しい人生を切り開いて行ける気がした。しっかり頑張るんだぞ!そんな思いでエールを送った。今はいいが、これからいろいろあるが、初心忘るべからず。それでもいいランチ時間でよかったなと思う所感。

改正道交法にて
自転車走行中の携帯電話使用、いわゆる「ながら運転」と酒気帯び運転に罰則を新設。これが今月からである。携帯電話が普及は事故の増発を生んでいる模様。罰則も厳しくなっているようであるが、これは本当に危ないので、罰則強化はいいのではないかと思う。そもそも何かをしながら何かをやるという二刀流は集中力にも欠ける。まあその二刀流は日常生活でもすることはある。勉強しながら音楽を聴く。パソコンで事務作業しながら電話する・・・・。しかし、していいものと悪いものがあるわけで、罰則ばかり強化というのは好きではないが、本件に関しては大賛成。

グルメにぶらぶら
毎週、岡山へ講義に行っているので、ランチは岡山になる。新幹線の構内にもあるが、倉敷が本社のここ、ふるいち。たまに食べたくなる。しょうがが効いたぶっかけうどん。岡山のソウルフードの一つである。岡山のうどんやさん、ここにもよく寄る。およべ。香川が近いのもあるのかもしれないが、岡山のうどんは美味いなと思う。うどんはなにせ提供時間が早いので、次の行動に移りやすい。ランチでもよく食べているように思う。昨日、少し書いたけど、夜はあまり出ないので、ランチくらいは出たい。外の風を感じたい。まあそんなこんなで岡山でも楽しむ僕で会った。

良くも悪くも「ここ」にある
卒業してからも図書館が使えたり、萬來舍を利用できたりとありがたいものである。この2つは特に重宝される。図書館利用は特にありがたい。やはり蔵書も違うし、勝手もわかる。とても便利。萬來舍は塾員と教職員だけが使えるので、特別感もある。それ以上に話がしやすく、落ち着いたサロン。お酒も飲める。こんないい場所が広島にも欲しいもので、ないのよね。そういう場所。東京にいれば、よく使っているような気がする。大学キャンパスの中にこのような素晴らしい施設があるというのは、本当にありがたい。環境も人を作るような気がする。

美味しく頂きました
夜にお酒を飲みに出歩かなくなった。多少は行くけれど、ほんと行くのが億劫。少しいろんなところで元気?っていくのがいいのだろうが、忙しいのもあってご無沙汰続き。若い頃から縁があるスクリップさん。今回、オードブルをやるというので頼んでみた。酒が飲みたくなったので、飲んでしまう。美味しく頂いた。若い頃から店主夫婦は商才があるというか、お客目線もいいところをみている。そして地道にコツコツ頑張っている。平成生まれとと仕事をするようになったのかと我に返った過去。もう僕より立派に経営している。春夏秋冬でやってみたいという。常日頃ではなく、こういう「特別感」は必要ではないか。今日は家庭の食卓に花が咲く。

年々交際域も狭まるのか
僕自身、友達という類は非常に少ない方である。さらに50代になると、交友も少なくなると聞く。確かに日常が忙しいので、それどころではない。また時間が空くと人は会いにくい。そう考えるとだんだん人づきあい自体が減ってしまう。だけどもそれが寂しいのかと言われればそうでもない。自分で少しは楽しめることもあるし、人ばかりといると疲れるので、それはそれでと思うもの。やはり人付き合いはあまりよい方ではないんだろうなと。そう友達と言えども、本当の意味で気軽に付き合えるのは少ないかもしれない。なんか絞られてきつつあるなと感じるし、もう人付き合いを広げていこうとも思わない。年齢がそうさせるのかとも思ったりと考えるもの。そうやって人は老いていき、思い出に浸るのかとふと思うものだ。

少子化への加速
こんな記事を読んだ。内容は子供2人目は現実的に無理。子供が欲しいが、経済負担が大きな理由とのこと。少し前に「子育て罰」という言葉が流行ったが、まさしく子育て世代の僕にもそういう言葉がわからなくはない。物価高で支出も増加し、皆さんどうやって生活しているのか、ほんと不思議である。モノは手に入れないかもしれないが、巷にはあふれており、欲しくなるようなものも多いが、とても手が出せない。スーパーの見切れ品も食品ロスの問題もあるにしても、これを狙って買い求めるお客さんも見える。子育て世代だけではないが、やはり生活苦は現前にある。2人目が無理ということになれば、横ばいは人口減少である。ただでさえ結婚しない人が増える中、夢も与えられない世の中。今日、投開票でどういう結果になるかはわからないが、少子化に対しては足りていないと思う。子育ては楽しいばかりではないが,人間的な成長は間違いなく促すと思うし、再学習もさせてくれる。何より幸せと思うのだが・・・。そんな平凡な生活も担保できなっているこの国、日本。今回の選挙戦のあとは、子育て支援ももう少し考えてほしいものである。

執着が仇になる
こだわりが強すぎる、物事に執着をするといったことは時にはいいが、度が過ぎるとマイナスになるような気がしてならない。変化に対応できるのかという観点である。どうしても自分の得意技にある強い方に力点を置きがちだが、それにとらわれてばかりではやはり前に進めないのではないか。過去、こうだったという経験も邪魔になることもあったりと。柔軟に物事に対処しないと思うところだ。あれもしたい、これもしたいとも思うし、プライドある領域もあるが、いったんリセットして考えてみる。これできるようで出来ないが、もう少しと思うアクセルを踏むことによって、事故を生み出すこともあるのではと感じる。まあどちらに進むも決断であるが・・・・。

現実路線なのか
だんだん社会が悪くなってきている。選挙中であるが、快方への見通しというか、それを予見はしないのが実情である。なので、安定路線をという話であれば、公務員であったり大手企業であったりという就職をした方が無難である。そんなことを考えると、夢も希望もない。でも現実的なのか。金利があがり、普通に持ち家を持てなくなる。借家でもいい、借りた方がいいというのもいいが、つまるところ、一部の人間だけが富を享受できるということなのか。殊更、世の中が悪くなってくるとこのような話が多い。子供たちに夢を与えて育てられるのかと思うが、周りの声をそれをかき消すほどのような気もする。そんなことを思いながら未来を憂う。

作品を通じて学ぶ
もう4年になるだろうか。息子が陶芸をやりたいといって、学ばせていただいている。あまりにも陶芸作品が家に増えるので、頻度は減ったが、それでも続いている。当初は息子だけであったが、娘もしたいという。今や娘の方が必死にやっているように思うが、継続は力なりである。そもそも陶芸家を知っている親も少ないぞと子供らにも言うが、まったく言ってもわからないようだ。とかく陶芸にしかり、芸術に触れることはいいことであるし、もっと真剣に真摯に向き合うといいと思うのだ。学校では教えてくれないことを学ぶことの重要さを感じてほしいと思う親心。