いいかもしれない、ジャーナリング
ジャーナリングとは、一定の時間内に頭に浮かんでくる考えや感情を紙などに書いていくことをいい、「書く瞑想」とも呼ばれており、紙に書くことで、自分の考えや感情を言語化し可視化できるため、自分の状態を理解するのに役立つと言われている。いろいろジャーナリングをすることで、目標達成して、理想な自分を作る。40歳の棚卸中での気づきである。50代は逆襲が目標。人生の下克上を達成する!
ジャーナリングとは、一定の時間内に頭に浮かんでくる考えや感情を紙などに書いていくことをいい、「書く瞑想」とも呼ばれており、紙に書くことで、自分の考えや感情を言語化し可視化できるため、自分の状態を理解するのに役立つと言われている。いろいろジャーナリングをすることで、目標達成して、理想な自分を作る。40歳の棚卸中での気づきである。50代は逆襲が目標。人生の下克上を達成する!
いろいろ話していると、2008年の広島市民球場を皮切りに、コロナ期間を除いて、広島で野球を見ている。僕一人、カープであるが、関西の大学院に行ったのだから、周りは阪神である。周りの印象は、阪神が負けてカープが勝った試合が多いようだ。僕はそうでもない気もしていて、そういえば最悪の3者連続ホームランを打たれた試合は、2010年。レフトのパーティー席で見ていたから、レフトに3発も。まあ最悪でした。こんな試合があったり、過去にもあるが、生存確認なのか。一年に一度、広島で待ってますよ。今年はカープが優勝しますよ。
やることがある。1つずつ終わる、すっきりするというシナリオにはなかなかならない。仕掛り、あと少しで終わるのにというタスクが残るが、なかなかその少しを当方に来ないと完成できないタスク。これでイライラ。時が経過すると、忘れてしまうしと悪循環。日常がそんなことばかりで、ほんとイヤになる。相手があることだからと思うが、まあほんとね・・・。仕事も取捨選別もしていかないと思う今日のこの頃。
何分、予定が詰まっていくのもあって延び延びになっていた食事をようやく出来た。会おうと思ってもなかなか予定がかみ合わないことはよくある話だが、どうも前もって決まるにはしんどい。県外に行くのなら宿を確保する必要もあるので、これは準備万端となるが、広島の会合だと「今日、暇?飲みに行こうか?」ってのが一番、僕は動きやすい。いいことと悪いことを箇条書きにするとすれば、圧倒的に悪いことの方が多いので、気分を変えたいと思うことが多いのだ。自分勝手と言えば、そうだが、逆もあるしねと。久しぶりに雑談をした。楽しい時間、お盆休みぼけもまだまだあるけれど、再稼働ですな。
一日、電話もメールもなかった。こちらもしなかった(することもなかった)ので、なんと爽快なのだろうか。そもそも周りが携帯電話を持っていないのなら、僕は辞めたいと思う派で、明らかに生活を悪くさせた産物のような気がする。便利は便利だが、急ぎすぎず、穏やかに、そして人生儚く。そんな向き合い方でいいのではないかと思うものだ。長いお盆休みで家時間が多かったが、家での過ごし方も考えようと思う。外ばかりいるので、家にいると賑やかでたまらないが、まあだんだんとそういう時間と空間もと今更ながら思う。家でたこ焼きをみんな作りながら、食した。こんな時もあっていいだろう。長期休み終わり。8月後半戦!
息子にスマホを与えるべきではなかったと思うが、中学生にもなれば仕方ないところもあるには理解はするものの、悪影響の方が大きい。スマホの時間が長くなり、ゲームも長い、勉強をしないと悪影響のオンパレードである。いつも取り上げるという話になる。なんかスマホの影響で、このブログの存在を知ったようだ。まあ何かとめんどくさい。このブログによって仕事に繋がったりといい面も多いが、こういうことも起こりうるのねと思ったものだ。逆に言えば、このブログを通じて、息子に伝言するのありである。アナログとデジタルで言うのも少しは快方に向かうのかと期待しよう。息子よ、たまにはブログをのぞきなさい。
暑いせいもあるが、あまり夜に飲みに出ることが少なくなった。あちこち行くのは好きな方だが、お金も時間も使うのもどうかとか、そもそも毎日飲む人(酒飲みと思われるが、毎日は欲しくない)でもないので、まあいいかと思ったりと。まあ気分屋でもあるが、たまには出ようかなと。お盆だがら、お店があまり空いていない。これは結構困るのだが、お店の人もお盆だよね、今年は休みが長すぎるのもあって、あれこれ考える。休みが長いのも問題だわなといつも思う日々雑感。
8年前に木下大サーカスに連れて行っているようだ。一番下は、1歳だから覚えているわけないし、長女もそう。長男は覚えているところもあるようだ。今回、何となく行ってみたらどうかなと思い、家族で行ってみた。僕もオートバイは覚えていたが、やはり人間の記憶とは曖昧であって、そうは覚えていない。こういう興行も子供がいないとスルー。たぶん行くことはなかっただろうと思うが、結構楽しめたというのが本音である。サーカスもいいじゃんと思った次第。夏休みはアクセント。長い休みだから強弱つけながら、いろんなことをすると子供の素養になるのではないか。台風、地震ときな臭い。お盆休みに少し早めに予定を変えて参戦してみたが、それなりに楽しめるのではないかと思う。
県北に行くと、心が落ち着く。自分の源流があるのだろうが、そんな心持になる。祖父、祖母の墓、街中に帰って父の墓へ。盆中に行こうかとも思ったが、盆前の方がいいかなと思い、今日を選んだが、田舎なので人はいない。ただし、昼ごはんは苦戦した、多かったな。庄原が生まれになるが、変わることのない風景。変わることがないのがいいことなのか悪いことなのか、わからないところはあるが、もう墓しかないのも寂しいものの、それでも心には残っているものだ。ひとまず今年の夏の墓参りを無事終えた。
先日、大手の方で退職をされた方と退職祝いに一杯、会食をしました。広島では誰もが知っている会社の役員さんであり、ほんとお世話になった方。在職中にご挨拶に参らせていただいて、落ち着いたら一杯やりましょうと言っていた。義理堅い方である。食事もごちそうになったのに、さらに奥様にということでプレゼントをいただいた。自然とこういう振る舞いができるのは、やはり人としての幅、器を感じるものだ。僕も見習う必要がある。人が気を使い、相手にしてくださる好意は当たり前ではない。感謝のこころを忘れず、向き合いたいと改めて思う夜であった。
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